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日本の大多数の人たちの流れから落ちちゃった人

むかしむかし、ある村に暮らす若者がおりました。名前を一郎と申しました。村の皆が米作りに励む中、一郎はただひとり、絵を描くことに夢中でした。
村人たちは「あいつは変わり者だ」「村の恥だ」とささやき、一郎を冷ややかな目で見ていました。両親も嘆き悲しみ、「普通の暮らしをしなさい」と諭しましたが、一郎は耳を貸しません。
ある日、都から来た旅の絵師が一郎の絵を目にしました。絵師は驚き、「これほどの才能を見たことがない」と褒め称えました。そして一郎を弟子にしたいと申し出たのです。
村人たちは驚きましたが、一郎は喜んで都へ旅立ちました。そして何年か後、一郎は日本一の絵師として名を馳せるまでになりました。
村に戻った一郎を、かつては冷ややかだった村人たちが今度は誇らしげに迎えました。そして一郎は「自分の道を信じることの大切さ」を村人たちに教えたのでした。
めでたし、めでたし。
と思う2024年8月19日14時31分に書く無名人インタビュー862回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは 悠 さんです!

年齢:30代後半
性別:女性
職業:カフェ店員・民泊管理人・モデルなど


現在:なんかあるときに、薬はあなたを守るためにあるんだよっていう言葉で、はっと我に返ったっていうか。

qbc:
今何をしている人でしょうか?

悠:
民泊の管理人と、カフェの店員などなどいろいろやってる人です。

qbc:
はいはい。

悠:
あと母親もやってます。10歳の息子がいて。そんな感じですかね。

qbc:
その他やられてることってあります?

悠:
その他やられてることは、被写体モデルっていうのにも一応登録してて。お仕事まだ入ってないですけど、写真を撮られるっていう仕事もしたいな~と思っています。

qbc:
その他はあります?日常の入浴とかご飯食べるとか、それ以外。
だから趣味の時間とか、そういう時間って言うと?

悠:
ウォーキングとか筋トレとか。ボディーメイクというか、体型を維持することとか。健康志向がすごく強いので、そういうことやったり。
あとは料理を作ったり。なるべく手作りのものを子供に食べさせたいし自分でも食べたいと思ってるので。野菜とか。
あとあれですね、家庭菜園もやってて。家の庭先で、ミニトマトとかナスとかバジルとかシソとかいうのを育てています。

qbc:
それ以外の時間って何かあります?

悠:
あ~、恋愛してます。恋愛っていうか、遠距離恋愛してますね。だから、アメリカにいる彼と連絡を取り合うっていうのも、日課の一つですね。
あとは何かしてるかなー。なんだろう~。あとはしょっちゅう昼寝してますね。

qbc:
遊びみたいなのは無いですかね?

悠:
遊びですか?遊び…そうですね~、買い物?買い物って言っても、ウォーキング用のシューズを買ったりとか(笑)
ファッションも結構興味があって、最近パーソナルイメージ診断みたいなのを受けたので、それで何かファッションのテイストがガラリと変わったというか。おすすめされたのが全然今までのファッションと違ったので、そういう。何かクールモード系ですって言われたので。似合うのは、何かこう、黒と白とかなんかすごいはっきりした色、なんかロイヤルブルーとか、そういう色とかの組み合わせとか。

qbc:
ちなみに今までは自分ではどういうものだったんですか?

悠:
今までは超ナチュラル志向で、綿とか麻とか着心地のいい天然素材というか。そういうのが好きだし、今も好きなんですけど。

qbc:
それがどうなったんですか?

悠:
それがなんか化繊とか(笑)なんかすごいポリエステルとかの、なんかすごいペラペラした素材のパンツだったりスカートだったりとか、なんかそういう。

qbc:
テイスト?色とかそういうのは?ナチュラルは結構イメージが分かるんですよ、ベーシュとかそういうふうな感じなので。おすすめされたのはどんなものだったんですか?

悠:
モード系のファッションって言うんですね。なんか個性の強い、黒とか白とかがはっきりした色とか、アクセサリーも結構ジャラジャラつけたりとか(笑)
しかもなんか大きめのブレスレットとかネックレスとか。なんか結構、近寄りがたい感じのファッションっていうか。鎖系の何かをつけたらいいよとか言われて、へ~とか思ったんですけど。

qbc:
それ提案されて、どう感じられました?

悠:
でも実際着てみたら、結構似合うって言われたし。今までもこういう格好をしたりしてたみたいとか言われることもあって、なんか私もまんざらではない感じで楽しいんですけど(笑)

qbc:
じゃあ合ってるんですね?

悠:
合ってるみたいですね。

qbc:
なるほどね~。

悠:
そういう顔の特徴とか体の特徴とか、目の色、髪の色とかそういうのをベースにして16種類に分けるっていう、そういう診断があって。それに基づくと、そういうモード系、クールでモードなファッションが似合いますって。

qbc:
なるほどね~。

悠:
そんなことが遊びかな、私にとっては(笑)

qbc:
いろいろ、お仕事とプライベート、普段していることみたいなのをお伺いしたんですけど、この中で今自分がどの時間帯が一番いいですか?何をしてるときが一番好きですか?

qbc:
そうですね。民泊の掃除とかしてるときが一番楽しいですね。民泊の、一棟丸ごと貸し出しっていう、物件を持ってる知り合いが私に管理人を頼んでくれて。それで、チェックイン対応からチェックアウト後の掃除洗濯、備品の整理整備とか。あと、ゲストとの連絡とか、一連の流れをほぼほぼ任されてて。
やり取りとかはちょっと面倒なんですけど、返事が来なかったりするので。でも、結構昔の造りで、ちゃんと風通るようになってるというか、南北に廊下が走っててちゃんと空気が流れるような造りだったりしてすごくシンプルで。素敵なお家なので、そこを1人で、何か音楽聞きながら掃除したり、何か部品を揃えたりしてるのが楽しいです。

qbc:
なるほど。元々そういうのがお好きだったんですか?

悠:
元々…どうでしょうね。結構振り返ってみると、ユースホステルのそういう、管理じゃないけど掃除係とか、旅館の仲居さんみたいな仕事もしたことがあったりして。なんか意外とそういう分野に関わってきたこともあるんだなと思って。
掃除するっていうのは結構気分がいいことなんですよね。綺麗になっていくっていう、まぁ地味なんですけど。なんていうか別に誰とも関わらなくてもいいし(笑)何か作り笑いをしなくていいし。なんか素の自分でいられる感じがあって。ありがたいなと思って。

qbc:
なんか最近落ち込んだこととかってあります?

悠:
あ~、ありますね(笑)民泊の管理人の仕事と、カフェの店員は同じ人がボスなんですよね、上司で。何か勤務時間が決まってるような決まってないっていうか。カフェの開店時間は大体決まってるんですけど、そのLINEでのやり取りとか、なんかこの在庫がどうでしたとか、その売り上げどうですかとか、何かいろいろオーナーとのやり取りとか、なんか民泊のことのやり取りとか、もうなんか、四六時中あって。なんかそれでもう24時間仕事してるみたいな気分になってて。
それで、それがすごくなんか理不尽というか。何かこう、時給で働いているカフェはそれはそれでいいけど、民泊って出来高制だから、何かどんどんどんどん薄まっていく感じがするっていうか、利益が(笑)っていうのがあって。
それで、すごいなんか全然休まった感じがしなくて、なんか悶々としてたんですよね。それ、遠距離中の彼に、なんか向こうは朝だったんですけど私が夜で、すごい落ち込んでるんだよねみたいな感じでボソッとつぶやいたら、ちょっと電話する?って言ってくれて。それでちょっと音声通話っていうか、シグナルっていうチャットアプリがあるんですけど、それで連絡したんですけど。なんか私がちょっと説明したら、それはなんか絶対オーナーに買い出しの時間とかはちゃんと時給をくれるように言ったらいいよとか、ガソリン代とか請求したらいいよとか。その民泊のことも、もうちょっと2割じゃなくて3割とかにしてもらえないかと交渉したらいいよとか、なんかいろいろそういう具体的な解決策みたいなのをバンバン言ってくれたんですけど。
私は、それの解決策を求めてないわけじゃなかったんだけど、とりあえず聞いて、私と一緒にそれプロセスして欲しかったというか、一緒に考えて欲しかったって感じだったんですけど。共感してほしいとか。よくある男女のすれ違いの話なんですけど(笑)

それで、なんかそれで余計に悶々としちゃって。なんていうか…アドバイスされると、私が間違ってるというか、なんか私が何か改善すべき人だみたいな、なんかそういう風に捉えちゃって、私が。問題は私にあって、それを改善しなければいけないみたいな、そういうフレームワークに入っちゃうので。
そうするとなんか自己肯定感が下がるっていうか、何かそういうところがあって。それで夜中に何か結構悶々として、何か眠れなくなっちゃって。かと言って夜中だったら誰も友達も起きてないだろうし、そんなことでなんか迷惑かけるのも良くないと思って。どうしようどうしようってなって、それでnoteに書いて(笑)それでちょっと頭を整理したりしたというのがあって。それが最近の落ち込んだことですかね。

qbc:
どうやって回復したんですか?

悠:
どうやって回復したか…うーん、まぁnoteに書いて、ある程度距離を置いたっていうこともあるし。それで、インスタにもそのnoteの記事のリンクを上げたんですね、ストーリーで。そしたらそれ読んでくれた知り合いが、なんかこういうことするのって男にあるあるかもしれないみたいなこと言ってくれて。「あ~、なんかディスった訳じゃないんですけど、なんか通じましたかね~」みたいな感じで言ったら、「なんかもう全然、よくある話だと思うし」とかってなって結構理解してくれたっていうか、その人はすごい何か理解者となってくれて。それでちょっとなんか、癒されたというか、ですね。

qbc:
その遠距離恋愛の彼氏は、どれぐらいお付き合いされてるんですか?

悠:
えーと、もうだいぶ長くて、遠距離で長くて(笑)出会ったのは2011年くらいだったんですけど、アメリカで出会って。共通の友達がいてそれで知りあって一緒に散歩とかしてて、その時はずっと友達だったんですよね。
で、2012年くらいにアメリカのメイン州というところで、海藻取りのおじいさんのインターンとして、私達はそこに。メイン州のど田舎で海藻を取る仕事を手伝ったり。私は取る専門じゃなくて干したりとか、パッケージングして発送するとかそういう仕事をしてたんですけど。
そこで一緒だったときに、私は彼の後ろ姿を見ててすごい一目ぼれしてて。すごいなんか姿勢の良い彼で、瞑想とかもしてて。瞑想、メディテーションとかしてた後ろ姿を見てかっこいいなとかって。そのときは勝手にというか、密かな恋心を抱いてたんですけど。それでいろいろお互い全然違う道に進んでいって、私も日本帰ってきたりとかして、それで何か2015年ぐらいかな、文通を始めたんですよね。

qbc:
手紙で?メールじゃなくて?

悠:
そう、手紙で。メールじゃなくて。ミャンマーで、なんかもうインターネットが繋がらない環境にいたんですよ、彼は。ミャンマーになんか瞑想修行みたいな感じで行って。それで何か行く前に、「これが住所だからここに手紙書いてくれたら手紙のやり取りできるよ」っていう、なんかいろんな友達にメールを一斉送信してて、その彼が。そこに手紙書いて文通が始まって。彼は瞑想で忙しかった、忙しいっていうか瞑想に集中したかったんですけど、私は何か彼女いるの?とかなんか(笑)ちょっとなんか気を逸らすようなこと書いててしまったりしてて、結構痛かったんですけど。
なので、それでちょっとした恋心がお互い芽生えてみたいな感じですね。ミャンマーの瞑想が終わってからは、彼はハワイに行ったのかな。そこではメールとかできたので、メールとかチャットとかでやり取りするようになって。それで、佐渡に来ようとしたんですけど。私、住んでるんですけど、新潟県の。

qbc:
あ、佐渡島?

悠:
そうなんです。佐渡島なんですけど。そこにハワイから訪ねてきてくれるっていう計画をしてたところでコロナが発生して、チケットがキャンセルになっちゃって。それでまたずっと会えなくなっちゃったりして(笑)それで、去年の9月に佐渡に来てくれたのが、2012年ぐらいに海藻取りで一緒にやってたの以来。

qbc:
11年ぶり?

悠:
11年ぶりですね。そうですね。

qbc:
いつから付き合ってることになってる?

悠:
コロナのちょっと前ぐらいだから、4年前ぐらい?えっと、ちょっと時系列が難しい。

qbc:
じゃあ、子供は誰の子供なんですか?

悠:
あ~、子供は佐渡の日本人男性との子供です。

qbc:
その人との関係は?

悠:
その人とは離婚してて。関係は、2013年に私が佐渡に帰ってきてまもなく出会った男性で。だからそのアメリカのJっていう彼とやり取りが始まったのは、私がその日本人男性と別居してしばらく経ってからなんで。同時並行的なお付き合いじゃなかったんですけど(笑)
だから、2013年頃に出会った日本人男性との間にまもなく子供ができて、そのあとすぐ入籍して、2~3年一緒に住んでたんですけど。ちょうどその男性が私の29歳上で。

qbc:
え!?

悠:
私今39歳なんですけど、当時結婚したのが29歳だったんですね、私が。だから58歳だったんですね、相手が。
それでそのときは、その佐渡のど田舎の発酵場っていうか、発酵加工食品みたいなところで、その人は、甘酒とどぶろくを作ってたんですけど。でもなんかその上司とうまくいかないとか、なんかもう定年間近って言うか、もう歳も歳だしこれからどうやって生きていこうみたいな感じで、じゃあ起業するとかってなって。なんか米飴っていうお米の甘みだけで作った飴、水あめみたいなの作って販売するって言い出して。それでなんか自分の家の裏の方を改造してそういう施設にして、なんかいろいろ借金とかもした上でそういうのを始めたんですけど。もちろんっていうか、米飴って何?っていう人が多い中で、それが売れる販路が見つかるのもすごく難しくて、実際すごく難しい経営状態だったんですね。
それで、私はそれをどうにかしてやめてほしいというか、他の道を探して欲しいって言ったんですけど、なかなかもう志も決まっちゃってたんですよ。なかなかうんと言ってくれなくてみたいなところで。生活費も全然稼げなくなってっていうところで(笑)これはかなり経済的に難しい状況だなというふうになって、ちょっと別居したりとかして。

qbc:
悠さん、性格は周りの人からなんて言われます?

悠:
性格ですか?うーん、行動派とか。

qbc:
ここまででちょっとな謎めいた感じはもうしてるんですけど。行動派だけですか?

悠:
行動派とか、そうですねー…なんか謎っていうかなんていうか、予想できないっていうか。そんなにあんまり私のことを言葉で評価してくれる人はあまりいないけど。

qbc:
自分自身ではどう思ってらっしゃる?

悠:
自分のことをですか?うーん、素直だと思ってるんですよね。なんかそのときの気持ちに素直で生きてるっていうか。常識がとか世間体がとか、なんかそういうのよりも、自分の気持ちとか。
例えば、何かこの仕事は私にとってすごい生きづらい仕事だとかってなったら、もうちょっとこれは辞めなければと言って、退職代行を使ってでもね、辞めたりとか(笑)
まあー、それはちょっと何ていうか、良くない例かもしれないけど、なんかすごく感動したりとかときめいた人には、年齢とかあんまり考えずに結婚してしまったりとか(笑)

私、双極性障害という障害持ってて、それを放置してた時期に出会いがあったりして。それでちょっと早まった行動というか、ちょっと表現はよくわかんないんですけど、まぁちょっと後先考えずに行動してしまう的な。なんていうか刹那的な行動をとってしまってた時期もあって。それその人との結婚の時期に何か重なってたなっていうのはあって。

qbc:
双極性って、1か2どっちです?

悠:
1です、1です。1型です。それで2回ぐらい長期入院をしてるんですけど、過去に。

qbc:
はいはいはいはい。

悠:
その人と結婚後で、離婚したいけど離婚調停を申し立ててもなかなか相手がうんと言ってくれないという、調停3回ぐらいやって成立にならなかったりとか。なんかもうすごいストレスになって、それで双極性障害のエピソードが始まってしまって、何か手つけられなくなって入院したのが、2017年ぐらいだったかな。2回目なんですけど、それが。5ヶ月ぐらい結局入院してたんですけど(笑)
1回目は20代の前半、2007年か8年ぐらいに。それは佐渡の病院だったんですけど、それも4、5ヶ月入院したんですけど。

qbc:
今はどういう状況なんですか?

悠:
今は、その2回目の入院中にようやく自分の病気を受け入れることができたんですよね、あるタイミングで。相当後半になってからなんですけど。
それまで薬を飲んだふりして吐き出したりとかして、なんか薬も悪だとか思ってたし。自分がその病気だってことを受け入れなかったですし。お医者さんは間違ってるっていうふうに思い込んでたんですけど。
なんかあるときに、薬はあなたを守るためにあるんだよっていう言葉で、はっと我に返ったっていうか。あ、なんかそうなんだっていう、そういう見方があるのかっていう感じで(笑)なんかガラリと捉え方が変わって。そっから服薬治療をちゃんと始めて。それでちゃんということを聞くようになって(笑)それで無事退院できて。それでそれからも、定期的な通院を繰り返しながら、薬物治療を受けて、今に至ってるんですけど。だから今も薬を飲んでるんですけど。

qbc:
性格について、身近な人から言われる一面ってあります?パートナーさんとか、家族とか、親友とか、そういう距離の近い人たちから。

悠:
ある意味すごく客観的に見えてるのは、私の主治医だと思ってるんですけど。ちょっと近しい人じゃないんですけど。
なんていうかぱっと行動しちゃうっていうか。Aと思ったらもうAにしか行かない!みたいな感じになっちゃう癖があるよねって言われるんで。それはまぁ当たってると思ってるんですけど。

あとは、こだわりが強いっていうか。なんかハマっちゃうというか、何か一つの事に興味がすごいそれにハマり込んじゃうっていうか。
例えばファッションならファッション。クールモード系って言われたら、そっちかーっていってそっち系をいっぱい買っちゃうとか。
あとは家庭菜園でも、永田農法っていう農法が美味しいトマトができるのか~ってなると全部そっちに切り替えたりとか(笑)ちょっとなんか0-100思考っていうか、ちょっとそういうところがあるんだと思います。すごく私はコンプレックスなんですけど。

qbc:
好きな食べ物を教えてください。

悠:
そうですね~…色の濃いっていうか、色の鮮やかな食べ物が好きで。トマトとか。なんだろうな、人参とか(笑)そういう素材が好きですね。あと果物とかね。なんかこう例えば麻婆豆腐が好きですとか、そういう料理の名前は出てこないです、私の場合。納豆とかね、そう、納豆とか好きです。健康に良くて、体に良くて、綺麗になるみたいな、何かそういう。

過去:それまで、なんかアメリカに行きたくないなとか思ってたんですよ、なんか。アメリカ行ってどうすんだろみたいな。なんか行ってもな~みたいな感じで。

qbc:
過去について聞いていきたいんですけども。子供の頃はどんなお子さんでした?

悠:
結構1人でいることが多かった子供でしたね。
小学生の頃とか、あんまり友達と一緒に遊ぶっていうよりも。っていうかそういう時間ももちろんあったんですけど。友達をうちに呼んで一緒にクッキー作ったりとかいう思い出もあるんですけど。なんか結構家に帰ってくると、両親共働きでいなかったんで、黙々となんか夕飯作り出したりとか(笑)『きょうの料理』とか見ながら、今日はかぼちゃの煮物とほうれん草の胡麻和えにしようとか言って、料理したり。
あと手芸とかに凝ってて、ビーズアクセサリーを、夜な夜なっていうか、もうなんか黙々とやって作ってたりとか。なんかプロミスリングとかいうのが流行ってて、昔は(笑)それを編んでみたりとか。冬になると、好きな男の子に送るんだって言って、何かマフラーを作ってたりとか。
なんか手芸が好きだったし、あとラジオドラマが好きで。NHKのFMシアターとか青春アドベンチャーとか。今でもやってるんですけど、そういう何か音声ドラマみたいなのを結構聞きながら、そういう手芸やったりとか、夜ふかししてました。11時ぐらいまで起きてました。

qbc:
じゃあ、幼稚園ぐらいの頃とかそういう本当に小さい頃はどんな遊びしてました?

悠:
泳ぎが好きだったんで、プール行って遊んだりとか。
あとは…どうなのかな。遊びですか?遊んでたのかな、私、ちゃんと。
なんか空き地みたいなところに行って、松の木の根っこのぐにゃぐにゃしているところに何か座って、友達となんかたむろしてたりとか、ブランコ乗ったりとか。公園でブランコ乗って、頭から落ちて鼻血出したりとか、そんなことしてました。ちょっとドジで、ちょっとおてんばっていうか。

qbc:
なんかちょっと複雑そうな感じがするんで、先に時系列で年表だけちょっと押さえたいんですが。まず、学校はどこまで行きました?

悠:
大学まで行きました。

qbc:
大学まで行って、それは何年ぐらい?

悠:
それは2003年から2007年かな。

qbc:
すごいっすね。なんかよくわかりますね。

悠:
2007年卒業なんですよ。2007年3月卒業で。

qbc:
それは日本の大学?

悠:
そうです。それは東京のICUに行きました。

qbc:
あ、へ~。

悠:
高校は佐渡で。

qbc:
はい。その後はどうされてました?

悠:
その後は、1年くらいアメリカ周辺に行ってました。

qbc:
アメリカのどこに?

悠:
オハイオ州ですね。オハイオ州のコロンバスっていうところ。

qbc:
何をするため?

悠:
遊びにっていうか、暮らすため(笑)友達っていうか、大学時代の彼氏が呼んでくれて。彼氏が稼いでたので、別に私は働く必要なかったし。もちろん観光ビザだったのもあって、そのときは働けないしっていうのもあるし。
それで1年くらい、なんかアメリカとかメキシコとか。そのビザが切れる前に、メキシコに渡ってビザを更新して、2ヶ月ぐらい。彼は、メキシコ系アメリカ人というか、お母さんメキシコ人だったんで。メキシコに親戚とかお母さんの別荘とかがあったんで、そこにちょっと泊めてもらったりとかして、佐渡に1回帰ってきました。

qbc:
2008年ぐらい?

悠:
2008年ぐらいですね、そうですね。

qbc:
それでどうされました?

悠:
それで、なぜか…なぜかっていうか、うちの父の実家の近くの佐渡の山奥にある、耕作放棄の棚田を再生したりとか、なんか無農薬でお米を作ったりとか、そんなことをやっていました。それは仕事ではなくて、趣味みたいな感じで。

qbc:
そのときはどこに住んでるんですか?

悠:
そのときは、実家に住んでました。今もそうなんですけど。

qbc:
実家に住んでる。その後は?

悠:
その後は、小さな高校の英語の先生をやってくれないかって頼まれて、英語の教員免許なんてないのに、なんか校長が許可出したらいいんだとかって言って、今はそういうのが変わったみたいなんですけど、その当時はよくて。
それで、すごい荒れてる高校に英語教師として勤めることになって。

qbc:
佐渡で?

悠:
佐渡で。それでまぁ教え方なんてわかんないし、もう本当にわかんないことだらけだったし。あとは何か、学生さんたちも全然やる気もちろんないし。テスト用紙に死にたいとかって書いてきたりとかもして。
なんか、どうしたらいいかわかんなかったんですよね、なんか。そんな現実を目の前にして、他の先生方は何かすごい難しいテストとか作ってて、そんなことしたら逆効果じゃんとか思ったり。なんか私は生徒とあの歳が近かったこともあって、ちょっと仲良くなったりもしたんですけど。
そんなことと、その当時付き合ってたアメリカ人のその大学時代からの彼氏とのいざこざみたいのが、ぐちゃぐちゃになって。なんかものすごいぐちゃぐちゃになって、いろんなことが。それでそのときに、最初に双極性障害1型を発症したんです。だから2008~2009年くらいだったのかな~。

qbc:
25才?

悠:
そんなだったかな。85年生まれなんで、23とかですかね。そのぐらいですよね、確か。ちょっとごめんなさい。年号がちょっとうろ覚えなんですけど。

qbc:
大丈夫です。大体でいいですよ。それで、その後は?

悠:
その後は、入院したんですね、精神科に。それで、半年っていうか4ヶ月半ぐらいだったんですけど。それで、急に連絡が途絶えた私の事を「なんかおかしい、何かあったに違いない」と思って、そのパチョっていうニックネームの元カレが、何かそのとき中国に留学してたんですけど、中国から佐渡まで探しに来てくれて。探偵まで雇って(笑)
両親に聞いても居場所を教えないから、もうこうなったらっていう感じで、もう探偵とか雇ってそれで居場所を突きとめたのが、佐渡の精神科で。そこに面会とかで足繁く通ってくれてて。
それで、その当時投与された薬とかが、彼の調べとか彼の医学関係の知り合いの意見によると、すごく命に関わるぐらい危ない組み合わせだって言われてて。まぁ嘘か本当かわかんないんですけどね、それは。それで医者を説得しようとか、いろいろ試みてくれたんですよ。
それでもう、どうしようかってなったときに、そうだ!ってなって。私と結婚してアメリカに行く、そして向こうで治療を受ける、そういうことにすれば、私の両親も医者も安心して送り出してくれるだろうということになって。

qbc:
それは彼氏が言ったんですか?

悠:
そうそう。そのパチョっていうのがね。

qbc:
パチョが彼氏なの?

悠:
彼氏っていうか、そのとき付き合ってなかったんですよ。元彼です。元彼のパチョ。

qbc:
その彼が中国にいたんだ?

悠:
そうそうそう。中国語留学で。
当時、そのパチョも彼女がいたんだと思うんですけど、中国に。でもなんか、とりあえずビザの関係をクリアするためでもあるし、私を退院させるためにも、結婚っていうのが一番いいだろうってことになって。

qbc:
それでその後アメリカに行った?

悠:
そうですね。ただそのプロセスに結構時間かかってて。

qbc:
それで、2011年に?震災があった?

悠:
震災があったのをきっかけに、私はようやく踏ん切りが切れたっていうか…、なんていうんですか、気持ちを決めることができて。それまで、なんかアメリカに行きたくないなとか思ってたんですよ、なんか。アメリカ行ってどうすんだろみたいな。なんか行ってもな~みたいな感じで。中国行ってビザの申請とかもしたんですけど、それにも時間かかってたのもあるし。

qbc:
中国は何で関係するんですか?

悠:
その彼がその当時中国に住んでたので、なんか中国のアメリカ領事館経由で手続きしてたんですよ。ビザの手続きを。

qbc:
じゃあ本人はアメリカに一緒に戻るっていうんでもなかったってこと?アメリカでの婚姻を、中国の領事館から通じてやってたってこと?

悠:
いや、アメリカでは婚姻してないのかな。あれ?(笑)

qbc:
でも、アメリカで結婚しないと、だって取れないんじゃない?日本の結婚でしかないですよね、それって。

悠:
そうですよね~。アメリカで…あ、そっか、なんかアメリカに一緒に行ってそっちで式を挙げるみたいな計画書みたいなのを出して、どうにかやってたんですね。
すいません。ちょっと細かいこと覚えてないんですけど(笑)

qbc:
いえいえ。じゃあ結局、2011年はアメリカに行った?

悠:
行きました。はい。3.11の1週間後ぐらいに。

qbc:
それで彼は?彼と一緒に行った?

悠:
いや、彼もいた気がするけど、ほとんど一緒にいませんでした。

qbc:
どこに住んでたんですか?

悠:
彼の持ち家に、彼のお母さんとメキシコ人のおばさんと一緒に住んでました。そこに彼がいた時もあったけど、パチョがいた時もあったけど、なんかパチョは中国に行ったり来たりしたり、なんだか北欧の方に行ってたりとかしたり。

qbc:
それはオハイオ?

悠:
そうです。オハイオのコロンバスの家に住んでました。

qbc:
彼は何をしてたんですかね?


彼はプロのポーカープレーヤーでした。

qbc:
あ~!はいはい。

悠:
だからどこに住んでても良かったし、オンラインで全てやれたんですけど。

qbc:
あ~、オンラインで。

悠:
そうです。なんかオンラインの世界で戦ってたんですけど。でもなんかそれがだんだん、なんかアメリカで違法になったとか何とか、いろいろそういうのが複雑になった時期だったのかな。それで医者目指して何かやってたりとか、いろいろ不動産買い漁ってたりとか。
お金では全然苦労してなかったみたいなんですけど。おかげで私も家にタダ同然で住ませてもらったりしてたんで。
でも彼はいなかったし、なんか私も…なんだか訳がわかんなくて(笑)精神状態もちょっと悪かったし…。

qbc:
それで2011年にアメリカに行ったんですよね?何がきっかけで日本に戻ってくるんですかね?

悠:
それはもう、アメリカ生活に見切りをつけたっていうか。佐渡が恋しくなったからですね。

qbc:
何年に?

悠:
2013年ぐらいですね。ちょうど2年の条件付き滞在許可書みたいなのの期限が切れる頃になって、それが切れる前に帰ろうと思って。持ち家の所有権を共有してるとか、車を一緒に持ってるとか、一緒に住んでるとか、子供がいてとか、そういうのが何もなかったんで。そりゃ絶対許可下りる訳ないよなと思ったんですよ。その条件が、なくなるっていうの。それで帰ってきました。

qbc:
それで帰ってきて、どぶろくの人と出会って?

悠:
そう。日本の、佐渡の中でも限界集落と呼ばれている地域にお嫁に行ったっていうか。そっちに暮らすことになって。

qbc:
そっから3、4年、普通の結婚生活をしたと?

悠:
そうですねー。子供を育てながら。そうそうそう、2014年に子供が生まれたんで。

qbc:
そうですね、10歳。で結婚生活して、それで入院を再びするんですよね?その結婚生活が破綻して。

悠:
そう、そうなんです。それが2017年ぐらい。

qbc:
それで入院して、これではいかんなぁってなって、ちゃんと薬を飲むようになったと。

悠:
そうですそうです。

qbc:
その後はどんな感じですかね?

悠:
その後は退院して、就労支援施設っていうんですか、そういう障害のある人向けの作業所で、1年ぐらい働きました。

qbc:
30前半ぐらい?

悠:
そうですね、7年前だから普通に30前半ですね。そうそう。でも時給200円ぐらいしかもらえなくて。作業もすごい単調だったし、もうこれはつらいなってなってね。
それで、職業訓練というか。なんかサポステってあるじゃないですか、サポートステーションっていうの。なんか若者の就労支援の団体があって。そこでコールセンターの人が来て、なんか電話応対のが今週ありますみたいな感じであったので、それに行ったらなんかすごく講師の先生っていうか、コールセンターの社長なんですけどその人がすごく人当たり良くて。今度会社見学どうぞって言ってくれて、それで行ってコールセンターで1年ぐらい働きました。

qbc:
その後は?

悠:
その後は、私が通った高校の、事務の補助みたいな仕事。それも障害者枠の仕事がたまたま見つかったよってハローワークの人から連絡があって、それでコールセンターの仕事を辞めて。すごい遠かったのもあって、自宅から1時間ぐらい車で行かなきゃいけないとこだったので、それも危ない、危ないというか嫌だったっていう話で。障害者枠で勤められるんだったらすごいんじゃない?とかっていう周りのアドバイスもあって、それで4年ぐらい働きました。
なんか郵便物仕分けしたりとかね。事務、なんか雑務ですね。

qbc:
その頃は実家にいた?

悠:
そうです。

qbc:
じゃあお子さんはご両親と一緒に育ててる?

悠:
そうですね。

qbc:
で、現在に至るみたいな感じですかね?

悠:
そうですね…それで現在に至るんだっけ?えーと、高校辞めて…。

qbc:
高校は辞めたんですか?

悠:
辞めたっていうか、期限のある仕事ですね(笑)期限付きの仕事だったんですよね。
それで期限来たらどうしようみたいな感じで結構不安があって。
それでなんか、スポーツジムのインストラクターの仕事、正社員で月給21万円とかって言うのがあって。それに引かれて飛び込んだら、超長時間労働だったので、家庭とかいろいろ支障が出たので、それも数ヶ月で辞めちゃって。とかね、そんな感じです。

qbc:
ポーカープレイヤーはどこに行ったんですか?パチョは?

悠:
ポーカープレイヤーはどこ行ったんでしょう?(笑)パチョは連絡取れないんですよ(笑)その後はなんか、プロのフットサルプレーヤーにもなったし。

qbc:
フィジカル強かったんですね?

悠:
強かったんですよ~。スポーツも万能だし。1回佐渡に来たんですよね、友達連れて。コロナ直前に来たんですよね、タイミング良く。

qbc:
いい歳でしょ?

悠:
そうですね。私の2個上ぐらいですかね。

qbc:
それでお医者さん目指してた?

悠:
目指してましたね、はい。でも結局医学部の試験に落ちたか何だかで、それはやめたっていうか。その夢は絶たれて、なんかポーカーをやろうか、なんかいろいろ選択肢のある中で、それでフットサルにしたって言ってました。
その後もたまに話したりは…話したりというかチャットしたりはあったんですけど。やっぱりポーカープレーヤーというのもあって、素性を明かさないっていう感じで(笑)あんまりもうプライベートのことは教えてくれなくなっちゃって。なんか「元気?」「元気!」みたいな、たわいのないやり取りばかりだったんで、ほとんど喋らなくなりました。

qbc:
なんか、高校とか大学生とか、学生時代ってどんな生活だったんですか?

悠:
もうガリ勉でした。受験勉強ばっかりやってました。起きては英単語を覚えたり、シャドーイングしたりとか。英語がとにかく好きだったし得意だったので、英検も準一級を受けたりとかして。
でも、ALTって言うんですか、あの学校にいるALTの先生に休み時間になると話しかけに行って友達になったりして。なんか他の生徒はみんなシャイで話しかけてないから、すごい暇そうにしてるんですね。だから、トントンとかいってなんか世間話しに行ったりとかして。
まぁ、受験勉強ばっかりじゃないか。水泳もやってたし、ピアノもやってたし。まぁなんか、エネルギッシュな方ですね。

qbc:
ご両親からどのように育てられました?

悠:
あ~…結構放任っていうか…。放任でした。何になりなさいとか、勉強しなさいなんて言われたことないんですよ。勝手にやってたんで(笑)なんか早く寝なさいとかも言われなかったし。
私は次女なんですけど。多分あんまりいろいろ言っても、言うこと聞かないんだろうなぁと思われたんですかね。
私はあの、ちょっとハチャメチャなっていうか、反抗的な姉を見つつ、髪の毛染めると殴られるんだなとか、タバコ吸うと殴られるんだなとかって、見ながら覚えてたっていうか。

qbc:
ちなみにご両親はお仕事何されてたんですか?

悠:
あ~、公務員でした。

qbc:
あ、公務員なんだ、へ~。

悠:
はい。母は、この地域の民族博物館で学芸員を35年ぐらいやりました。群馬出身で学芸員の資格持って佐渡に、宮本常一っていう民俗学者のなんかアシスタントじゃないけど、追っかけみたいなのして来てて。そのまま仕事が見つかったんで、博物館で勤めてずっとそのまま続けた感じ。
で、父は事務職、県の役人みたいな感じで、高校の事務長やったりとか。土地の所有権を何かいろいろはっきりさせたりとか(笑)よく分かんないけど、事務的な仕事をしてました。

qbc:
生まれ育った場所の風景ってどんなのですかね?

悠:
風景はもう、坂道の町で。家から道に出ると水平線が、海が見えるって感じ。坂の上から。
高校の教室の窓からも海が見えたし。海が見えるのって結構安心する感じですね。アメリカにいるときは海が全然なくて。オハイオだったんで、いたのが。どこまでいっても逃げられないのか~って(笑)なんかちょっと何か息が詰まる感じはありましたね。

qbc:
あれ?ちなみにそのJさんとは?2011年っていうと…あ、連れてかれたときに?連れていかれたときに、仕事も探してたみたいな感じですかね?

悠:
そうですね~。仕事探してたり。

未来:薬を飲まないとかそういう、なんか極端な方は選ばないと思いますし。かといって平凡にというか、なんか「お母さんで子供を育てて何とか生きていきました、ちゃんちゃん。」みたいなのもつまんないと思うし(笑)

qbc:
この先5年10年20年30年、最後自分が死んでしまうというところまでイメージして、今どんな未来をイメージしてますかね?

悠:
正直未来が、イメージすごく難しいんですよね。
ただ、予想外の面白い感じで(笑)発展していくんじゃないかっていうか、なんていうか。っていうのを最近ある人に通訳してもらって、そうなのかと思って、素直にそれを受けるという感じですね。
すごい変な話なんですけど、守護霊っていうスピリチュアルガイドと言われてるような人たちとかご先祖様とかの声が、聞こえたり見えたり、イメージが見えたりする人がいて。その人に通訳してもらったところ、未来は拡大していくじゃないですけど、予想外に面白い感じで発展していくよっていうふうに言われて。だから、自分を前に出したりとか、こういうふうにインタビューを受けたりとか、noteで表現してみたりとかインスタで発信したりとか。そういうことをやったりとかやってみたいなと思ったので、挑戦したりすることで、自信もつくし、予想もしてなかったような未来が現れるよって言われたので(笑)それを何かちょっとお守りみたいな感じで持ってる感じですね。ちょっと前まではすごい未来に対して悲観的っていうか、今後どうなっていくのかなと不安ばっかりだったんですけど。なんかその通訳を聞いて、そうか、まんざらでもないのかと思って。

qbc:
悠さん、性格は明るい暗いって言ったら、どっちなんですか?

悠:
両方が強い感じですね。明るいときはすごい明るいし、暗いときはその影が余計はっきりしてるって感じで。こうやってね栗林さんとかいろんな人と話してるときは結構明るく振舞ってる部分が多いんです。なんかすごい明るくて活発な感じっていうふうに言われることもある感じで、人見知りしないと思われてるんですけど。まぁ人見知りは多分しないんだけど、だけど落ちるときは落ちてて。

qbc:
いや、話を今ここまで聞いてきて、要所要所に暗さは見えてますよ。

悠:
そうですか?(笑)

qbc:
大丈夫です。見えてます(笑)なんでそんな落ち込むんですか?

悠:
なんでかなー。

qbc:
双極性障害と言ってしまえばそれまでなんですけど。

悠:
それの影響もあるんですかね~。もうね、エネルギーが…。

qbc:
まぁ私はお医者さんじゃないから。その1型の人も今まで何人か知っているんですけど。大変ですよね、人生。やっぱり皆さん、そんなことある?っていうことに出会いやすいんですよね。

悠:
そうみたいですね。

qbc:
どうなんですか?例えば、1型の人で、SMで有名になってしまって、でももう今あんまりもう思い出せないですって人がいて。本当かどうかわかんないですけど、日本では、日本の名古屋では有名な人になったりしたそうなんですよ。

悠:
え~!

qbc:
うん、でもそういう人生になる可能性のある生き方ではあるんですね。疲れるし。そういう中で、自分はどういうふうになりたかったんですかね?
もしもの未来として、薬をこれまでも飲まずに、何かとにかく行動して、有名になれるチャンスがあるみたいな人生があったとしたら?でも、苦しいんですよ、双極だから。だったらどうします?

悠:
いや~、薬を飲まないとかそういう、なんか極端な方は選ばないと思いますし。かといって平凡にというか、なんか「お母さんで子供を育てて何とか生きていきました、ちゃんちゃん。」みたいなのもつまんないと思うし(笑)
そう。昇天したりとかするのは避けたい一方で、刺激というか求めてるんだろうな。まぁ薬を飲んで安定ていうかね、そんなにあんまり極度に幅が振れないようになっているので。多分大丈夫だと思うんですけどね。そんなになんか命の危険にさらされるようなことにはならないと思うので。それでも、その範囲内でいろいろ自己表現したりいろんな人に会ったりして、これまで通りじゃないですけど、ちょっと素直にというか破天荒に生きていきたいなと思います(笑)

qbc:
気持ちとしてはどんな気持ちでいたいみたいなのは?

悠:
気持ちはやっぱりウキウキわくわくしてたいですよね。鬱々と悶々としてるっていうのは、やっぱりすごく苦しいし。なんか多分親からしても、表情が暗いっていうと心配になっちゃうと思うし。
例えば親、例えば友達でもですけど、楽しそうにしてた方が周りも嬉しいし、自分も多分嬉しいから。そんなにこう歯を食いしばってっていうか、いやなことに耐えながら、もう泣きそうになりながら生きてるっていうよりかは、生きてく術もありつつですけど、今みたいにちょっと楽しく生きていけたらいいなって思う。
なんか今までみたいなドラマチックな事は、そんななくてもいい気がします(笑)

qbc:
ここまで振り返っていただいたわけですけど、人生の転換点ってどこに置けると思います?

悠:
うーん、大学時代のそのパチョとの出会いですかね~。そっから人生がもうなんか真逆っていうかね、なんか全然違う世界になっていったんで。

qbc:
今でも影響がある?

悠:
そうですね~。まぁ人間関係の範囲とかも国際的なってたりとかするのもあるし。そんなに何て言うか…そうですね…。
就職活動をやめろとかって言われたんですよ(笑)私が大学生で就職活動してた時、そんなリクルートスーツみんな同じやつ着て同じ時期に同じことをするなんて日本だけだよとかって、バカげてるとかって言って。言われて、あ、そうかと思って。
そっから私もなんか日本の大多数の人たちの流れから落ちちゃったんですけど。だからそれも含めて、そこがターニングポイントっていうか。

qbc:
ちなみに彼は日本に何しに来てたんですか?

悠:
留学ですね~。留学という名のポーカーしてましたけど、そのときも(笑)日本語を勉強したかったみたいで。日本語もうその当時ペラペラだったんですけど、実は(笑)なんか遊びに来たんじゃないですかね。

qbc:
その、この人についていったらっていうのは、どういう感触ですか?振り回されるっていうのはどんな。

悠:
それもね~、なんか私も若かったし、そのパチョが私の最初の彼氏だったんですよ。だから私、なんかそれしかわからなかったんですよ。だからもうそうするしかないっていうか、結婚するしかないと思ってたし、彼を疑問視したりとかすることもなかったんで、すごく苦しかったんですけど。実は、振り返れば。

qbc:
なんか周りに相談するとかそういうふうな手立ては?

悠:
なかったですね、多分。相談しても何か、ぐるぐるぐるぐる回っちゃうだけで。特に女友達だったからか知らないけど。相談してる相手もね、若かったし…。そうですね、あまり客観的な意見が出てこなかった気がします。

qbc:
ありがとうございます。最後の質問がですね、最後に残したことは?っていうので、遺言でも読者メッセージでも、インタビュー振り返って独り言みたいなものでもいいんですけど、最後に言い残したことがあればお伺いしております。

悠:
こうやって自分の人生について聞いてくださる方がいたってことは、すごく救われました。何かしてもらったっていうか、なんか何かもらったわけじゃないけど、でもなんていうか、そこにいて聞いてくださったってことがすごくありがたかったです。

qbc:
ありがとうございます。

あとがき

人には、いろいろな思いがあるのだ。

【インタビュー・あとがき:qbc】

【編集:mii】

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