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タンブリング競技の日本代表になってシルク・ドゥ・ソレイユに行くのが夢の人

弟がJACPAに通ってたんですよ。体操ができるスポーツクラブなんですけど。
体が筋肉でがちがちですごいんんですけど。高校時代はブレイクダンスとかもしてて、体が動かせるっていいなあと思うんです、そう、私qbc、運動音痴だから。
ああ(阿鼻叫喚)。
そういう意味で、憧れがあります。ささいなことですよ。歩道歩いていて、そうすると、ガードレイルというか保護柵というか、大人の伸長から見て、腰下の高さくらいに、車輛から歩行者を守るための低いバリアがあるわけですよね、守るために我々を。
その柵って、あいまあいまに切れ間はあるんですが、例えば道を挟んで向こう側のコンビニに行きたいときに、その合間がなくって、じゃあどうしよう、難しくないよ、この柵を飛び越えればいんじゃん、簡単さ楽だよ、と思うじゃないですか。
でもね、運動神経のないままに生きた結果の四十五歳という生物(せいぶつ)はですね、もしや足を引っかけてしまいかねない、と思って、慎重に慎重を重ねて、それをまたまたぐんですよ。いや違うんです、嘘です、怖いから柵の切れ間まで歩くんです。安全神話ですよ、命は何物も代えられないのです。わかります。時間なんかいらない。車になんか轢かれたくないんです。
私には憧れがありますね。運動のできる方に。
老いぼれども生き残れ! 無名人インタビューこれから始まるよー!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(無名人インタビュー主催)】

今回ご参加いただいたのは 佐野貴飛 さんです!



現在:いろいろな土地で暮らしてきたっていうのもあって。それが日本人でも外国人でも、柔軟に対応できるのが僕かなと思います。

クロマニョン:佐野さんは今何をしている方でしょうか?

佐野:僕はですね、世間的な肩書きはフリーターなんですけど、アルバイトを二つぐらいしながら、今、体操、詳しくはタンブリングっていう競技なんですけど、その競技の選手として今活動してます。

クロマニョン:タンブリングっていうその競技の説明をちょっとお伺いしてもよろしいでしょうか?

佐野:はい、もちろんです。陸上の50mのトラックみたいなの想像していただければいいんですけど、その床に少し跳ねるような素材が入ってて、その上で、8回技を行うっていう競技なんですけど。例えば、バク転8回するとか、アクロバットの競技なんですけど。

クロマニョン:はいはい。

佐野:で、8回じゃないといけないんですよね、スキルが。その中で、綺麗さ、スピード、難度を競う競技なんです。

クロマニョン:ありがとうございます。佐野さん自身はそのタンブリングっていう競技の魅力っていうのはどういうふうに感じてますか?

佐野:タンブリング選手として活動して、まだ3年目なんですけど、それまでは他の体操をやってて、ちょっとタンブリング競技に変えたっていう、体操のキャリアなんですけど。
魅力としては、やっぱりその、音。本当に花火みたいな、バンバンパンってなるんですけどね。音とかスピード感とか。
あと一瞬で終わるので、8秒ぐらいで終わっちゃうんで、競技が。見飽きないっていうのも、魅力かなと思ってます。

クロマニョン:うんうんうん。今、音っておっしゃられたと思うんですけど、競技中はそういう音について考えながら、どういったお気持ちでやってることが多いですか?

佐野:結構、自分の蹴った音で、ちょっと今日いつもより蹴れてないなとかあるんですけど。なんで、その調子のバロメーターにもなりますし。
あとは、他の選手がやってて、やっぱり強い選手だとすごい音も強くて、大きくて。まぁ音だけが魅力じゃないんですけど。
何て言ったらいいかな。そこまでやってるときはそこまで音は気にできる余裕はないんですね。空中で回ってるので。だから音が魅力って今、伝えましたけど、一般の人から見ての魅力と、その僕ら競技者からしての魅力はやっぱ多分違うと思うんで、難しいですね。そこは、答え方っていうか。

クロマニョン:なんか、どういった感情なのか、どういう気持ちで何かやっておられることが多いですか?競技中やったり練習に対してとかでもいいんですけど。

佐野:短い秒数で終わっちゃうんですけど、その中に含まれてる一つ一つの技術が本当に深いので、それを突き詰めていく競技ではあるんですけど。その見た目より、見た目はシンプルだけど、意識してることがこんなにあるんだとか、それも魅力ですかね。そういうことを考えながら練習に時間を費やします。

クロマニョン:この競技に対しては、どういったきっかけで始められたんですか?

佐野:競技は、留学の経験があってですね。その留学をその体操と英語を同時に学べる環境がいいっていうのを、いろんな人に相談してて。で、デンマークって国に留学1年半ほど行ったんですけど。
そこで、体操っていろんな種類があるので、それまでは僕タンブリングっていう競技を知らなかったんですけど、そのデンマークでタンブリングって競技に出会いました。

クロマニョン:なるほど。アルバイトを二つされてるって言われたんですけど、そちらは具体的に何をやってますかね?

佐野:一つは、鰻職人で。元々留学したとき日本の強みとかいろいろ勉強させてもらって、今いる土地にしかできないことっていうのは一つやりたくて。今、静岡県浜松市、あ、住んでるのはそのそばの磐田市なんですけど、鰻の名産地なんで、じゃあ伝統産業だしと思って、ご縁あって働かしていただいています。
あともう一つが、塾の英語の講師ですね。受験生の指導をさせていただいたりしています。

クロマニョン:今、アルバイトを二つとそのタンブリングの競技ってのをやられてるとおっしゃってたと思うんですけど、それぞれ三つは、自分の中で配分的には、どれが一番多いと思っていますか?

佐野:タンブリングであるべきではあるんですけど、なかなか生活ちゃんとしていかなきゃいけないんで。その生活の中心はタンブリングを中心に回してはいるんですけど、費やしてる時間は、そこまでやっぱり。仕事の3分の1ぐらいですね、実際に動いてる時間は。頭の中はいろんなこと考えてますけど。実際に動かしてる時間っていうのは、3分の1ぐらいですかね。3時間とか4時間とか。

クロマニョン:頭の中って先ほどおっしゃったと思うんですけど、佐野さん自身の頭の中では、どういった割合なんでしょうか?

佐野:それはもう、10割タンブリング。あと、英語もかな。6:4ぐらいですかね。タンブリング 6:英語 4ぐらい。

クロマニョン:すごい英語の割合が大きいなと思ったんですけど、何か塾の英語の講師っていうのは何か、佐野さんにとって魅力的な部分があったりするんですか?

佐野:その英語と塾の講師は直結はしてないんですけど。英語っていうものが、僕の一つの目標の中に、シルク・ドゥ・ソレイユってサーカス団があるんですけど、それが世界一のサーカス団っていう言われてて、そこに集まってくる人たちっていうのは世界中から集まってきてて、そのタンブリングの選手としてアーティストとして、シルク・ドゥ・ソレイユに参加するのが、一番の目標で。
そこでやっぱりコミュニケーション取ってくにはやっぱり英語が必要になってくるので。その英語に触れる時間は離せないですね。1日の中で。

クロマニョン:なるほど。佐野さんの1日の流れというかスケジュール的なものを、大まかでいいんですけど、お伺いしたいです。

佐野:基本的には5時とか5時半に起きて、そこから気持ち、頭整えて朝練行くんですけど。それから10時頃までタンブリングに費やして、そこから夕方の5時頃までは鰻屋さんでお世話になってて。7時から10時ぐらいは塾でお世話になってます。大体1日の流れですね。

クロマニョン:わかりました。何か趣味などございますか?

佐野:趣味は、英語が趣味ですかね。別に勉強してる感覚はないんですよね、英語を。

クロマニョン:勉強してる感覚がないっておっしゃったと思うんですけど、佐野さんが英語を学ばれてるときの気持ちっていうのはどういう気持ちですか?

佐野:なんか映画見てる感じですよ。試験ありますよね、TOEICとか。一時期頑張ってた時期ありますけど。それも、やることはやって、やっぱり夜になってくると集中力って、だんだんもう疲れちゃってエネルギーもなくって、でも英語触れたいってときには、勉強だけどお酒飲みながら勉強するみたいな。勉強を勉強って意識しないみたいな、工夫でもあるんですけど。勉強ってなると机の上に向かうっていうのも、そうなんですけど、でももっと楽しくやれたらいいんじゃないっていう感じで僕やってきたんで。
だからちょっと、勉強するとき普通お酒飲まないじゃないですか。だからちょっとリラックスしながらやってみたりとか。そういうことを続けていったら、あまり自分の頭の中でも勉強っていう感じにはならなくなってきましたね。

クロマニョン:次に佐野さんの性格についてお伺いしたいんですけど、その周りの人からどういった性格と言われることが多いですか?

佐野:周りから、よく笑うとかは言われますね。よく笑ってるねとか。
でもあと、周りというより自分で分析するのであれば、継続に関してはまめにする性格だと思います。何かにつけ、一生懸命とりあえずやってみて、ちょっと駄目だと思ってもいろんな角度から向き合って継続してみたりとか、そういう性格であると思います。

クロマニョン:それは具体的にどういう場面でそう感じることが多いですか?

佐野:もう、どの分野に対してもそう。今までいた土地いろいろ、大阪、東京、横浜、デンマーク、静岡っていろいろ来てるんですよ。その土地その土地で仕事も変えてきて。
で、海外に飛んでも、日本にいても、自分が認められてる点っていうのが一緒だったんで。そこで評価されるされてる自分っていうのがやっぱり、まめに継続するってことだったんで。だから人に気づかせていただいて、今自分で認識してるっていうイメージ。

クロマニョン:結構、周りの方から継続できる人だねみたいなのを言われたりすることが多いってことですか?

佐野:そうですね。

クロマニョン:で、自分でも、佐野さん自身もそう感じているっていう?

佐野:比べたときにそう思います。自分自身は当たり前だろうってやってるんですけど、でも周りの子が挫折してくのを見てると、すぐやめちゃうのを見てると、自分は継続できるタイプなんだっていうのは思います。

クロマニョン:他に何か、佐野さん自身で、自分はここがこういう性格してるなって感じてることってありますかね?

佐野:柔軟性はもしかしたらあるかもしれません。なんだろな、人に合わせるというか。人、相手を見ながら、じゃあこういう対応しようとか。そういう点は少し長けてるんじゃないかなって思います。いろいろな土地で暮らしてきたっていうのもあって。それが日本人でも外国人でも、柔軟に対応できるのが僕かなと思います。

クロマニョン:気になったのが、鰻職人のアルバイトを選ばれたときに、今の土地でできることをやるみたいなことおっしゃってたと思うんですけど、それはどういうきっかけというか、思いで出てきたんですかね?

佐野:まず、留学した経験がすごく大きいんですけど、留学した際に、その日本人の強みをすごく見ることができて。まぁ弱みも同時に見えたんですけど。
その強みっていうのが、日本にいないとできないこと、例えば日本舞踊だったり、殺陣、あの刀でするのだったり。あとは和食だったり。やっぱり日本にしかないものにすごく価値があるなってすごくそのとき感じて。

で、じゃあ今、そのデンマークから帰ってきて、例えば今静岡行って、ここでしかできない世界に通用する何かって視点で見たときに、鰻だったんですよね。

まあ世界が喜んでくれるっていうイメージですかね。例えば、鰻の蒲焼なんて日本でしかやってないんで。
それをやっぱ海外持ってくと、それだけで価値がつくんで。そういうことにすごく価値観を感じる人間なんで。その価値が自分の価値も上げてくれますし。きっとそうですね、自分のバリュー上げるためにっていうか。せっかくその土地にいるんだからっていう。

過去:夢なんて多分何個あってもいいと思うんで。一つ駄目だったときに、そこで崩れる自分なんて本当にもったいないんで。

クロマニョン:佐野さんは子供のときはどのようなお子さんでしたでしょうか?

佐野:子供の時は、すごく内気でしたね。インドア派でゲームやったり。あと表出るのが嫌だったり、人の前に出るのが嫌だったり。あと、車がめちゃめちゃ好きでしたね。あとは仮面ライダー、戦隊物が好きでした。

クロマニョン:内気の性格っておっしゃったと思うんですけど、それは今と比べてどうでしょうか?変化したものでしょうか?

佐野:今、だから海外とか、結構前出させていただくんですけど。だいぶ正反対になっちゃったのかなって思うんですけど。何がそうさせてるのかっていうと多分、競技性ですよね、自分のやってる。
競技がやっぱり結構アクティブなんで。ちょっとクレイジーっていうか。だから、競技が自分の性格変えたっていうところがあると思います。

クロマニョン:その競技を始める前までは、あんまりずっとそのままだったというか、そんな感じですか?

佐野:そうですね。そのとき、子供のときから持ってた夢とかがオープンにさせてくれたような気もします。

クロマニョン:小学校中学校時代はどのような生活をされてましたか?

佐野:本当に学校行って、帰ってきて友達と遊んでゲームしてるみたいなクズみたいな生活でしたね。普通の小学生。

クロマニョン:佐野さんが好きなゲームの魅力とか好きな部分ってどういった部分ですか?

佐野:僕、今はゲーム全くやんないんすけど。

クロマニョン:そうなんですか?

佐野:はい。高校、中学生ぐらいから全くやんないですけど。今、29歳でもうほとんど十何年。どうぶつの森少しやるぐらいみたいな。なんで、ゲームのことに関しては何も言えないです。

クロマニョン:そのやらなくなったきっかけっていうのは何かあったんですか?

佐野:そうですね。やってる場合じゃないなって気づきました。そんなことに時間使ってる場合じゃないっていうのは、気づいたのは遅かったんすけど。それが、大学受験1回落ちてっていう、そんときぐらい。やってる場合じゃないなって思って。そっから、英語の勉強を始めました。今だったら隙間あればそうやって英語の時間にしたりっていうのにしてます。

クロマニョン:その英語の勉強したいって思われたのはいつ頃だったんですか?

佐野:それは、大学で、体操を通して海外遠征に連れてってもらう機会がすごくあって。そこで海外の母国語が違う人同士が、例えばドイツ人とロシア人が、一緒に何かやりますってなったときに英語でやり取りしてる姿を見て、すごく衝撃受けて。お互いに母国語が違う人たちが英語で意見交換してると思って、そこにすごく感激して、それが英語の魅力なんだって自分の中で思って。俺もこういうことをしてみたいと思ってそれがモチベーションで始めました。

クロマニョン:高校の時代はあんまり英語はやってない?

佐野:あ、英語はやってないですよ、勉強は。何も。本当に何もやってないです。

クロマニョン:競技自体もそんなに?体操も?

佐野:体操自体も大学で始めたので。本当に何もやってなかったです。

クロマニョン:高校生活までについて、佐野さん自身、人生的にはどういった感じを持ってますか。どういったお気持ちですか?

佐野:いや、もったいない時間の使い方してんなって思いますよね。それが、まぁ、青春なんでしょうけど。もっと早く気づいてれば、なんていうんですかね、もっと早いうちから覚醒できたんじゃないかって、思います。

クロマニョン:大学生時代のお話を聞きたいと思うんですけど、大学生活は振り返っていかがですか?

佐野:あぁ、もう苦しいの一言ですね。苦しい、苦しい、たまに光みたいな。苦しい、だけど、たまにすごい表舞台みたいな感じでした。たまにon The STAGEみたいな。

クロマニョン:具体的にどういった生活されてましたか?

佐野:もうほとんどもう、授業終わって、練習行って、それが0時過ぎまでやって、帰って倒れてっていうその生活で。春休み、夏休みなんかは本当に12時間以上体育館にいたり。そういう生活だったんで、普通の学生生活ではないように思います。

クロマニョン:結構勉学っていうよりかは競技に熱中してたっていう感じなんですか?

佐野:そうですね。それと同時に、世界広げつつみたいな。でも、勉強はちゃんとしてましたね。

クロマニョン:その競技に入ったきっかけっていうのは、どういうきっかけですか?大学のときっておっしゃられたと思うんですけど、興味を持ったのはいつぐらいなんでしょうか?

佐野:元々、ちっちゃいときから仮面ライダーになりたくて。じゃあ、大学入ると同時に、何か繋がることしようって思って。で、体操を始めたのがきっかけなんですけれど。
回るっていったらスタントマンとかに多分なると思うんですけど、スタントマンじゃなくて本当に変身したいと思ってたんで、そうなると役者になるんですよね。

それで3年間ぐらい、僕、事務所に所属して、役者の活動やらせていただいてたんですけど。で、まぁそれが大学の卒業後の話なんですけど、そこで体操とお芝居比べてたんですよね。あのどっちも表現なんですけど、でも、何かお芝居の表現は似合わないみたいな感じで。これ一生続けられるかって聞かれたら絶対無理って思ってたんで。

で、そのときにちょうど、当時仮面ライダーやられてた先輩がいて、いろいろ相談して。本当にお前、役者で生きていく覚悟があるのかっていうそういう話になって。それはないかもしれないって。仮面ライダーやるんだとしてもそれは役者の仕事だよって。当たり前なんですけど僕気づいてなくて。わかってたんですけど、どこかで否定してたんですけど、それがきっかけで、あの留学に行くんですけど。

そこでまたタンブリングに出会って。もしかしたらこれで自分、表現したいかもしれないっていうのがタンブリングだったんですね。それで、やるからには一流になろうと決めて、もう振り切りました、役者は。

クロマニョン:その仮面ライダーが小さい頃好きで、それは小中高からもうずっと夢だったって感じなんですかね?

佐野:はい、そうです。で、ちまちま行動してたんですけど、なかなかそれが伴わず、ダラダラ時が過ぎたっていう感じで。

クロマニョン:行動っていうのは具体的にはどういった行動なんでしょう?

佐野:事務所に書類送ったり。ただそのときは本当に何も僕自身、武器なかったんで、まぁ受かるはずもないですよね。

クロマニョン:佐野さん自身、仮面ライダーの魅力ってのはどういうところだと思ってますか?どこに惹かれたんでしょう?

佐野:うーん。まず、なんか仲間思い。
仲間思いな部分と、なんですかね。なんかいつも、例えばつらい時とかあったときに、ちっちゃいながら仮面ライダーだったらどうするかなっていう、そういうメンターみたいなのに使ってきてて。それが全部、前向きな回答だったんで、だからもう自然と僕の中でヒーローになってて。じゃあ次、こういう存在になりたいって思ったのがきっかけですね、その行動に流れた。

クロマニョン:そのメンターとして使ってきたのって、小中高ずっと今までもって感じですか?

佐野:もう今はもう全くない。もう役者振り切ったときにもう、見るの嫌って言ったらあれですけど、敗れた夢なんで僕の中では。あまり見たくないっていう気持ちもありつつ、でもまだなりたいなっていう気持ちもありますけど。
だから、そこまで見てないです。仮面ライダーは。もうここ数年。

クロマニョン:小中高大とかの時代は見られてたってことですか?

佐野:もう、はい。

クロマニョン:さっきお芝居が似合わないっておっしゃってたと思うんですけど、それはどういう部分でそう思われたんでしょう?

佐野:お芝居だと、体全部使って表現するっていうのが、アクションとかあればそうだとは思うんですけど、基本的にはコミュニケーション、言葉のキャッチボールで、その表現してるんで。
それに対して、僕は男子新体操というものをやってたんで、体を大きく使って、何か一つの物語を表現するみたいなことをやってたんで。それと比べると、すごく物足りない気がして。それで自分のフィールドではないなっていうのを感じて、踏み切りました。

クロマニョン:男子新体操というのは大学の時に始めたってことで大丈夫でした?

佐野:そうですね、はい。

クロマニョン:それで留学のときに、男子新体操でされたんでしたっけ?留学のきっかけっていうのは何だったんでしょう?

佐野:留学のきっかけは、ダラダラ続いてた3年間の役者の期間を、何か一つ大きなアクションを起こして流れ変えたいと思ってたんで、その流れを振り切りたいっていうのが一つですね。
で、じゃあ留学。ずっと行きたかったので。

クロマニョン:留学に行ったことは、佐野さん自身にとって大きな変化だったんですかね。

佐野:そうですね、すごい変化ですね。日本で過ごす日常ってこんなに、なんだろう、友達とコミュニケーションこうやって簡単に取れるのってすごく幸せなんだとか。一緒のタイミングで笑える幸せとか。いろいろ感じました。

クロマニョン:どれぐらいの期間行かれてたんでしょう?

佐野:1年半ぐらいですね。

クロマニョン:なるほど。タンブリングに出会ったのはその1年半の中で、どのくらいのタイミングでしたか?

佐野:もう初めに出会って、そこから海外にいる期間はずっと継続的に続けてって。
それで日本でやりたいってなったときに、じゃあ選手にならないと続けられないっていうことで、それで選手として今活動してます。

クロマニョン:留学から帰ってきたときにタンブリングの選手となろうと思ったのは、どういう思いでなられたんでしょう?

佐野:デンマークにいた時に、周りのみんながやっぱり世界で活躍してる選手ばっかで、じゃあ俺もみんなと戦えるようになりたいって思ったのが。また代表として会えたらすごく人生も豊かなんだろうなとかいろいろ考えて。じゃあ選手として強くなろうって思って。
また一緒に体操を通していろんな仕事ができたらいいなって思ったのがきっかけで、続けようって思いました。

クロマニョン:留学中、タンブリングを通して出会った人たちは、どういった方々ですか?

佐野:デンマークでの留学の経験で一番得たことが、ありきたりですけど、自分は自分自身でいいんだっていう言葉にまとまっちゃうんですけど。
自分は自分でいいんだっていうのを、自然な振る舞いを、みんなが認めてくれた。認めてくれた仲間だったんで、一生付き合っていく仲間なんだろうなって。
今でも連絡やり取りしたり、動画送ってアドバイスもらったりっていうこともしてるんで。だから、帰ってきて3年ぐらい経ってますけど、本当に未だにそうやって繋がれてるので、さっき言った通りかなと思います。

クロマニョン:そこがモチベーションに繋がったりってのもあるんですか?

佐野:そうですね。成長見せられるっていうのも、一つの喜びです。

クロマニョン:留学から帰国した後は、どういった生活を送られてました?

佐野:すぐに日本でタンブリングを続けられる環境を探して。そこが今いる土地なんですけど。
そこに移ったときに、仕事何するってなったときに、いろいろ仕事を探して。それをやりつつ英語の勉強を継続っていう生活を1ヶ月ぐらい送った後、今の生活が始まりました。

クロマニョン:現在のところで、英語を学習して、シルク・ドゥ・ソレイユで活躍したいっていう夢を持ってるっておっしゃったと思うんですけど、それはいつごろから持たれてた夢なんですか?

佐野:体操を始めたときから。シルク・ドゥ・ソレイユは有名で知ってたんで。自分がそれ本当にやるってなったときに、すごさを本当に実感して。
こういうのやってみたいって憧れちゃったんで、体操を始めたときから視野に入ってました。

クロマニョン:仮面ライダーになりたいっていうのと先ほどおっしゃったシルク・ドゥ・ソレイユはいサーカスの夢っていうのは、交差してたのかそれとも全く違う地点から始まったのかっていうのは、どうですか?

佐野:一応その夢に関しても、あのプランAプランBって、僕の中では。プランAが駄目だったときプランBみたいな。で、今プランBです。
でも、プランBもどこかで頑張ってればプランAに繋がるかなっていうのは、気がしてますけど。

クロマニョン:一般的にいうと、同時に夢を持つってのはなかなかないと思うんですけど、両方やる夢を持つっていうのは、どういった思いだったんですか?やめようっていうのは思ったりしなかったですかね?

佐野:寝かしとくみたいなイメージですかね。とりあえず脇に置いて、こっち頑張ってみるみたいな。
そっちの方が楽かなって思ってて、ずっと。夢なんて多分何個あってもいいと思うんで。一つ駄目だったときに、そこで崩れる自分なんて本当にもったいないんで。こっち駄目だったら次こっちやってみようぐらいの。なんで、そこの時間のロスがないっていうか。だからすぐ留学に行けたんだと思います。

未来:なんか元々、一つの土地にいるっていうのが苦手で。多分、世界を多分味わいたいんだと思うんですけど、何でも無駄にしたくないなっていう気持ちはあるので。

クロマニョン:5年後10年後、あるいは死ぬときまでを想像していただいて、未来についてどういった思い、イメージっていうのをお持ちですか?

佐野:僕自身は1日1日ベスト尽くして、未来を作ってくタイプの人間なんですけど。さっきから言ってるけど、シルク・ドゥ・ソレイユにもし入団できるとしたらって、まぁ考えるときがあるんですけど、タイミングとかにもよりますけど、3年後ぐらいにはいたいかなってすごく思ってるんで。

その夢をかなえた時の自分が、どういう自分であったら今の自分が誇らしいのかみたいなことを考えることがあって。で、それが今の、じゃあインスタ始めようとか、note始めようとかで。そうやってファンを作って、夢を叶えた自分が、いろんな人の人生の隙間に影響を与えられるような、自分であったらいいなと思って。想像できるのは3年後ぐらいまでです。

クロマニョン:3年後っていうのは、その数字に何か意味っていうのはあるんですか?

佐野:もうそろそろ出たいんですよね、この土地を。すごく飽き性なんで。
シルク・ドゥ・ソレイユ入って何がしたいかっていうと、タンブリングっていうものを通して、世界中を回りたいっていうのが一番の野望なんで。で、そこにいる世界中から集まった仲間と英語でコミュニケーション取ってやってる自分がかっこいいなって思ってるんで。
だから本当は、できれば、できるだけ早く出たいんですけど、技術が伴ってくるのが3年後ぐらいかなって思ってるんで。で、3年後にしてます。

クロマニョン:技術が整うっておっしゃられたと思うんですけど、そういうのは、ご自身でわかったりするものですか?

佐野:わかりますよ。体操なんて、本当にできるかできないかなんで。細かいことはないです。見て、できてるできてないが本当に残酷なまでにはっきりする競技だと思うんで。だから、基準はわかりやすいですよね。

クロマニョン:何年後できるなっていうのが、わかりやすいんですか?

佐野:本当にできてるかはわかんないですけど、今の自分のモチベーションと、あとは家族に何も起きない限り。

クロマニョン:他にそのシルク・ドゥ・ソレイユ以外に、何か未来で想像してるものとかありますか?こうしたいみたいな。

佐野:駄目なことはほとんど考えてないんですけど。駄目だったときにでも僕は世界を回りたいんで、じゃあ仕事で世界回れた方が僕かっこいいなって思ってるんで。それで、それできるのってやっぱりCAとかかなとは思ってるんで。外資系のCA受けてたりするのかなとか。

クロマニョン:そういう夢はやっぱり、競技やっていく中で考えたりするってことですか?

佐野:みんな考えてると思いますよ。本当、いろんなそれこそオリンピックの代表選手だったり、それこそタンブリング競技の代表選手だったりっていうのが、一緒の体育館にいて練習してるんですけど。やっぱりそういう話になります。今のキャリアが終わって次のキャリア。

クロマニョン:佐野さんは世界というものに魅力を感じてると思うんですけど、それは留学っていう経験から来たのものなんでしょうか?それとも他に何かから影響されたのでしょうか?どう思いますか?

佐野:元々、一つの土地にいるっていうのが苦手で。多分、世界を多分味わいたいんだと思うんですけど、何でも無駄にしたくないなっていう気持ちはあるので。
例えば、Tシャツを雑巾になるまで使ったりとか、で、雑巾にしてちゃんとゴミ箱に捨てるとか。そういう何かその素材を全部生かしたいっていう自分がいるんで、自分自身が、世界の素材を全部味わいたいっていう性格なんだと思います。

クロマニョン:それは、生まれ持ったものみたいな感じですか?

佐野:もしかしたら、はい。

クロマニョン:これをするまで死ねないっていうものも、あったりしますか?

佐野:それは、孫の顔を母に見せるとかですかね。で、母をしっかり幸せにするとか。

クロマニョン:それはどういった思いで?

佐野:今もすごく応援してもらってるんで。それこそ経済的にも。
大丈夫かって聞かれて、大丈夫だよって言っても、勝手にお金持ってきたり。そういうことしてくれるんで。恩を返さずには死ねないですね、やっぱり。絶対輝いてるものを見せてあげて、母が幸せを感じてくれるような瞬間作ってあげられたら、素敵な人生だったなって思います。

クロマニョン:家族は、佐野さん自身にとってどういう存在ですか?

佐野:父に関しては、ケツたたき機みたいな。あと、母に関しては、僕が一方的にやっぱり恩返ししたいなって思っています。家族というよりも、個人ですかね。父、母みたいな。

クロマニョン:母に恩返ししたいっていうのは、いつごろから思われたことなんですか?

佐野:社会に出てから強く思いましたね。母のすごさを。

クロマニョン:なるほど。今までの人生に点数をつけるとしたら、100点満点中で何点ぐらいだと思いますか?

佐野:中学、高校、大学、社会人って点数つけていくなら、だんだん上がっていくイメージですかね。大学も社会人も、頑張ってると自分の中で思ってるんで。
そうだな。今の自分に点数つけるなら、70、80ぐらいあげてもいいんじゃないかなって思ってます。

クロマニョン:グラフ的に考えると、なんかずっと右肩上がりみたいな?

佐野:そうですね。

クロマニョン:もしもの質問をしたいと思うんですけど、もしも佐野さん自身が、仮面ライダーになりたいっていう夢を持たなかったとしたら、どういう人生になったと思いますか?

佐野:世界観は狭いでしょうね、きっと。
仮面ライダーになりたいって思ったから東京に出たし。東京を狭いって感じたから、海外にも視野が入ったし。なので、もしも夢を持ってなかったら、そのまま小さい町、田舎町にいて、文句言いながら仕事してたんじゃないかなって思いますね。
人生詰んでたんじゃないかなって。

クロマニョン:最後に、佐野さんのこれからの人生の中の目標をお伺いして、終われたらなと思うんですけど。

佐野:今の目標は、タンブリング競技の日本代表になって、世界大会で戦える選手になって、シルク・ドゥ・ソレイユに行くっていう流れが、僕の今の夢、目標です。

クロマニョン:ありがとうございます。

佐野:ありがとうございました。

あとがき

夢って持ち続けないと死にそうじゃないですか?
凄ーく壮大なモノのように感じます(@_@)

私の将来の夢の遍歴は、警察官、公認会計士、建築士、保育園の先生、アイドル、舞台美術監督、インテリアデザイナーなどなど。
ちなみに今はテレビディレクターになりたいです。
こんなにころころ変わっていくなりたいもの/ことが、きっと歳を重ねるごとに少しずつなくなっていくのかなと思うと怖いなーなんて思ってました。

今回のインタビューの中で魅せられた、夢を変えながらも常に夢を持ち続ける、追いかけ続ける、佐野さんの姿はとてもかっこよくて怖さが吹っ飛びました。

かっこいい自分を常に追い求める私でいたいですね。人生のやる気を頂きました。
素敵なインタビューありがとうございました!全力で応援しています!!

【インタビュー・あとがき:クロマニョン】

【編集:mii】

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