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アダルトチルドレン当事者グループ主催の二人の人 に聞いてみた

アダルトチルドレンという言葉を知ったのはいつだろう。20年くらい前じゃないだろうか。
なんだろう。どこでしったのか。ネットでしったのか。学生のときか? そうなのだろうな。
この長いつきあいの言葉を中心に置いて「当事者会」というものを運営しているお二人からお話をうかがってみた。
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】

今回ご参加いただいたのは みよさんとソラみさん です!

みよさん

ソラみさん

アダルトチルドレン当事者グループ「あすか会」について

あすか会とは?

qbc:
あすか会というのは、どういった会なんでしょうか?

みよ:
私達はアダルトチルドレンでして。
親との関係性が非常に複雑で、友人だったり会社だったりで親子関係のことを話す機会っていうのがないので、当事者同士で集まって自分のこれからを話しながら一緒に考えていく、そういう場所をやりたいねっていう感じで立ち上げました。
アダルトチルドレンの皆さんが、吐き出しながら前を向いていくための場所という自助会です。
当事者が集まった団体を当事者会と言いますが、自分に対してアプローチをするため特に自助会と表現しています。

ソラみ:
ACあすか会の名前の由来が「アダルトチルドレンの明日を考える会」で、略してACあすか会なんですけども、被害者にも加害者にもならないようにということをモットーに掲げています。

https://bsky.app/profile/ac-asuka.bsky.social

みよ:
そうですね、それが一番私達が大事にしてることです。

ソラみ:
というのも、私たちは親子関係においてずっと被害者でしたが、大人になってからできた人間関係では被害者ではなく加害者になることも時にはあるんです。そのため、”どっちにもならないように” というのを意識していきたい気持ちがあります。

qbc:
なるほど。何かその被害者・加害者について、具体的なエピソードをいただけたらと思います。いったい、どんなものなのかなと。

みよ:
友人やパートナーなど近しく感じている人と喧嘩をした時、特に被害者意識で考えやすいかなと思います。
当事者研究っていう考え方がありまして、自分から距離を置いて自分自身を研究対象として見ることによって、一歩離れて客観的に自分を観察するっていう考え方なんですね。
そういう風に自分を客観視すると「あれ、あの喧嘩で自分が被害者のつもりだったけど、もしかして加害者になってなかった?」みたいなことがよくあるんですよね。

親子喧嘩にしても、もちろん親が変だから親が悪い部分もあるんですけれど、「親が悪い」という所でずっと固まってたら、いつまで経っても被害者の立場から抜けられない。
そういう意味も含めて被害者にも加害者にもならないように、これから中庸に生きていくためにっていうニュアンスですね。


アダルトチルドレンとは何か?(あすか会代表の理解)

qbc:
その自助会の中で、アダルトチルドレンとはどういうものかっていうふうに考えてらっしゃったり、こういう認識だよみたいなのがあれば教えてください。

みよ:
虐待を受けて育った人たちっていうのは、子どもの頃から大人のような役割をしないといけなくて、ありのままの子どもでいられない時期があったんですね。
その結果、心の中に子どものまま成長できてない部分を抱えたまま…それはインナーチャイルドって言うんですけれど、それを抱えたまま大人になってしまった人たちのことです。

ソラみ:
あと何だろう、私は誰かに対して説明するときは「親がしんどい人」という感じで言いますね。
「機能不全家族」という言葉はちょっと専門用語に近いので、親との関係があまり良くなかったとか、ちょっとしんどかったっていう感じで表現してたりします。

qbc:
これは定義として厳密なものを聞こうっていうわけではないんですけど、アダルトチルドレンって何なんですかね。あすか会さんの中で共有されているものをお話いただければ。

みよ:
概念ですかね。
だから、当てはまってると自分が思ったなら「私はアダルトチルドレンです」って言えばよくて、もう当てはまってないなって思えば言うのをやめて、それでいいんですよ。

ソラみ:
暴力を振るってくる親だけが毒親ってわけでもないし。
身体的暴力を振るわれることはなかったけれども、精神的暴力であったりとか、性暴力・ネグレクトなど、なんというかぱっと見て「それが暴力である」だと他人に認識されにくい暴力も暴力の一部だと思っています。
親がどうこうっていうよりも、自分でアダルトチルドレンかなとか、自分はそうかもしれないなって認めることが、第一歩かなと私は思ってます。

みよ:
そうそう、私達が会の名前をつけるときに、候補としては虐待・アダルトチルドレン・機能不全家族の3つがあったんですよね。
その中で、アダルトチルドレンっていうのは自分自身に目を向けている言葉なので選びました。

虐待は言葉が強すぎるじゃないですか。ソラみさんが説明したように、虐待って言うほどじゃないけど、親がしんどいんだって人もたくさんいらっしゃる。
機能不全家族っていうと、親に良くしてもらったこともあるんでそこまで家族全体を批判するようなことは言いたくないって人もいらっしゃるんですよ。

なので私達の場合は「”自分自身のこれから”というのがテーマ」だったので、自分自身にフォーカスするアダルトチルドレンが一番適してるねって。

ソラみ:
ええ、そうですね。
あすか会の説明でちょっと抜けてたとこがあるんですけど「親からされたあれこれを語るよりも、これからの自分たちの人生の方が長いし、親のことよりもこれからの自分たちのことを考えていった方がいいんじゃないか」みたいなのも含めて、あすか会で名付けたと思います。よね?

みよ:
はい、合ってる合ってる。

qbc:
ACあるあるというか、アダルトチルドレンだとこういうことが起きやすいんだよね、今現在…っていうことって、どんなことがあるんですかね。

ソラみ:
近い人間関係で親子関係の再演をする。

みよ:
そうやね。

ソラみ:
他人や第三者から見たら「それって親御さんに似てない?」「今仲良くしてるその人って親御さんみたいじゃない?」って思われるように完全に親子のやり直しをしてるんやなってのがわかるんですけど…
なんか当事者として渦中にいて真っ最中な時は「全然親とは別だよ」という風に思ってるんですよ。でも親と一緒にいたときのような苦しさがあったり、いろんな言葉を飲み込まなあかんかったり、顔色を窺っているとか…
やってる行動は親子関係のそれと似てるんですけど、何か自覚がちょっと薄いというのかな。

みよ:
再演っていうのも、相手…友人や恋人を、親にそっくりな人を選ぶっていうパターンもありますし。
モデルケースである親が歪んでるんで、意識せずに親と同じ思考・同じ言動を自分が繰り返してるっていうこともありますよね。

qbc:
それって、何か学説とか説明がもうすでにある現象なんですか。

みよ:
私達が自分でどう考えてるかっていうことにはなっちゃうんですけど、結局、適切なモデルケースがないってことなんですね。
普通だったら親子間で、子どもの間に「友達にそんなこと言っちゃ駄目だよ」って言われたり、叱られるときも人格否定をされずにやったことだけ叱られるものなんですけれど。
やったことと関係なく、例えばうちだと「あんたらこんな困ることやって、お母さんをそんなに悲しませたいんか」とか言われて、「私達がなぜ失敗してしまったか」というのには目を向けてもらえなかったんです。

ソラみ:
私の体験談ですと。当時、私がしでかした行動ややってしまった失敗が、全て母親の感情に結びつけられるとか、「私(母)をがっかりさせるためにそんなことをしたのね」とか。

みよ:
言われた、言われた〜!

ソラみ:
当時の私は「母をがっかりさせるため」なんてことは一切考えてなくて、母のことよりも自分自身のことでいっぱいいっぱいだったんです。なのに、母は(母自身の感情の)因果関係を全て私の行動と紐づけようとしてきて。
言い返したいけど、言い返したら倍以上になって返ってくるためその場では言えませんでしたが、心の中で「私の意思、ちゃんとあるんやけどな母とは関係ない所で」と思ったりしてました。
私は母親から、「私(母)のことを喜ばせてちょうだい」ってしょっちゅう言われてたんですよ。

いやいや「私の行動であなたが喜ぶかどうかは、あなたが決めればいいんじゃないですか」って今なら思うんですけど。
でもずっと昔からそう聞かされてたので、私自身の意思っていうものはいつの間にかなくなっていましたね。当時は。

みよ:
やっぱ誰だって自分がやってるのが親と一緒だとかあんまり思わないし、それが普通だと思いますんで。

qbc:
他の方法を知らないってことですかね。自分の家族以外にモデルケースがないってことは。

みよ:
そうなんです。

ソラみ:
「そのコミュニケーションしかやり方を知らない」というか。
だって、生まれてすぐ目にする人間関係や接する人間関係って、”親子・家族の関係”だと思うんですね。その家族の関係において「どんな感情を出しても親が受け止めてくれる」とか「どんな感情を出してもどんなことを言っても人格を否定されない」とか、そういう安定したものが一切ないままずっとその家庭で育ってきて。
進学していく毎にいろんな人と接することが増えますが、でも根っこの親子関係がそういう感じなので、自分の感情を出すことも怖くなるし、自分の感覚や感じること自体も「本当に私自身がそう思ってるのか」等、信じられなくなってくるんですよ。


あすか会の活動内容

qbc:
ACあすか会の具体的な活動内容って、どんなことでしょう?

みよ:
自助会としてはあんまり参加者さんと距離を近くしすぎるべきではないと思ってまして。
我々は医師とか専門家ではないですし、自分たちのそれぞれに向き合うための仲間であって、友達ではないんですね。
交流会なども設定したりしてるんで、あすか会は結構親近感があるグループだとは思うんですけど、それでも主催側から「友達ではない」ってはっきり線引きはして、参加者の方に対応してます。
やっぱりみんな対人関係に課題を抱えていらっしゃるので、そこの線引きを誰かがきっちりやって、「ここはこういう人たち、こういう関係だからね」というのを経験値として積んでいかないと、いつまでたってもうまくいかないんで。

ソラみ:
「”(意識的に)線を引く”ということを時々していった方がいいのかな」と思っています。

みよ:
会としては2ヶ月に1回、できるだけ対面で開催しております。

qbc:
それ以外の交流っていうのは?

みよ:
気が向いたらクリスマス会をやったり。

ソラみ:
そうですね。季節イベント。ハロウィンやクリスマス会とか。たまにピクニックみたいな感じで、「どこかの公園に集まりましょう」みたいな。

みよ:
「友達とはどんなものなのか」が、いまいちわからんみたいな人もいるんでね。「こんなふうに集まって楽しかったら何でもいいんだよ、友達という枠に拘らなくてもいいんだよ」みたいな。

ソラみ:
コロナ禍の時期を挟んでいたこともあったので、そういう時はオンラインのZoomでやってました。
あすか会は立ち上げが3人だったのですが、そのうちの1人が関西を離れることになり抜けまして、そこからは対面でやっています。3人体制のときはオンラインで2ヶ月毎に1回開催していました。

qbc:
なんか集まったときの内容ってそのタイムスケジュール的に言うと、どんな感じのことをされてますか?

ソラみ:
タイムスケジュールは、ルール説明して自己紹介して、2分間の持ち時間制で何周か順番通り話します。
1時間に1回くらい10分休憩を取って、終盤は「クロストーク」といって「よく出た話題や気になったキーワードを元に、みんなで順番関係なしでお話していきましょう」というような感じで進めています。また、テーマを毎回決めてやってます。

qbc:
テーマは、直近だと何を話されたんですか?

ソラみ:
「もう1人の自分」が9月ですね。
7月は「頼ること頼られること」、11月が「本当に欲しかったもの」だったかな。

みよ:
「もう1人の自分」は人によって解釈が分かれてすごく楽しかったですよ。
テーマは毎回あるんですが、それについて何を喋るかは自由なんですよ。

ソラみ:
ちょっと哲学っぽい感じで。

みよ:
思いつかなかったら、テーマ関係なく自分の喋りたいこと喋ってもいいですし。
今回の「もう1人の自分」は例えばインナーチャイルドだったり、何だっけ、イマジナリーフレンド?

ソラみ:
そうそう、イマジナリーフレンド。
イマジナリーフレンドとは、「子どもが想像の中で作り出す”架空の友達”」のことを指すそうです。

みよ:
それから解離の話とか、当事者研究という手法も「もう1人の自分」と言えそうだよねって話が出たよね。

ソラみ:
あと私は「仕事中の自分はこんなんで、普段のプライベートはこんなんで、全然キャラクターが違うんですよ」「どっちも楽しんでいてどっちも大事にしてます」という話をしました。

qbc:
何人ぐらいでやってらっしゃるんですか?

ソラみ:
参加者の人数ですか。

みよ:
大体10人を目安に募ってって。

ソラみ:
部屋の大きさにもよるかな。

みよ:
でも最大12人やね。

ソラみ:
そうやね。大体それぐらい。
あすか会は持ち時間制なので、大体、1周の所要時間が計算できるんですよ。「できる限り3周は回したいよね」というのがあって、なのでそれ以上人数を増やすと時間が足りないんですよ。

qbc:
じゃあ会員リストがあるわけじゃないんですか。

ソラみ:
ないですね。「都度お申し込みしていただく」という感じです。

qbc:
ちなみに募集っていうのはオンライン?

みよ:
はい、SNSでアカウントを作ってまして、次回の告知と同時にGoogleのアンケートフォームでお申し込みいただいて。なのでテーマによって参加する・しないを決めてる方もたくさんいらっしゃいます。

あすか会の成り立ち

qbc:
なぜ自助会を始めたのか、を教えてください。まず、設立は何年前ですかね?

ソラみ:
6年ですね。

qbc:
6年前はどうして始められたのかっていうのをお聞きしてもいいですか。

みよ:
当時、「エデン梅田」という店舗がありまして、1日バーテンっていうのをできるシステムのお店なんですね。バーテンさんがその日のテーマを好きに決められるんですよ。
尖ったテーマも多いので、ぜひお近くの店舗のGoogleカレンダーをチェックしていただいて、興味のあるタイトルがあれば参加してみてほしいです。

イベントバーエデン

そこで私が「アダルトチルドレンがくだを巻くバー(通称:ACくだまきバー)」っていうのをやってまして。
ソラみさんともう1人の方が同じ日に遊びに来て、3人で意気投合して、今は抜けられた方が「自助会っていうのをやりたいんですよ」ってすごく熱く語られて、「え、じゃあやりましょうよ」ってその場にいた3人でまとまったんです。

qbc:
コンセプトは、いつ固まったんでしょう?

みよ:
その時に固めました。

qbc:
やろうって言ってからコンセプトを作った感じですか?

みよ:
そうそう。「ACくだまきバーみたいに当事者で集まって、こんな感じで話をしたいんですけど、でも人のためではなく自分のためにやりたいんです」みたいな。
だけど自分1人でやれるかどうか不安があるからってことだったので、じゃあここにいる3人でやったらいいんじゃないって言って
虐待でも機能不全家族でもなくアダルトチルドレンで行こうとかね、こういうコンセプトでやろうってほとんどその場で決まってしまって。

qbc:
過去をあんまり振り返らないとか。

みよ:
振り返らないまでは言ってないですね、執着しない。

qbc:
ああそうか、失礼。ニュアンスで大違いですね。

ソラみ:
「自分たちのこれからを話そう」みたいな。

みよ:
まあ語りたいのがね、主に恋愛だったんですよ。

ソラみ:
そうやったっけ。

みよ:
そやで、そやで。
私があんまり悩んでないからなーって最初一歩引いてたんですけど、既婚者で子持ちなんで、「え、アンバサダーでおってよ」みたいな感じになったよね。

ソラみ:
ちょっと覚えてないわ。

みよ:
ソラみさんが「失恋や今の恋が」っていう話で、もう1人の方が「結婚考えてる相手はいるけど不安があって」みたいな感じで。
なので自分たちがパートナーとうまくやっていくためにっていうのが元々やりたかったことなんですよ。

qbc:
やっぱりその人間関係っていうところに、っていうか人間関係にしか問題起きない感じなんすかね。アダルトチルドレンっていうものは。

みよ:
いや、人によります。

ソラみ:
そうじゃない場合もある。

みよ:
ただその…対人関係に行く以前の状態って、だいぶ重たい状態の人なので。そこまであすか会でやってしまうと、ちょっと自分たちの許容範囲を超えるなっていう感じです。

qbc:
じゃあ、もうあすか会を始めるっていうのは、スムーズに始まったって感じなんですかね。

みよ:
その場で、じゃあいつやろうみたいな感じであっという間に決まりましたね。
知り合った月だったか翌月だったかに、とりあえずオンラインでスタートして。オンラインでやって人が来たから会場借りようみたいな。
こういう記憶は私強いからね。

ソラみ:
あ〜。私、なんか見知らぬ人の記憶聞いてるみたい。(笑)

みよ:
ソラみさんは、解離性健忘で記憶を維持できないところがあるんです。

ソラみ:
そうですね、なので新鮮な気持ちで聞いてました。はい。

qbc:
それから、順調に会として成長していったのでしょうかね。

みよ:
気がついたら6年になってた感じです。

ソラみ:
そうですね。うん。

qbc:
会を運営されていて、お二人は、どんな気持ちですか?

みよ:
私は面白いです。

ソラみ:
そうですね、私も面白いですね。私とみよさんの得意分野が割と違う方向で、それぞれの得意を生かせてる気がするんですよ。
みよさんはIT関係がとても強いので、Blueskyであったり、X、Twitterであったり、チラシ作成であったり。
私は、デジタル音痴なんでできないんですけど、私の場合は集客というか。参加者さんに声かけたりとか、他にもイベントとかソロでいろいろやってたりとかするので、顔が広いというか。そこで「こういう会を私やってるんだけど、どう?」みたいな。「親のことを話すんじゃなくて、自分たちのこれからのことを話していく会だよ」みたいな感じでお誘いしています。はい。

みよ:
完全に営業と広報が分かれてるね、うちらは。

ソラみ:
そうそうそうそう。しかも「どっちもそれがしたい」みたいな感じの、得意の方向がそれぞれうまく分かれています。

みよ:
私も本当は営業したいんだけど、子どもがいてシェアハウスもやってて他にも趣味とかやりたいことがあるんで、時間が足りないんですよね。
ソラみさんは自由が利くから、あっちもこっちも行くからって宣伝してくれて、すごいありがたい。

ソラみ:
私もできないことをやってもらってるのでめっちゃ感謝してます。


自助会参加者事前アンケート

1,現在、どのような悩みや問題を抱えていますか? 

qbc:
今回、インタビューを行うにあたって、事前に参加者の方にアンケートをとったわけですが。
そちらを見ながらコメントをいただく形でインタビュー進めたいと思います。
さっそく最初の質問は、いかがですかね? 現在抱えている問題というところですが。

みよ:
普段、あすか会で話されている内容が書かれていますね、アルコール依存だったり。宗教2世、発達障害その他のメンタル系の疾患を抱えてる方も多いです。自分のソレに全く理解してもらえないとか。

ソラみ:
「母が強い・母が口うるさく過干渉で言ってくる」などはよく聞きますね。

みよ:
そうですね、母が強めですよね。全体的に。

ソラみ:
母子癒着が結構ひどめ。父親はいい父親だったかっていうと全然そうでもなくて空気みたいな存在だったり、無視というかな。

みよ:
それにモラハラ、暴力ね。

ソラみ:
そう。暴力を見過ごすような、モラハラみたいな感じもあったりして、やはりそれぞれあります、いろいろ。

2,ACあすか会に参加しようと思ったきっかけは何ですか?

qbc:
2問目はあすか会に参加しようと思ったきっかけですね。

みよ:
基本的には勉強になる、勉強したかった、ということで自主的にあすか会にたどり着かれてる方がすごく多いですね。
でもこの質問は、あすか会の最初の自己紹介の中で「今日どうして参加されましたか」っていうのを毎回聞いてて。アイスブレイクとして。

ソラみ:
そうそう。

みよ:
なので大体それと同じですね。

ソラみ:
実はACの会自体が元々少なくて、選べるほどはないんです。
例えば発達障害の自助会は、関西はたくさんあるんですけど、ACの会がほぼほぼない。っていうのに加えて「これからの自分たち」を考えていこうというのもほぼないという問題もありますね。

みよ:
そうですね。他の会もあるんですが、もうちょっとしんどい状態の人向けのところが多いんですよ。ある程度自分について考えて「もうこんな自分は嫌だから変えたいんだ」って(対人関係の在り方に意見が欲しいような)ところに達した人にとっては少し物足りなさもあったりする。
それであすか会に来られる方は結構積極的な方が多いです。

ソラみ:
「ご自身の中で結構割と整理してるな」という印象があります。

qbc:
自分に合ったコミュニティ探しをするときって、お二人はどうやって集めてこられたんですか?

みよ:
ネットで検索して参加してみたり、そこの参加者さんのお話聞いてとかですね。

ソラみ:
あとは居場所系っていうのかな、イベントスペースに最初は顔出したりとか。
私、発達の自助会もあすか会と大体同じぐらいの6年位前から開催しているんですね。ただ、「ずっと1つの会を継続してやっている」というわけではなくて、「単発で毎回テーマを変えてイベントや自助会を開催している」という形式で継続してきました。時には、他の人が主催する会やイベントに参加してきました。そうしていく内にいつの間にか顔見知りや居場所が増えていきましたね、私自身は。

qbc:
そういう居場所探しみたいな活動って、何をきっかけに始まるものなんですかね?

みよ:
私は「底つき体験」ってよく言いますね。「もう自分の人生本当に嫌だけど、自分が変わる以外絶対どうしようもないと思うから、どんなことがあるとしても自分が変わってやる!」っていう経験をすると、すごくポジティブに皆さん動き始めるなと思っています。

ソラみ:
私は、みよさんとちょっと違っていて。
「ある意味では諦めにも近いような感じで。例えば、結構自分のことをかわいそうがっていたり、”親がどうのこうの”とか言っていても、でも…だからといって何か、新しい何かが手に入るわけでもないし、今までの馴染んだものや見慣れたものばかりが目に入ってくるし、このままずっとこれでいくのか?これでいいのか?」みたいな風に考えてたりして。
ぬるま湯につかったカエル?茹で上がったカエル?でしたっけ。みたいな、そういう状態。

熱湯で茹でられたカエルは熱さでピョーンとすぐに逃げていくのに対し、水から茹でられたカエルは、「”実は既に茹だっていた”ということに長年気付かず、やっと気付いた時にはもう手遅れで、手が付けられない状態」みたいなことがあるとして。私は、「そういう風に私自身がなってしまうのは嫌だな」と思って。では、「今できることはなんだろう?これからできることはなんだろう?」と思ったら、やっぱり「今ココを何とかしていくしかない」という感じで、日々足掻いてきた感じです。はい。

qbc:
それって年齢的なものとかあるんでしょうか、それとも生活のステージ的なところでしょうか。

みよ:
主に対人関係だと私は思います。
恋人のこともあるし友人のこともあるし、親に対して自我、反抗心を抱いたっていうこともありますし、あとは会社だったりですよね。
自分の世界に自分以外がきちんと発生したときって感じています。

qbc:
なるほど。その人間関係問題と、アダルトチルドレンという概念が結びつくときって、どういうときなんでしょうか?

みよ:
アダルトチルドレンまで結び付く人は結構限られてると思うんですよ。
対人関係が苦しいって思いながらいろんな本を読んでいく中で、うちは虐待ほどじゃないんだけどなーって思う方が一番多いんじゃないかな。
でも虐待あたりまで来ると機能不全家庭のキーワードが出てくるので「あれっ?」ってそこで引っかかって、人によってはそこでアダルトチルドレンに繋がることはあるかもですけど。
あすか会に来る人の中には、「あすか会で初めてアダルトチルドレンという言葉を知りました」とおっしゃる方もいます。
なんか漠然とね、対人関係を中心に自分が何かしんどいって感じる。そのしんどさは自分のせいなのか?なんか違う気がする。みたいなところでちょっと葛藤してる人が、いろいろと調べ始めて、こういう自助会に繋がってくださるっていう感じです。


3,ACあすか会に参加するようになって、参加前と参加後で何かご自身の変化はありましたか?

qbc:
3問目ですね。参加するようになって変化がありましたかという質問。
ポジティブな効果が得られていると思うんですが、これは、なぜ、良くなるんですかね? 会を主催していて、どう感じていらっしゃいますか?

ソラみ:
想像するに「私はこう思う」っていうのが言えるからじゃないですかね
というのは、お友達同士であっても「親と関係が悪くて」とか「小さい頃こういうことがしんどくて」と言うと、大体普通のご家庭の人・親がしんどい家庭を知らない人は
「いやそんなこと普通だよ」
「親御さんもあなたのためを思って言ってくれたんだよ」
「親には感謝しなきゃ」
など、「AC当事者でもそれが普通だとわかりきっている。だけど当事者にとってそれはきついよ」みたいなことを言われるんですね。
それで忖度するようになる、というか…
「こういうことを言ってもどうせわかってくれないしな」とか「非難されるしな」みたいなことを感じて、「私はこう思う」という、主語を『自分』にした、自分の気持ちをどんどん抑圧していくようになるんです。
あすか会で話すと、「私は昔こういうことがしんどくて。そして今現在、こういうことがしんどくて」などと語っても、誰からも非難されず、誰からも茶化されたりしない。過度に共感されたりもしないから、安心して自身が体験したことを話せる。
こういうのを「自分の言葉を取り戻していける過程」という風に私は解釈しています。

みよ:
やっぱそれですよね。「自分の意見なのか、親の意見なのか、自分の口をついて出るのは”誰の意見なのか”」というのを自覚される。
親の意見にとらわれてぐるぐるしてる参加者さんもいらっしゃるんですけど、あんまりぐるぐるし続けているときは、主催の方からも少し中断して声かけたりしてます。例えば「あなたの仰るそのご意見は、あなた自身の考えですか」という投げかけは結構するんですよ。そういう投げかけを親から受けてきてない人がほとんどなんで。

ソラみ:
ご自身の意識の中で「誰がそう思っているのか」というのがごちゃまぜになってしまっていて、「脳内の親が言っていることが自分の本心なんだ」みたいなことを長年言ってたりするから、その人自身区別がついてないんだと思うんですけど。
何回か参加していくうちにその辺を区別できるようになってきた方もいらっしゃいますし、「”過去の自分が考えてることなのか、今の自分が考えてることなのか”などの区分けもできるのではないか」と個人的に考えています。

qbc:
自分と他人との境界線問題なんですかね。
家族の問題としてとらえてしまって、自分の問題ととらえられない。
自分が確立されていないから、問題が起きるんですかね?

ソラみ:
いや、確立していないからではなくて、尊重されてこなかったんですよ。
「あなたは1人の人間だよ」みたいな尊重はされてこなくて、なんていうのかな、親からしたら「私がこんなふうに考えてるんだからあなたもそうでしょう」と、親と同化してる風に決めつけられてしまっている。

例えば、食べ物の好き嫌いの話で言うと、私の母親は牡蠣が好きなんですが、「私(母)が牡蠣が好きなんだから、あんた(娘)も好きでしょう」とか。
他にも、母親はキャラクターがプリントされているモノが好きではないのですが、それに対して、娘も同じようにソレを嫌っていると思い込んでいる。「あなたもこれが好きじゃないわよね」と、娘の意見を聞く前に勝手に決め付けて取り上げるなど。
もう子どもを自分の所有物のように扱っていて、なんなら自分の手足、もっというなら足先の爪の一部みたいな、自分の体の一部と思ってるんじゃないかっていうぐらい、すごく一緒くたに扱われて同化させられたというか。なので、とてもしんどかったです。

みよ:
うちはもうちょっと言葉がマイルドなので、言葉だけ捉えると普通の人っぽい感じのことばっかり並べたてるんですけど…以前私がインタビューしていただいたときに、学校の話ですごく語っちゃったじゃないですか。

高3までずっと私は同じ大学を第一志望で模試とか受けてきてたんですよ。三者面談でまで「この子はしっかりしてるから全て任せてます」って綺麗ごと並べてたのに、受験する段階で「あんた就職やで」って言われて。「いやもうなんで今!?」って絶望しましたよね。「あんた頭いいからお母さんが言いたいことわかってると思ってた」とかやり取りしたんですけど。
娘が自分と意向が違うっていうのを母が気がついているのに訂正しない、全部娘のほうから察してくれ、みたいな感じなんですよ。

ソラみ:
以心伝心を地でいってるような感じで、「言わなくてもわかるでしょ」というか。言わないけどわかるように配慮しなさいよ、みたいな感じで。

「自分で考えてわかるようにしなさい」みたいな、「理解できないのはあなたのせい」みたいなことを言われて。
実際には、「言葉として何も言われてないのに、何もかも分かれ・理解しろ」というのは、大人同士であっても無理な話なんですが、そういうことを子ども時代からずっとされてきました。

みよ:
あれすっごい卑怯なんですよね。

ソラみ:
そう、卑怯。後出しじゃんけんみたいに卑怯。

みよ:
自分にとって都合よい結果になれば「お母さんの言う通りにやってよかったでしょ」って言うし、都合良くならなかったら「そんなん私言ってへん、あんたが勝手にそんな解釈した」なんて平気で言われる。失敗はフォローしないし、成功は母のおかげになるんですよ。

ソラみ:
そうそうそう。お母さんの手柄みたいなね。

みよ:
それが子どもの頃から積もり積もって、自分で成し遂げてきたっていう感覚を何も抱けないまま大きくなっちゃうんですよ。

ソラみ:
自分の意思なんか到底持ってられないというか、持ったら逆に怒られたというか。

みよ:
そうだね、怒られたね。

4,「ふつうの家族」に対してどのようなイメージを持っていますか? 

qbc:
あなたにとって「ふつうの家族」とはどのようなイメージか、という質問ですが。
これ、全然ピンとこない質問でしたね。

ソラみ:
全然ピンとこないです。はい。

qbc:
それが回答ですね。

みよ:
普通なんて、人それぞれなので、としか。親はね、親の理想を普通って言い張るんで。

ソラみ:
普通ってすごい便利な言葉というかね。悪い意味でも便利な言葉だなと思います。

qbc:
もともとこの質問は、今回アダルトチルドレンというテーマを話すにあたって、家族の問題を文脈を私が色濃く考えていたから入れたんですよ。
でも、問題は自分にフォーカスしないことだった、と。

ソラみ:
そうですね。自分にフォーカスする。
親、家族にフォーカスするのではなくて。

もちろん、子どもの時の家族の問題もあるけれども、今大人になってる人たちって、「その子ども時代に起きていたモヤモヤを抱えながら年を重ねてきた」みたいな人が多いと思うんです。

抱えている問題は、つい最近勃発した問題というわけではなく、何十年も前からずっと続いてきたんですよね。悩み事はその時々で微妙に違いはありますが、根っこを辿ると、幼少期に付いた傷が回復しないまま繰り返して再演することも多い。
幼少期に、対人関係の誤学習をしてしまっている状態。対人関係を学び直そうにも、身近に”健康的な人間関係のロールモデル”みたいな存在もいないですし。
ACの皆さん、もしくは私にしてもそうなんですけど、なんか、なんていうかな。
自分がそんな良い思いをしていいかわからないというか、なんて言うんやろう。

みよ:
自尊心がとにかく低いんですよね。
自分がなぜそうなってしまったのかとか自責される方が多いし、そういう自分を変えていきたいっていう。
自分を変える、なので自分にフォーカスしたくて、だからアダルトチルドレンっていう感じですね。

ソラみ:
確かに、元は親との関係が原因ではあるけれども、そこばかりに何か目を向けると、何ていうかな。

みよ:
ずっと恨みごと言っちゃいます。

ソラみ:
うん。恨み事を言って当事者同士でお互い「しんどかったよね」という共感だけで終わる。
それだけじゃなくって、その先のことを考えていこうっていう。そうですね。
「自分で選んでいこう・未来は自分の手の中にあるから選んでいこう」という意識です。

みよ:
だから、いったん自分の問題を見るべきなんですね。
自分の問題を問題だったのだときちんと捉えると、家で発生していた問題が、家族の誰に由来してるのかっていうのがわかってくるんですよ。
それがわかることによって初めて、この問題に自分は関わるべきじゃないなとか、この問題は自分がお母さんにアプローチしなきゃいけないなとか考えられるようになります。
そういう切り離しができるようになったら、今度は家族のことを考えたらいいと思います。

ソラみ:
最初から「家族の問題だから」とすると、何かそっちこそ私はふわっとしてるな、と思っていて。

みよ:
そうそう。自分のせいじゃないのに、家族に自分が含まれてるから、うまく家族を導けなかった自分のせいだってことにしちゃったり。

ソラみ:
血は繋がってるかもしれへんけど、人を3人集めて「はい家族です」って言われてるぐらいの感覚なんよね。
機能不全家族育ちでいると、「家族の問題」としてくくられがちで、「1家族」という”ひとつのグループ”として扱われたり。
ただ、それを「”家族の問題”としてのみ、考えよう」となると、境界線がそれぞれないまま考えていこうみたいな感じがあるので。
1人1人個人の考えとしてあって、親と子どもでも意見が違って当然だと思うので。はい。

みよ:
なので、いったん親のせいは親のせいにして、自分のことは自分のことを向いてっていう感じなんですね。ステップとしての自分へのフォーカスです。

自助会の未来:親は親、私は私ですね。

qbc:
アンケ―ト、最後は、あすか会が何に例えられるか? ですね。
これを見つつ、全体を通して、アンケ-トいかがですか?

ソラみ:
私達は主催者側にいるから、参加者さんの気持ちっていうか、そういうのは全然わからなかったんですけど。
ビフォーアフターを書いていただいた方とか、あ〜そうかそういうふうな感じで見えるんやな面白いなっていう。

あと、自分たちがやってることが、「あ、人の役にちゃんと立ってるんやな」という実感がふんわり湧いたというか。今から言うのもあれなんですけど。

私達は、割と解毒が進んできています。私はもう親と縁切って離れて暮らしてるし、みよさんは親と共に生きてるけれども、「ちゃんとはっきり言うところは言っている」という感じで、だいぶ「親の問題」からは抜け出てきたんですけど。
参加者さんはそうじゃなかったりするので、そういう人たちにはどのように役に立ってるのかなと思ったんで。はい。すごく、面白かったです。興味深かったです。

qbc:
ありがとうございます。それではここから自助会の未来についてお伺いしていきたいなと思います。
今後は、どんな感じにしていこうかと思ってらっしゃいますか?

みよ:
あすか会としては別に特に何も変える気はないですね。
でも参加者さんが他の場所でも、アダルトチルドレンの自助会をやってくれたらとても嬉しいし、めっちゃ応援します。拡散します。

ソラみ:
特に地方とかね、離れたとこでやってくれたらとっても嬉しいなとか。

みよ:
別に大阪でもええよ。

ソラみ:
大阪でももちろん。

みよ:
やる人が変わると参加者層が変わりますし、内容も全然違いますので。
参加されるその人にとって「どういうことが必要か」というのは、私達には決められるものではないので、選択肢が増えれば増えるほど…例えば病院が選べれば選べるほどその人にマッチしたところが見つかるのと一緒で。
自助会も増えれば増えるほどいいので。
もう何よりね、主催者が一番幸せになると思ってるんですよ。

ソラみ:
「幸せ」と言うと若干の語弊があるんですが。
自分が主催側でいると、まず自分でルールを決められるし、開催頻度とかいろんなことが自分の自由にできる。
自分で決めていくことがしんどい人にとっては困るかもしれない。だけども「ACは自分で決める」ということが、過去なかなかできなかったからこそ、主催をやっていくことで「自分で自分のすることを決める練習」にもなるというか。
自発が湧いてきます。「自分でやってみようかな」みたいな感じで。
これまで手放すしかなかったし「自分でそんなんできひんわ、とか思ってたけど、やってみたら案外できたわ」みたいなとか。その自発の行動が積み重なって、自分を信じていくとか自分で決められるようになってきたっていう、うん。なんか自分への信頼が高まる感じもします。

qbc:
規模感っていうのはどれくらいがいいって思っていらっしゃいます?今やってるあすか会さんの考え方の中では何人ぐらいが良いっていうか。

みよ:
人数はあんまり大きくしない方がいいよね。

ソラみ:
例えば、あすか会は2分間の持ち時間制でやってるので、主催2人を合わせて参加者10人から12人です。この人数で1周あたり25分ぐらいとして把握しています。
2周で50分に加えて10分間休憩で所要時間が1時間とってしまうので。大体いつも何時間ぐらいあったかな。3時間はないか。それぐらい?

みよ:
3時間半で自己紹介とかも全部込みやから。

ソラみ:
うん。後のテーマトークみたいなのも一応時間取りたいので、なのであんまり増やしすぎても、喋る時間が結構厳しいかなとか。ちょっと2、3人ぐらい増える分にはいいかなと思うんですけど、うん。

みよ:
あすか会みたいな持ち時間制じゃないところもあるんですけど、やっぱり人数が増えれば増えるほど、1人の人が喋れる時間が減ってしまうんで、あまり喋られないと不満が高まりやすい。
あとはあんまり人が増えすぎると主催が全体を把握できなくなるんで。

qbc:
スピーカーに対して、他の参加者が意見を言うのは許されてるんですか。

ソラみ:
持ち時間制で何周かしている間は、ご自身の順番が来た時に「先ほどAさんが仰られたことなんですけど、私もこういうことがあって」みたいに答えるのはOKなんですが、その分、自分のことを語る時間は減ります。
クロストーク以外は、スピーカーにその場で意見をすることはナシです。
これは必ず「話すタイミングはあなたの持ち時間の時のみ」というように、ルールとしてご説明しています。

qbc:
頻度って、どれぐらいがいいと思われますか。

ソラみ:
それは私達が決められることじゃない、というか、参加者さんが参加したいときにすればいいんでは、みたいな感じにしか思わない。

qbc:
毎週のように参加しなきゃいけない人、っているんですかね。

みよ:
そういう人はだいぶ状態が重たいんで…よその団体さんの名前を出すの失礼かもしれないんですけど、ACAっていう当事者団体がありまして、アメリカ発祥の団体で日本全国あちこちにグループがあるんですよ。
高頻度なグループは毎週開催されてますし、各グループの開催頻度が少なくても同一市内で何グループも活動されているエリアもあります。
毎週のように喋りたい、吐き出す相手は誰もいないみたいなしんどさや孤独感の強い人は、そういう頻繁にやってる場所に行った方が良いと思います。
ACAは組織という安心感があるのと、匿名性を守ることを徹底している部分が素晴らしいです。
キリスト教圏に母体があるため神やハイヤーパワーといった単語が出てきますが、別に日本のグループは宗教関係ないですよ。

ACA Adult Children Anonymous

ソラみ:
私達は言うてね、2ヶ月に1回しかできないので。

みよ:
うちらの事情なんよね。毎月やっても本当は良いんだけど、毎月だとちょっと疲れるよねっていう。
ただ、カウンセリングなども大体1ヶ月ごとに1回ぐらいの予約しか取れないんですけど、あれちゃんと意味があって、1ヶ月先まで自分のことに向き合う時間を作る狙いもあるんですよ。またあんまり続けて通うと、同じ悩みにずっと囚われてしまったりもするんですよね。「適切に時間を置く」というのも、心理的にはちゃんと意味のあることなんです。

そういう意味でも、あすか会はそんな頻繁に分かち合いをするような必要はないか、となって。
語ったことを反芻して「これを自分の課題にしていこう」とかそれは皆さんが自分で考えていくことなので、やっぱその考える時間っていうのがあった方がいいと思います。

qbc:
主催するメリットって何だと思われますか?
お二人にとって、メリットとか楽しいこととか。インタビューの中で、ちらちら出ていましたけれども。

ソラみ:
「自分で決定できる」ということでしょうか。ルール作成や、「どのように進行していくのか」というのも自分の苦手を押さえた上で、「こういう進行の仕方だったらスムーズにできる」みたいな感じで、予測を立てながら自分の苦手特性に合わせて設定できるんですね。
例えばオンラインの会だったら、あすか会と同じく持ち時間制でやってるんですね。「なぜそうするか」というと、さっきも言ったかもなんですけど、「人数×時間何分」という計算から大枠の時間軸がわかり、それによって、「(全体を含んだ)各コーナーの所要時間の把握ができる」というのも大いにあって。

私自身、発達障害のASDもADHDもLD計算も全部あって、時間感覚がめちゃめちゃ薄いんですよね。私自身、プライベートは100%の遅刻魔なんですけど、「会として開催するには、終わり時間はきちんと守りたいな」という気持ちがありまして。
「時間を決めずにやっていたら、後の方で間に合わなくなるのではないか。その結果、延長してしまった」というのは、なるべくしたくないと思っています。
つまり、「自分の得意不得意でルールや進行を作れる」というのは大きなメリットかなと感じています。

みよ:
私もそれですね。子どもがいるんで、こういうことをやりたいって思ってても自分1人でできることには限度があって。
例えば今は営業ができない状態なんですね。他の自助会や他の集団に私から飛び込んでいって、あすか会を知ってくださいって言える機会が少ない。なので「私1人ではできないな」って思ってたところにソラみさんたちが現れて、渡りに船だったんです。
そういう自分にとって都合の良い会が運営できるっていうのはすごく大きいですよね。
もう既に出来上がってる会に「私も参加させて」と行って、例えば「子連れでもいいですか。子連れなんで何曜日の何時がいいです」など、自分の都合を押し付けるのは無理なんで。

ソラみ:
あと、「2人の得意分野が違っていて、それに沿って役割が明確に違う」というところも良かったかなと思っています。
発達の会の主催者さん達と繋がって色々わかってきたのですが、グループ運営というのは結構潰れやすいんですよ。
「誰がどこまでそれをやるか・誰がファシリテーターなのか・ファシリテーターは固定なのか交代制なのか・誰が会場を予約するのか」等の準備段階で役割分担できていなくてトラブルが起きるとか、「指示役の人がいなくてみんな指示待ち状態で遠慮し合ってる」とか。そんな感じでトラブルが起きたりすると、会の存続が危ぶまれたりもします。ソロ開催、つまり1人で開催した方がいいんじゃないのかみたいなことは聞いたことがあります。
なので、役割とか得意がはっきりわかれていて、それをちゃんと明文化というか言語化していってたら、まあまあ上手いこと私達みたいにいくのではないかなとは個人的に思ってます。

qbc:
今後、自助会を作ることをサポートするみたいなことは、考えてらっしゃいます?

みよ:
相談を受けたらしますよ。

ソラみ:
相談はちょいちょい受けますね。

みよ:
ACじゃないけど別の会を始めた方とかもいらっしゃいますし、でもなんかね、よくわかんない感じに消えちゃった人もいるし。

ソラみ:
いますね。
あと、私はよくイベントをやるので相談に来られる人もいるんですけど、「いや私に言うよりもイベントバーの店長に言った方がいいんじゃない?」と返事することもあります。はい。

みよ:
相談するっていうのはすごく大事だと思ってて、本来こういう任意団体やるってなると、複数人でやった方が絶対いいんですよ。
っていうのは、得意不得意が人それぞれ違うんで、1人でやってたら苦手なケースが発生した場合に対応しきれなくて潰れやすいんですよね。だからまず仲間を探す方法から模索しましょっていう感じで。
先にやってる分、困り事の対応にアドバイスはできると思うけど、ただ私は他の方の仲間ではないんで、どこまで関わるかの線引きはあるんでっていう。
仲間ではなくても相談は乗れますから、適切に活用してくれたらいいんですよ。
…でもその仲間を探す段階だったり、他者に相談した方がいいことを、消えていく皆さんはすっ飛ばしますよね。

ソラみ:
そうですね。皆さん誰かを救いたくて始めたりするので、その前に、「まずは自分じゃないですか」みたいな、「まず自分自身を救ってみて、それでまだ余力があるなら他者を救うことをしたらいいんじゃないですか?」みたいなことを思います。

みよ:
自分の課題に向き合わない人の方が、他者を助けようとしがちなんですよ。

ソラみ:
時々、「過去の自分みたいな人を助けたいんだ」みたいなことを言う方がいるけど、「いやいやいや、まずは自分で自分を救ってからにしいや」とか思ったりしています。

みよ:
そう。今の自分をまずどうにかしよう。

ソラみ:
そうそう。「自分が経験したことを誰かにも役立ててもらえるように」みたいな感じで手を広げる方も多いんですけど、そういう方ってそれだけに留まらずに、自身の承認欲求を満たすことにも方向転換しやすいんですよね。なので、「そのことだけが目的になってるのではないですか?誰かに対して”わからせよう・認めさせよう”みたいな下心が隠れてるのではないですか?」みたいに思うこともあって。

みよ:
私は個人的に、主催が楽しく継続できるのが一番大事だなって。

ソラみ:
それはすごく思いますね。

読者へのメッセージ

qbc:
最後の質問です。読んでくれた方に伝えたいことがあればお願いします。

みよ:
自助会っていう名前に対して「なんかすごい堅い会だ」と思われる方が結構いらっしゃるんですけど、字の通り自分を助ける会なんで、自分のために来てほしいです。

ソラみ:
あと、ちょっと自助会からは外れるかもしれないんですが。
「”自分で自分のことを決める”ということをしていってもいい」ってね、思うんですよ。親と関係が悪かった人って「親がどう思うかな」とか「親から怒られないように」など、主語を『親』に持って行きがちなんだけども、「”私はこうしたい・私はこうしたくない”というのを、優先していってもいい」と思うんですよね。

それと、周りの人間関係で顔色を伺う癖みたいなのって大人になってからでも残ってたりするんですよね。昔からの癖で、「癖だとはわかってるんだが、直したくても直すことができず困っている」みたいな状態に。
例えば幼少期に、「親から怒られないようにするために顔色をうかがって思ってもないことを言う」みたいなのが、当時生きるための生存戦略になったりします。意識的にも無意識的にも。
ただ、その、昔の親子関係の戦略を大人になった人間関係でも持ち出してしまうと、結構トラブルに起きることが多いんです。
なので、何だろうな。
「割り切る」と言うとすごく変なんですけど、「それはそれ、これはこれ」という感じで、「自分で自分のことを決めていく」ということをしていっていいと思うんですよね。
例えば、「この人と一緒にいてしんどいな」ということがあれば「距離を置く」とか、もしくは「その場を離れる選択」をしてもいいと思うんです。それは全然逃げじゃないと思います、はい。

みよ:
親は親、私は私ですね。

ソラみ:
そうそうそう。それですね。うん。自分と他人を分けて、境界線を引きましょうってことです。

あとがき

アダルトチルドレンという言葉を聞いて、家族問題に帰着するんですよねえ、という私の目当ては外れてしまった。
問題は、自分にフォーカスできないこと、だった。
家族はあくまでそのフォーカスできない原因を作った過程にあるだけで、問題は、そこじゃない。確かにね、起きたことは変えられないから。
お話お伺いできて、良かったです、お二人様、ありがとうございました。

【インタビュー・あとがき:qbc】

【編集・あとがき:meadow】

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