双極性障害Ⅱ型の人
むかしむかし、ある村に、波乃子(なみのこ)という娘がいました。波乃子の心は、まるで海のように、時に穏やかに、時に荒々しく揺れ動いていました。
波乃子の心には二つの風が吹いていました。「上り風」と「下り風」です。「上り風」が吹くと、波乃子はたくさんのアイデアが浮かび、夜遅くまで創作に没頭し、周りの人を楽しませる素晴らしい才能を見せました。
しかし「下り風」が吹くと、波乃子は深い谷底にいるように感じ、布団から出ることさえ難しくなるのでした。
村人たちは波乃子の変化を理解できず、時に冷たい目を向けることもありました。しかし、村には「月の医者」と呼ばれる賢者がいました。
「波乃子さん」と医者は優しく語りかけました。「あなたの心は、満ち潮と引き潮のように変化するのですね。それは決して悪いことではありません」
医者は波乃子に、心の波を理解する方法を教えました。
「上り風」が強すぎるときは、
静かな場所で深呼吸をすること、
夜はしっかり休むこと、
無理のない範囲で行動すること。
「下り風」が吹くときは、
小さな目標を立てること、
できることから少しずつ始めること、
誰かに話を聞いてもらうこと。
そして何より大切なのは、どちらの風が吹いているときも、それを自分の個性として受け入れることでした。
波乃子は少しずつ、自分の心の波と向き合う術を学んでいきました。「上り風」の時は創作活動に力を注ぎ、「下り風」の時は静かに自分を癒すことを覚えました。
村には、波乃子の作る美しい織物や、心温まる物語が残されていきました。それは、彼女の心の波が生み出した宝物でした。
後に波乃子は、同じような心の波を持つ人々の支えとなり、こう語りかけました。
「私たちの心は、時に激しく揺れ動きます。でも、それは私たちにしか見えない景色や、作れない物を生み出す力にもなるのです」
そして「波の高さは、心の深さ」ということわざが、この村から広まっていったとさ。
めでたし、めでたし。
と思う2024年11月4日9時25分に書く無名人インタビュー939回目のまえがきでした!!!!!
【まえがき:qbc・栗林康弘(作家・無名人インタビュー主宰)】
今回ご参加いただいたのは C さんです!
年齢:30代前半
性別:女性
職業:会社員
現在:鬱の時にそれを自分に期待しても、期待するほど苦しくなるから。期待しないで鬱の自分を許すみたいな。そういったことが、今は発覚した当初よりは上手くなってると思います。
ミミハムココロ:
今、何をされている方でしょうか?
C:
会社員をやっていて、今日は双極性障害のことを話そうと思っています。私は双極性障害のⅡ型です。病気が発覚してから、半年くらいは仕事の量を大幅に調整していたんですけど、その後は様子を見ながら業務量を戻していって。今では病気が発覚する前と同じ状態ということで仕事をしています。
ミミハムココロ:
その発覚っていうのは、今からどれぐらい前なんですか?
C:
1年半前ですね。
ミミハムココロ:
それはご自身で気づかれたんですかね。
C:
そうですね。その日「もうこれは明らかにおかしい」と思うことがあって、家に帰る時に「自分はきっと双極性障害だな」と思って。家に帰って夫に「私、双極性障害だと思う」って言ったら、夫も「そうなんじゃないかと思っていた」と言ってすごく落ち着いて受け止めてくれて。そのあと精神科を調べて夫と一緒に行って、お医者さんから「双極性障害のⅡ型です」という診断が下りました。
ミミハムココロ:
前から旦那さんが「双極性障害かもしれない」と思っていた要因はお聞きしましたか?
C:
細かくは聞いてないんですけれども、例えば…双極性障害についての説明っていりますか?
ミミハムココロ:
あ、良ければ簡単に。
C:
双極性障害というのは「躁状態」と「鬱状態」を繰り返す精神疾患です。躁状態というのは、いわゆる興奮状態のようなものです。すごく感情の起伏が激しくなったりとか、じっとしていられなかったりとか、全く寝れないとか。鬱状態はその逆で、全然動けないとか気分が落ち込むとか、一般的に鬱病の鬱の症状とすごく似ています。双極性障害というのは、その躁状態と鬱状態を周期的に繰り返すという病気です。
私のⅡ型というのは…Ⅰ型とⅡ型があって、その区別は躁状態の激しさでするらしいです。私のⅡ型というのは、躁状態は社会生活に支障をきたすほどではないけど鬱状態が割と深めです。躁状態が社会生活に支障をきたすぐらい激しいのがⅠ型みたいです。また後で話すかもしれないんですけど、実は母がⅠ型なんですね。私はⅡ型の方で、躁状態はそれほどでもないけれど鬱が深くて長め、という状態です。
ミミハムココロ:
どうでしたか、双極性障害だと実際に分かった時の気持ちとしては。
C:
前から「なんかおかしいな」とは思ってて。中学生ぐらいの時から、理由もなくすごく気分が落ち込んで涙が止まらなくなるっていう事が定期的にあったんですね。これ多分鬱状態なんですけど、その時は本当に何でか分からなくて。親に泣いてることが見つかっちゃうと「なんで泣いてるの?」って聞かれるんですけど、なんでなのかは自分でも分からないのでなんでって聞かれるのが嫌で隠してたんですよ。自分が理由なく定期的に泣いちゃったり、すごい死にたくなったりみたいなことを本当に誰にも言ってなくて。うまく説明ができなかったので、誰にも言ってなかったんですけれども「なんでだろう」ってずっと思ってて。
これが鬱状態で、躁状態も確かにあったんですよ。ただその躁状態って、これ双極性障害なら分かる人もいると思うんですけど、「すごい調子の良い状態」だと思ってるんですね、自分では。活動的ですごく自分に自信があって、何でもできる気がするみたいな。これも行き過ぎると自信過剰というか、周りが見えなくなったりとか、「自分が正しい」みたいな思い込みが強くなって周りに迷惑をかけたり困ったこともあるんですけど。結構躁状態って、本人はあまり問題だと思ってない場合もあるんですね。
私と母は躁状態の自分自身のことを「別に自分は変じゃないし、むしろ元気だから今の状態は良いんだ」って思いがちですね。昔は躁状態を病気だとは全く思ってなくて、「この調子の良い状態がずっと続けばいい」と思ってたんですけど。診断が下りてから振り返るとあれは躁状態で、あと躁状態が来るってことは必ずその後に鬱状態が来る。そして躁が激しくなるほど鬱も激しくなります。「今、調子が良いから」って寝ないで何かをやり続けたりエネルギーを使いすぎると、その分その後の鬱は深くなります。躁状態で何かを頑張った分だけそのあと死にたくなる、という感じですね。
前は鬱状態だけを見て「自分が定期的に鬱っぽくなるのはおかしい」と思ってたんですけど、双極性障害ということが分かってからは「調子が良いと思っていた躁状態も、あれも病気だったんだ、あれもおかしかったんだ」といろいろ合点がいってすごく納得しました。
ミミハムココロ:
お仕事以外の時間は何をしてることが多いですか?
C:
文章を書くのが好きです。ただ、鬱状態の時は文章が全然思い浮かびません。本当はずっと書いていたいんですけど、鬱の時はもう捻り出しても本当に出ないんで、諦めて本を読んでます。
ミミハムココロ:
本を読むのは好きですか。
C:
「好きと認めることにした」という感じです。好きなことや趣味とかが何も無かったんですけど、鬱状態の時は何かしていないと、ずっと自分が自分のことを責めてくるんで、「とにかく何かはしていないと精神状態に悪い」と思いました。「じゃあ何ならできるだろう」って考えた時に、唯一本を読むということだけはまだできた。他のことは、映画でも漫画でもゲームでも罪悪感が勝っちゃって。なんか、「自分は何もしてない」みたいな。
私の鬱状態の時って自分からすっごい責められるんです。その声が止んでくれないというか。「精神を病んでいる時は、好きなものや興味を持てるものに没頭するのが良い」と言いますけど、何にも没頭できなくて。でも本だけは、没頭って程じゃないけれど、まだできるというか、まだ時間をやり過ごすことができます。多分、本を読むことが1番マシというか、1番向いてるんだろうなという感じですね。毎回すごく没頭できるとか好きって言い切れるわけじゃないんですけれども。本当は文章を書くことが1番好きなんですけど、書こうとしても全然書けない時があるので、本を読むことが2番目に好きですかね。
ミミハムココロ:
書いた文章っていうのは、誰かに見せたりどこかに公開したりしてるんですか?
C:
公開してます。
ミミハムココロ:
それは、誰かに見せるところまでが自分の中では1セットって感じですか?
C:
文章を書くこと自体とそれを人に見せることは別だと思っています。鬱の時って書けないんですけど、でも絶対書こうとはするんですよ、毎日。パソコンとか、ノートに手書きとかで。なにかしらの方法で絶対文章を書こうとするんですよ、毎日。その結果出てきたものを「あ、これ好きだな」とか「これを人に見せてもいいな」と思えたら、人に伝えるためにちゃんと清書して公開します。別に人に見せるほどのものが出てこなかったら人に見せない、そのままにしておくみたいな感じで、鬱の時でも書こうとはします、毎日。
ミミハムココロ:
今回、どうして双極性障害について話したいなと思われたんですかね。
C:
そうですね。前から、なんだろう…文章とかの形で整理したりとか、もしもネットとかで公開するに値するような文章が作れたら匿名で公開してみようかなとか思ってたんですけれども、ちょっとやっぱり「怖いな」みたいな気持ちがあって。なんですかね、他の当事者の方からどう思われるかみたいな躊躇があって。「文章にするとしてどんな形がいいんだろう」ってずっと迷ってきたんですけど。
先日、無名人インタビューさんで双極性障害の方がインタビューに答えていたのを読みまして。「無名人インタビューが匿名でもいいなら、匿名で双極性障害のことを喋ってみようかな」と思いました。自発的にアカウントを作って双極性障害についての文章を公開することができないなら、もうインタビューしてもらう、質問してもらうという形がいいかもしれない。それに答えていったら、自分のために情報の整理ができるかなと。そしてそれが文章という形で残るというのが一番都合が良い気がしたので、やってみようと思いました。
ミミハムココロ:
もしこのインタビューが記事となって誰かの元に届くことになったら、どういった人のもとに届いてほしいなとかはありますか。
C:
届いてほしい…そうですね、ちょっと怖いんですけれども。例えば双極性障害の患者さんやその家族や親しい人が読んでどう思うかとかは、ちょっと知りたいけどちょっと怖いから。届けたいっていう気持ちなのかが私自身わかんないですね。一番は自分のための整理、自分が読みたいから自分のためにやってみたって感じですね。
ミミハムココロ:
お母様も含めて身近な方で、こういうご自身の病気や症状について話したりする方はいますか?
C:
夫と父と限られた友達ですね。上司にも「どうしても仕事に支障をきたしてしまうな」と思ったので相談をしたんですけれども…すごく協力的でとてもありがたい上司なんですけど、病気のことを誤解してるなって思うことが結構あって。あんまり頑張って全部を理解してもらおうとはしないようにしているので、上司にはあんまりこの病気の話はしないですね。
ミミハムココロ:
好きな場所はどこかありますか?
C:
書斎ですね。文章の調子が乗っている時に、籠って何時間でも書いているのは好きですね。
ミミハムココロ:
書く時は基本的に書斎が多いんですか?
C:
そうですね。1人じゃないと集中できないので、籠って書いてます。ただ、躁状態の時ってめちゃくちゃ書ける上に全く眠くならないんですけど、これやりすぎると本当に良くなくて。この後の鬱がひどい事になるので。なので、躁状態の時は一睡もできないぐらい眠れないんですけれど、なんとかベッドの上で朝になるまで待って。本当は夜じゅう起きてずっと文章を書いていたいんですけれど、その自分をなんとか抑えて朝になるまで、できれば朝6時になるまではベッドにいて、6時になったら飛び起きて顔洗って文章を書くみたいな感じです。でも、ちょいちょい「どうしても眠れないから4時だけど書いちゃおう」みたいな時もあります。
ミミハムココロ:
病気が発覚した1年半前と現在で、病気の具合とかの変化はありますか?
C:
最初は薬を飲まずに生活習慣に気をつけて対処しようとしてたんですけれど、それだけじゃ全然抑えられなくなっちゃって。そのあと処方された薬の飲み方は、最初は手探りでした。私は薬がすごく効きやすい体質みたいで、躁を抑えることができても鬱がひどくなるといったことがありました。自分にとっての薬の量とタイミングは何がちょうどいいのか、というのを数ヶ月かけて探っていって、「薬はこのパターンだな」というのが見えました。
あとはそうですね、鬱の時の過ごし方を模索してきました。やっぱり躁状態の調子の良い自分を知っているので、どうしても「その自分に戻りたい」って思っちゃったり。主に文章ですね、文章がどんどん書けるというパフォーマンスを自分に期待しちゃったりしてたんですけれど。鬱の時にそれを自分に期待しても、期待するほど苦しくなるから。期待しないで鬱の自分を許すみたいな。そういったことが、今は発覚した当初よりは上手くなってると思います。
過去:本当に最近ぐらいまで母に対して、何だろう…「普通の大人であってほしい」みたいな期待を諦めきれなかったですね。
ミミハムココロ:
振り返ってですね、自分ってどんな子どもだったなって思いますか?
C:
子ども時代…じゃあ、親の双極性障害に絡んだ話をしてもいいですか。
ミミハムココロ:
もちろん。ぜひ。
C:
母は私を産んですぐに双極性障害Ⅰ型を発症したらしいです。私が物心ついていない頃に発症していたけれども落ち着いて、私が小学校4年か5年になるくらいまで症状が全然出ていなかったんですね。なので、母のことは普通のお母さんだと思っていて。専業主婦で、家事をやってくれて。親として怒られたら「この人は大人だし親だし言うこと聞かなきゃ」みたいな、普通の母親として扱ってたんですけど、小4ぐらいでなんか母の様子がおかしくなって。
母の双極性障害はほとんど躁状態なんですけど、躁状態だとすごく幼児化するんです。怒る内容とかタイミングとかがすごく感情的。気分屋というか、八つ当たりというか。何が原因か分からないけどたまたま機嫌が悪いから私に怒って、「何で怒られてるんだろう」って思ってる間に、母は怒っていることで興奮してまた怒るみたいな。もう自分でも何が原因で怒ってるか分かんないみたいな状態になって。
私は「親が自分に怒るってことは、正しいことを言ってる、躾をしてるんだ」と思っていたんで。ずっと何言ってるか分かんないけど「とりあえず聞かなきゃな」と思って聞いてたんですけど、聞けば聞くほど自分がなんで怒られてるか分かんなくって、何だろうって思ってました。
それで父から「双極性障害っていう病気なんだよ」って教えられて。自分にとっては突然のことで、受け入れたくないみたいな気持ちがありました。やっぱり親として扱いたい、立派な大人であってほしいみたいな気持ちがあったので。母に対して、大人らしい母らしい言動を私は期待してたんですけど。そうすると母が興奮して怒りっぽくなるのを、辛いなって思って。「なんで」って言い返したりしてました。
父から「お母さんのことは妹だと思って」って言われたんですね。意味が分かんなくて、母は妹じゃないので。ちなみに私は一人っ子です。父の説明は足りてないなって思うんですけど、後から考えると「お母さんのことは妹だと思って」という言葉は、「もう世間でいう大人とかお母さんの役割を期待しない方がいいよ、お母さんは子供みたいになっちゃったんだよ」ということだったんだなと今は思います。なんか「お母さんのことは妹だと思って」の一言で、これで説き伏せられると思われたことがもう意味分かんなくて、もう何なんだろうって思ってて。
ただその躁状態と、ほとんど無いんですけど鬱状態がきっと母にも存在してて。その間のほんの数日だけ普通の状態があるんですよ。普通の状態の時はちゃんとお母さんなんですよ。だから、もともとの母が完全にいなくなったわけじゃなくて。数か月ごとに…たまに数日だけ元のお母さんが戻ってくるんですよ。だからなんか完全に諦めきれなくて、本来の母を。本当に最近ぐらいまで母に対して、何だろう…「普通の大人であってほしい」みたいな期待を諦めきれなかったですね。
ミミハムココロ:
お母さんの普通の状態っていうのがやって来た時はどういった気持ちでしたか?
C:
「あぁ、帰ってきた」みたいな。今まで母と同じ顔をした別人が家に居座ってたのが、どっか行って正しい母が帰ってきたみたいな。で、この母は多分数日でまたいなくなって同じ顔をした別人がまた来るけど、それまで…本物のお母さんがいてくれるから嬉しいな、そういう気持ちですかね。
ミミハムココロ:
お父さん以外にお母さんの話をする相手は周りにいましたか?
C:
1人もいませんでした。…あー、もう1個、母に関して新しい話をしちゃうんですけれど。母は宗教にも入ってて。母の家系は丸ごと入ってたので、母は2世か3世でほぼ生まれながらに入信してたみたいなんですけど。その宗教は薬をとことん否定してて。ちょっと信じられないと思うんですけど、なんか「手をかざすと病気が治る」と本気で信じてる宗教がこの世にあるんですけど、その宗教を母の家系が丸ごと信じていて。
母は薬が嫌いだったんです。でも、双極性障害の症状を抑えるためにはほぼ薬しかないんです。躁状態と鬱状態のタイミングに合わせて、正しい薬を正しいタイミングで飲むことで症状をなるべくマシにしていくという考え方なんですけど。その薬を母が飲みたがらなくて。そのせいで、正しく対処すればこんなにひどくならなかったはずの双極性障害がよりひどくなってて。言い方が悪いんですけど、母が普通じゃない理由には双極性障害と宗教の2つがあって。「嫌だな」とは思ってたんですけど、誰に言ったらいいかも分かんない。
なんか父にある日「お母さんのことを誰かに言ったりしたことある?」って聞かれて「ない」って言ったら「偉いね」って言われたんですけど。「偉いんだ。なんか誰にも言わないって偉いんだ」と思って。じゃあ言わない方が良いんだって思って。「偉いね」っていうのは、被害者面をしなかったからですかね…「病気なのはお母さんであって、同居している方も辛いことはあるけれども、1番辛いのはお母さんなんだよ」って父からよく言われてたんですよ。
だから「私がお母さんより苦しむことはあり得ないんだ」って思ってて。「私は被害者じゃない、被害者面をしてはいけないんだ」って思ってて。だから、外の人に「こんなことがあって辛い」と言うことは、1番の被害者である母のことを加害者扱いしてることになるのかなって。それってすごく良くないのかなと思って、誰にも言わなかったですね。
ミミハムココロ:
お父さんに対してはどういった感情を抱いてることが多かったですか?
C:
それが…父のことはすごく好きだったんですよね。なんですかね、母のことがだんだん好きじゃなくなった反面、父はしっかりしてたので、仕事もしてましたし。母は頑張って家事をやってくれましたけれども、家事以外の…私の進学先について調べるとか、あとまともに大人と会話がしたかったら父しか選択肢が無いんで。父が家庭で唯一頼れる人だったので。好きっていう感情はあったんですけど、ただ「嫌われたら死ぬ」とも思ってました。
ミミハムココロ:
それはどうしてそう思われるんですかね。
C:
お金を稼いで使い道を決める人だと思っていたので。その父の愛情が得られなくなったら私はきっと死ぬしかないなって思って。別にそう言われたわけじゃ全然ないんですけど。どっかで「この人から嫌われてはならない」と思ってましたね。
ミミハムココロ:
嫌われないために何かしたこととかはありましたか?
C:
それこそあれですね、私の鬱状態は中学ぐらいから発症してたんですけれど。理由なく落ち込んで泣いているのが父に見つかった時、「なんで泣いてるの?」って聞かれて説明できないと父は納得してくれないので。これを繰り返したら面倒くさがられるなとか。
あとはあれですね、鬱状態が終わって私が元気になると「なんだ元気じゃん」って言われるんですよ。この「なんだ元気じゃん」によって、落ち込むことを否定されたと思ってて。元気にもなるけどまた鬱っぽくなる、理由なく泣いちゃう期間が定期的にまた来るので。次にそれが来た時、もう私は「元気になった」と認識されてるんだから、また理由なく泣くのはおかしい。これが父に見つかってしまったらまた「なんで?」って言われちゃうと思ってました。
それと…ただでさえ母のことで疲れてる、いっぱいいっぱいな父に、私まで「おかしい」って思われたら、父も抱えきれなくなるんじゃないかと思って。私だけでも「普通」でいなきゃと思って。その鬱状態…当時は私が双極性障害なんて思ってもいなかったですけど、これはなるだけ隠して、私は精神的に健康な人間として生きていかなきゃいけないし目指さなきゃいけないって思ってましたね。
ミミハムココロ:
文章を書くっていうのはいつぐらいから好きになったんですかね。
C:
小説を書くきっかけがあって…5年前ですね。そこからです。
ミミハムココロ:
それまでは特に「好きだな」って思うことは他にありませんでしたか?
C:
えーと、無くって。英語と翻訳が好きではあったんですけども、鬱状態になるとそれもやる気が無くなっちゃって。一時期、字幕の翻訳者、洋画に日本語字幕をつける翻訳者になりたいと思ってた時期があって。それになるためには映画をたくさん見なきゃと思って、当時大学生の時にTSUTAYAで映画を借りて暇さえあれば映画を見るようにしてたんですけれども、なんかあんまり没頭できなくて。なんかあんまり胸を張って映画が好きとは言えなくって。「私は映画が好きじゃなきゃいけないのに、なんで映画が好きになれないんだろう」と思って。
長いこと「好きなもの」を探してたし欲しかったんですけど、これといって出会えなかったのが、小説を書き始めたことでやっと「文章を書くことは好きだな」って確信できました。
ミミハムココロ:
家族でどこか外に出かけるというのはありましたか?
C:
えーと、昔というか子どもの頃?いつでもですか?
ミミハムココロ:
そうですね。昔、特にCさんが小さい頃。
C:
ありましたよ。
ミミハムココロ:
どういったところに行くのが多かったなとかはありますか?
C:
近所に大きい自然公園があって、子ども同士仲良しの家族と一緒にピクニックしたりしてました。
ミミハムココロ:
そういった外出している際のお母さんの状態ってのはどうだったんですか?
C:
発症するまではいつでも行けて、発症してからは…母の症状があまりにひどい時は精神科に入院させられていました。そうじゃない時に一緒に外出してたかも。
ミミハムココロ:
ここまでで何か「これ話してないなあ」みたいな話はありますか?
C:
そうですね…今日、朝からこのインタビューに向けて、自分の双極性障害とか親の双極性障害について棚卸をしとこうと思って、文章に吐き出したんですよ。6000字ぐらいのメモがあるんですけど。1回書いてスッキリできました。これを全部話そうとは思わないですけど。「あ、私こんなにこの件で書けるんだ」と思いました。
ミミハムココロ:
それはもう今朝思い立ったんですか?
C:
インタビューの予約をしてから「やっとこう」とは思ってて。意外と早くインタビューの日が決まったので、今日朝から取り組みました。
未来:なんか「この人とだったら大丈夫だな」と思って。逆に言うと私、夫と出会うまで幸せになろうとすらしてなかったというか。
ミミハムココロ:
今から5年後、10年後、最後死ぬまでを想像してですね、「未来」ってものに対してどういったイメージを今抱いてますか?
C:
えっと…夫の話をした方が良いですね。夫がすごく協力的で、いま私はそんなに苦しんでいません。YouTubeで当事者の人が発信している動画とか、精神科の先生が双極性障害について説明している動画とか。あとは双極性障害を持ちながら働くというのを目的とした色んな発信をしている「双極はたらくラボ」っていう団体があって。夫がそういった情報を色々リサーチしてきて一緒に参考になりそうな動画とかコンテンツを見たりして、一緒に勉強してくれてるんですよ。
なんか「この人とだったら大丈夫だな」と思ってて。逆に言うと私、夫と出会うまで幸せになろうとすらしてなかったというか。やりたいことも無いし好きなことも無いし、ただ生きてるけど生きる目的が無いみたいな。で、鬱状態だと死にたくなるんで、毎回死なないために必死でした。そこにすごく良くないことが重なった時に「本当にもう死にたいな」って思ったこともあったんですけど、その時に夫と付き合ってました。「この人を悲しませたくない」っていう気持ちだけが死なない理由でした。
夫がいるから今生きてると思ってますし。何だろう、例えば美味しいものとかも自分1人だとあんま興味ないんですよ。自分1人で美味しいものを食べたって全然楽しくない。けど、夫と一緒に食べれるんだったら美味しいもの買いたいなって思うし。本当に夫がいなかったらもう全部どうでもいいんですよ。だから夫がいなくなったら自分の人生終わるかもと思ってます。私が幸せで、不幸じゃない方が夫は幸せそうにしているので、「とりあえず夫のために自分の幸せを考えてみるか」という感じです。夫が一緒に生きてくれる限りは、なんか大丈夫だと思ってます。
ミミハムココロ:
これをやらないと死ねないなみたいな、何かそういったものはありますか?
C:
えっと、子どもを産むことを考えていて。実際に産めるか分かんないですけれども。それは挑戦…挑戦って気軽に言っていいか分かんないですけど、挑戦したいですね。夫とだったら大丈夫だと思ってるんで。
ミミハムココロ:
どうして子どもが欲しいなって思うんですかね。
C:
付き合ってわりかし早い段階で夫から、私との子どもが欲しいと言われて。それまであんまり考えてなかったんですけど、なんか「この人がそう言うんだったらちょっと良いかも」と思って。自分の家庭環境を思い返した時に「あの人たちよりはマシな親になれるんじゃないかな」って思って。例えば、自分が抱えている悩みを相談する人がいないってすごく苦しいことなのに「言わなくて偉い」って言うのは、私は間違いだと思ってるんで。「親はいっぱいいっぱいだから自分が悩み事を増やしちゃいけないんだ」って子どもに思わせたくないなと思うし。そういう「自分はこれをやってほしくなかった」「こうしてほしかった」みたいな思いがあったり。
あとは、この夫と私の家庭だったらなんか少しは自信を持ってもよさそうというか…。産むなら1人と決めているんですけれど。私も夫も1人っ子で兄弟の扱いがあんまり分からないので、1人だけ産んでその1人を絶対幸せにしようって言ってるんですけど。この夫とだったら大丈夫なんじゃないか…子どもが幸せになるかは分からないですけれども「絶対に幸せにするぞ」っていう気持ちは私も夫もあるので。だったら、挑戦してもいいんじゃないかって。
もちろん私の双極性障害の影響も心配してはいます。夫と一緒にいろいろ模索して、私自身も双極性障害との付き合いがだんだん上手くなっていってる自覚はあるので、あんまり過信しないようにしてるんですけど。そういうのも含めて夫とは全部話し合っていけるので、この人とだったら子育てもしたいなと思いますね。
ミミハムココロ:
もしお子さんができたらこれしたいな、みたいなことは今ありますか?
C:
一緒に学びたい、ですかね。私は本当に社会科が全然駄目で、政治経済、地理歴史が。学校にいた時はテストの点だけは取ってたんですけど、テスト前に暗記だけして。ただ暗記しただけで全然楽しめてなかったので。社会以外でもいいんですけれども、子どもと一緒に「これってなんでなんだろうね」みたいな事とかを一緒に学んで面白がるっていうことができたら、嬉しいなって思います。
ミミハムココロ:
お母さんに対して今どういった感情を持っていますか?
C:
私が幸せにすることはもう諦めてます。これすごい偶然なんですけれども、夫の母と私の母がめちゃくちゃ仲いいんですよ。夫の母は外国人なんですね、日本語が上手な。良い意味で、なんですかね、日本人ぽくないというか…並外れたおおらかさがあったりとか。お互いに話があんまり通じなくても気にしないみたいな。たまに「2人でカラオケとか行っといで」とか言うと、なんか普通に楽しそうにしてます。
あと、私の父が65歳は超えてて。もともとは小っちゃい会社の社長だったんですけれど、今はなんだろう、緩く働いてるみたいな。社長業は後任に譲って、自分は実務のところでまだ出入りしてるみたいな。そういうふうに仕事してからすごい心の余裕ができたみたいで。罪滅ぼしのつもりか分かんないんですけれども、母に対して優しくしようみたいな動きをしています。
母は特に私に対しては何も求めてないだろうし、私が母に何か求めたら絶対お互いに不幸になるんで、私は何も求めないようにしてますね。
ミミハムココロ:
旦那さんはすごくCさんに協力的とおっしゃってたんですけど、協力的な部分以外でこういうところが好きだなみたいなのはありますか?
C:
何でも話し合えるところですかね。あと、すっごい聞き上手なところ。私は今までの人生であまり聞き上手に出会ってきてなくて。私がまだ双極性障害って分からなかった時、理由は無いけどすごく落ち込んで泣いちゃうことに対して夫は「ああ、そうなんだね」と受け止めてくれました。私が「なんで」っていうのを説明できなくてもそれ以上説明を求めてこなくて、ただあるがままに「そうなんだね」とだけ言ってただ側にいてくれて。
私が今よりもっと言語化が下手で、なんか分かんないけどイライラするとか、なんか分かんないけどうまくいかないみたいな時にも、全然まとまってない状態でもただその状態を受けとめて聞いてくれたっていうのは本当にありがたくて。これも双極性障害との共生に繋がっているんですけれども。彼は誰に対してもそれができるので、本当にその部分にものすごく助けられてますね。
ミミハムココロ:
前から自分のこととかお母さんのことを誰かに話したいなっていう気持ちはありましたか?
C:
話したいっていう気持ちはありました。ただ、言葉もうまくなかったんで、どう言ったらいいか本当に分からなくって。自分自身でも整理ができてなかったんで「無理なんだ」って思ってましたね。
ミミハムココロ:
お仕事の方は、これからこういった仕事をしたいなとかはありますか?
C:
今は貿易関連の仕事をしてて、割とこの仕事は嫌いじゃないです。でも、副業とかで文章が仕事になってくれたら嬉しいなっていう気持ちはあります。
ミミハムココロ:
ちなみに貿易関係の仕事はどういうところが「割と良いな」と思うんですかね。
C:
目的がはっきりしているところですかね。輸出を担当してるんですけど、海外のお客さんからの注文通りのものを1番良い手段で届けるっていう目的がハッキリしてて。なんか商品開発とか営業とかって、明確なタスクとかゴールとかが無いイメージがあって。1回営業をやってたこともあるんですけれど、それと比べると物流は…貿易は、やるべきことがすごくシンプルなので。「何をしたらいいんだろう、何をしたらお客さんのためになるんだろう」と悩むことがあんまり無いのがストレスが少なくて好きですね。
ミミハムココロ:
もしもCさんかお母さん、どちらか1人だけ双極性障害の症状が無い人生だったらどちらを選びますか?
C:
私の症状が無い人生ですね。
ミミハムココロ:
どうしてですか。
C:
やっぱり鬱が来るのが嫌です。コツコツとマラソンみたいに何かを頑張り続けるってことが、鬱に来られると絶対中断しなきゃいけなくなるんですね。それがやっぱり無くせるものなら無くしたくて。母の件は、1人暮らしをするとか、夫みたいな理解者、心の支えを得るとかでわりかし苦しまなくなったので。私の双極性障害が無くなってくれるものなら無くなってほしいですね。
ミミハムココロ:
分かりました、ありがとうございます。最後にですね、このインタビューの感想でも自分が死ぬ時を想像した遺言でもいいんですけれども、何か一言いただければ。
C:
感想にします。始まる前は、自分から何が出てくるのかがちょっと怖いみたいな気持ちもあったんですけど。思ったより冷静に喋るべきことを喋れて、受けてみて良かったなと思っています。
ミミハムココロ:
やっぱり今日の朝やった、書き起こすっていうのが影響してるんですかね。
C:
そうですね、それもあると思います。いったん言葉にしてるから、初めて言葉を出すわけじゃないっていうのはあるかもしれないです。
あとがき
Cさんありがとうございました。
無名人インタビューは2回目(前回は別名義での参加)ということだったんですが、自分はそういった方へのインタビューが初めてだったので良い経験になりました。
個人的には未来のパートで旦那さんに対しての思いを話されている時、特に「美味しいものとかも自分1人だとあんま興味ないんですよ。自分1人で美味しいものを食べたって全然楽しくない。けど、夫と一緒に食べれるんだったら美味しいもの買いたいなって思うし。」ってところが素敵だと思いました。
先日、ある人から「恋人とはどういう存在なのか(好きとは何なのか)」という質問をされました。ちなみにその人は「日常のなんでもない事を話したり、報告したりしたいと思う相手」と言ってました。「なるほどな~、確かに」と思いましたね。そんなの考えたことも無かったんですが、せっかく聞かれたので必死にひねり出した結果「死ぬ間際に自分の人生を振り返れるとして、一番最後の瞬間に思い浮かべたい相手」という回答になりました。
僕はですね、食事の際に必ず好きなものを最後まで残すタイプです。スシローに行けば必ず最後に「炙りサーモンバジルチーズ」を頼むってことです。もし途中で地震が来たら~とかいう想定はどうだっていいんです。食事の1番最後の口の中の幸福度というのはその食事全体の感想を左右するくらい大切だという持論があります。
その時はその答えがしっくりきていたんですが、最近になって考えが変わってきました。それが「食事の1番美味しい部分を食べさせてあげたいと思える相手」という考え方です。Twitterでたまたま見かけたんですが、食べることが何よりも好きな僕にとってこの考え方はとても納得できるものでした。
なので、Cさんと似てるんですが「この人と一緒に食べれるなら美味しいものを食べたいし、なんなら1番美味しい部分を食べさせてあげたい」という相手こそが恋人なんじゃないかなというのが僕の最新版の答えですね。
【インタビュー・編集・あとがき:ミミハムココロ】