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甘い卵焼きの話
卵焼きは甘い方が好きだ。
幼稚園のお弁当。
細くてぐちゃぐちゃで不器用な箸で掴んだら一枚の大きな紙みたいに広がってしまうへたくそな卵焼き。
一番好きなお弁当のおかずはエビグラタンだった。マルハニチロの冷凍食品のエビグラタン。全部食べ終わるとくまちゃんの占いが書いてあった。ときどき、占いが書いてないエビグラタンだったり、カボチャグラタンの時もあったけど、そんなときは決まって、なんだかとっても寂しかった。
不格好な卵焼きと、足の開いていないたこさんウインナ―と、さくらでんぶのご飯とエビグラタン。ときどきミニトマトとブロッコリー。
幼稚園生の尊い自慢心を粉々に打ち砕くようなお弁当だった。
隣の席のゆうかちゃんの卵焼きは分厚くて崩れなくて中にチーズが入っていて、ピンク色の串が刺さっていておいしそうだった。前の席のこうき君のお弁当にはお花のかたちに切ったにんじんとか、ちくわの中にきゅうりが入っているやつとか、ミートボールとかが入っていて、アンパンマンのふりかけがついていた。
誰も私のお弁当を見ませんように。
そんなことを思って、でもそんなことを思ってることをお母さんが知ったら悲しむと思って、だから余計に悲しくなって、小さな声で「いただきます」とつぶやいて急いで食べた。
いつもと変わらない。代り映えしない味だった。
ご飯のおかず。というよりはデザートって言葉がしっくりくるような甘い卵焼き。
悲しい気持ちすら打ち消してくれる甘い甘い卵焼き。不格好だけど、不格好だから、好きだったのかもしれない。
遠足の日のお弁当はいつもよりもちょっと豪華で、唐揚げとか、サンドイッチとか、ハンバーグとか、キラキラしてワクワクするお弁当だった。
「おかし交換するんだ!」って息巻いて、いつもよりちょっと豪華なお弁当は急いで食べて、すぐにおかしをもって駆けだした。
いつもよりもずっと早く起きて作ってもらったお弁当を味わうことなく食べたんだ。
遠足の日は楽しいがいっぱいで、悲しいとかそんなことを思う暇がなかったから、悲しいなんて思う必要がないくらいキラキラでワクワクなお弁当だったから、甘い卵焼きはいらなかった。いらなかったし、入ってなかった。
小学校、中学校は特別な時だけお弁当だったから、特別な時のお弁当はキラキラとワクワクが詰まっていた。
キラキラとワクワクが詰まっていないお弁当でも構わなかった。だってお弁当の日は給食とは違う環境で食べる特別な日だったから。
高校に入ると毎日お弁当になった。
みんな学食とか、購買のパンとか、朝駅で買ったおにぎりとかを食べてたけど、私はお弁当だった。
自分のお昼ご飯を自分で買って食べるという行為がなんだかとてもかっこよく見えて、お弁当を持ってきてるっていう事実がなんだか少しダサく見えた。
毎日のお弁当だから、キラキラもワクワクもなくて、十数年ぶりに味わうみじめさと悲しさを毎日感じた。
あの時よりも量が増えて、
あの時とほとんど同じ中身で、
あの時と違うのは、
そこには卵焼きは入っていなかったこと。
卵焼きはなくなって、代わりにゆで卵が入っていた。
仕事をしている母親が毎日お弁当を作ることがどれだけの負担だったかは計り知れない。きっとお金を渡して買わせた方がラクだっただろう。それでもキッチンには毎朝お弁当が置いてあって、毎晩綺麗に洗われたお弁当箱が並んでいた。
学校に行けなくなった日。
授業に出られなくなった日。
お母さんに内緒で何度も何度もさぼった学校。
それでも毎朝お弁当は用意されていて、毎晩空のお弁当箱を洗ってもらった。
何度も何度も、作ってもらったお弁当を食べずに捨てた。
食べなきゃいけないってわかっていて、でも食べられなくて、素直にそれが言えなくて、本当は無駄にしちゃいけないってわかっていて、自分を最低で最悪な奴だって責めて、
それでもやっぱり捨ててしまった。
「今日もおいしかったよ」
そんな大嘘をついてお弁当箱を渡した。
すり減った心をさらにすり減らして
これ以上ないくらい自分を嫌いになった。
本当のことなんて誰にも言えない。言ったところで理解されない。本当のことを知ったところであなたにいったい何ができるの?
ありきたりな思春期がぐるぐる回り続けて
良い子でありたい感情と、良い子をやめたい衝動の狭間で
毎日毎日もがいて
自分がここで生きていることの証明に必死になった。
ある日、久しぶりにお弁当が食べられる気がして開いた弁当箱。
不格好な卵焼き。
器用になった箸でも、一枚の紙みたいに広がって
あの時悲しくなったそれは
なんだかとてもあたたかくって
こわばった心をほどいていくようで
あの時の味覚なんてもう持ち合わせていないのに
あの時と同じ甘い甘い卵焼き。
卵焼きは甘い方が好きだ。
家を出た私にお弁当を作ってくれる人はいない。
料理をするようになってわかった。
卵焼きは難しい。そしてめんどくさい。
甘い卵焼きは殊更難しい。
自分好みの甘さにはなかなかならない。
同じものを再現できない。
だから卵焼きなんてもう久しく食べていない。
居酒屋で頼むだし巻き。寿司屋で頼む卵焼き。
どれもおいしくて、魅力的だと思う。
でもやっぱり
卵焼きは甘い方が好きだ。
悲しみを打ち消す
こわばった心をほどいてく
あの卵焼きが好きだ。