私が先生でいたい理由
うつ病を患ってから、多くの人に先生をやめる選択肢を提案される。でも、私の中には先生をやめるという選択肢は存在しない。
私が先生になりたいと思ったのは高校の時の恩師に憧れたからである。
それでも、文学部から教職課程をとって教員採用試験を受けるに至るまでのモチベーションは他のところにあり、それがまさしく、私が先生でいたい理由である。
大学生の時にとある選挙事務所でバイトをした。結果的に議員になるその人は若い世代が生きやすい世の中を作るために、最年少議員を目指していて、その目標を多くの区民の前で熱く語る姿を隣で見ていた。
世の中には理不尽だと思うことがたくさんある。悲しいと思うこともある。社会の仕組みに疑問を思うことも、政治について違和感を感じることもある。自分が60歳になった時に日本が、世界が生きていてよかったと思える場所になっているかどうか不安に思うことがある。だから世の中を少しでも変えたい。その思いは議員と共通していた。
でも、私は政治について詳しくないし、大勢の人の前で演説をする力も勇気もなく、足を止めて聞いてもらえる自信もない。
明治大学の齋藤孝先生はこういった。
「教員は年間約200人×40年=8000人に自分の思いを伝えることができる。1回限りの講義ではなく何十時間もかけて思いを伝えることができる。そしてもしその8000人の中から1人でも教員が生まれたらその思いは16000人に広がっていく。」と。
だから私は先生でいたいのだ。
私が、幸せな未来を思い描くこと、その実現のために社会に出て生きていくことの大切さを訴えることができたら、総理大臣を目指す生徒が生まれるかもしれない。弁護士や医師、報道、研究者…。どんな職業であっても未来のために働く人材を育てられるかもしれない。選挙に行くことの大切さ、自分の意見を国に届けることの大切さを知ってもらえるかもしれない。
そんなたいそうなことじゃなくてもいい。自分が幸せに生きること、その幸せを自分以外の誰かに分け合うことを知ってくれるだけでもいい。
私には世界を変える力はない。
でも、私が先生として教壇に立ち続けることで世界を変える力を生み出すことができるなら、私の小さな訴えはよりよい未来を作っていくのかもしれない。
私が先生でいたい理由。
それは、未来を少しでも良くしたいから。
生きていてよかったと思える明日を守りたいから。