毒親と幼少期
皆さんこんにちは。
毒親育ちの会社員の楽太郎です。
意外にも初めて書いた自己紹介の文を読んでくれた方がいたことに感激して、感謝しかありません🤣
読んでくれたことにありがとうございます。
これからも自分のペースで書いていきたいと思います。
前置きが長くなりましたが、今回は毒親と幼少期について書いていきます。
毒親な自分の親
自分の親は世間で言われるところの毒親だった。
自分の下に2歳下の妹がいる。
2歳下ということは恐らく自分が1歳ぐらいには妊娠していたのだろう。
そもそも子供が欲しいという願望自体が親のエゴに等しいのに、一歳ぐらいでまた2人目を妊娠というの地点でかなり「自己中心」であると思う。
そんな感じの環境で自分は何かにつけて物を隠したり、困らせたりしていたらしい。
それは普通のこどもなら当たり前の事。
なぜなら子供は「自分」を愛して欲しい。
のだから。
自分を見て欲しい。
構って欲しい。
愛して欲しい。
わがままを聞いて欲しい。
こんな感情は子供として「当たり前」であり、どの子供も共通する。
だけど、毒親な自分の親は下の子ばかりに気を取られてろくに相手をしない。
その腹いせや構って欲しい感情に「いたずら」をして困らせていた自分がいた。
恐らく今ならわかる。
「いたずら」や物をなくしたりして親を困らない。
子供ながらにそう感じ相手をしてもらうために必死だったのだろうと。
ただし、ろくに学もなく思い込みが強い毒親はそんな自分の感情は理解出来ず、そんな自分の行動が気に入らなかったのだろうと思う。
幼少期
それからしばらくして、自分は保育園などに入っていたらしい。
記憶はないが、周りと比べて言語や発達が遅かったらしく、そんな感じでずっと構って欲しいから「いたずら」をし、したいことをうまく「言語に表せない」ので親を困らせ続けたのだろう。
そして、ある日に病院で言われた言葉。
それがこの子はこのままいくと「犯罪者」になる。
と言われたらしい。
そんな言葉を信じる親も親だが、それほどまでに自分という「存在」が毒親にとっては負担だったのだろう。
幼少期の記憶は正直なことを言うとほとんど記憶にない。
だが、小学校ぐらいにこう言われた。
そんな感じで幼稚園の年中あたりで施設に預けられた。
施設に預けられた過去。
施設に預けられる時、自分は病院の「カウンセラー」の人と一緒に行った。
その時にはどこに行くのか知らなかったが〇〇学園という建物はよく覚えている。
親元→病院→施設と生活が転々としていた幼少期。
でも、本当に苦しいのはここからだった‥
毒親育ちの方、または人生で苦しんでいる方に読んでもらえると嬉しいです。
同じ様な境遇の方や共感していただけたら仲良くなりたいのでフォローして頂けると嬉しいです😆