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【小説】弥勒奇譚 第八話

疲れも頂点に達した頃ようやく室生の里に入った。
室生寺の入り口はすぐに分かった。造営中とは聞いていたがあたりに人影はなく、小さな橋を渡って足を踏み入れた境内は静まりかえっていた。
咎めだてもされず長い石段を登って行くと右手に
懸崖造りの御堂があり中では仏像を制作中のようである。
是非覗いて見たい衝動に駆られつつも中にいるのは造仏所の仏師達だと思うと気後れして素通りした。
突き当りの瀟洒な五重塔を参拝し早々に引き返し境内を出た。
道に戻りまた山道を登って行く。龍穴社はもうすぐそこのはずだ。
鼓動の高まりを感じつつ一歩進むごとに辺りの景色を眺めては見るがどれも夢で見た景色ではなかった。
焦りとも何とも言いようのない感覚を覚え、単なる夢で見た光景の謎解きをこれ程までに期待していた自分にも驚き呆れた。
ようやく龍穴社に到着した頃には山道の疲れも手伝って今にも座り込みそうであった。
注連縄が張られた結界で一礼しゆっくりと足を踏み入れた。
境内は鬱蒼とした大木に囲まれ木々を揺らす風の音が遠雷のように響き深山の趣を一層増していた。
参道の先には質素な本殿が建ち、右手には社務所らしき建物があった。
薄らと雪化粧した境内の参道を抜けて本殿の前で手を合わせた後、社務所らしき建物の前に立った。
「京より参りました仏師の弥勒と申します。どなたかおいでになりませんか」
声を掛けてみたが返事がない。あたりに人気もなく致し方なく社殿の回廊に腰を下ろして待つことにする。
雪は止んだが、だんだんと冷え込みが厳しくなってきた。
しばらくすると一人の老人が訝しげに近づいてきた。
老人は七十歳くらいの小柄な男で身なりからすると
神職であることは容易に想像できた。
「旅のお方かな」
「京より参りました仏師の弥勒と申しますがこちらのお方でしょうか」
「おお、あなたが。お待ちしておりました」
「このような鄙の地へ遠路はるばる良くお越しくださいました。
なんのもてなしも出来ませんがまずは休まれよ」
「遅れましたが宮司の不動と申します。ここは私一人ですのでどうかお気使いなく」社務所の中に通されて腰を下ろすとようやく囲炉裏の火の暖かさで人心地がついた。
「お一人では何かと大変でしょう」
「なに、里の衆があれやこれやと手伝ってくれるのでな。
しかし私も歳なのでいつまで持つやら、ここまではなかなか来てくれる物好きもいないのでな」
「今回のご本地様の造立も引き受け手がなく弱っておりました」
「どのような方が来てくださるのか心配しておりましたが、京より腕利きの仏師が来られると聞いて楽しみにしておりました」
「腕利きなどと言われると恥ずかしい限りです。
まだまだ若輩者です」
「ところで弥勒殿は御幾つになられる」
「三十歳になります」
「お若く見えますな。京のお生まれかな」
「私は物心つく前に京で寺に預けられて生まれも両親も定かでは無いのです」
弥勒は自分の生い立ちを話すのがあまり好きではなかった。
それは生まれ育ちが理由だと言うことはよく分かっていた。
不動の話を振り切るように仕事の話を切り出した。
「ところで仕事場を拝見したいのですが」
「そうじゃ、仕事場はここから三町ばかり上がったところに今は空き家となった家があるのでそこを使ってもらおうと思っておる。明日にでも案内するので今日はこちらで休まれよ」
その晩は旅の疲れも手伝ってすぐに眠りに落ち夢も見なかった。

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