一個の林檎を照らす新しさの方へ
何冊かの詩の入門書を開けば、戦後からいまへと注ぎこむ現代詩の流れと、各時代の詩のおおまかな特徴を知ることができるだろう。たとえば戦後の「荒地」派の「戦争の記憶」から、五〇年代詩の「感受性の祝祭」を通過し、六〇年代詩のより過激でアナーキーな言語の地平へ。
そのように前の世代の形式や内容を継承し、あるいは批判し、変化し続けること。いつの世にも詩はそう望んできたのかもしれない。現在でもなお、どんな詩の言葉も過去の詩とどこかでつながりながら、時代の動きに沿って変容し続けているのだと想像することはできる。けれど実際に、いま詩を書こうとする人は、近代からの、あるいは戦後からの詩の歴史の流れと自らの詩の発生をどのように結びつけて見ているのだろうか。
一九八六年の谷川俊太郎と吉本隆明の対談「僕らが、愛してゆくこと老いてゆくこと詩を書くこと」(『吉本隆明対談選』所収)で二人は、近現代詩の歴史の流れと自分自身が詩を書くことの関係について語っているが、谷川俊太郎は「(詩の)歴史と関係のないところで書いてきたような気がする」と言い、吉本隆明はこう答える。
「ぼくの場合は大岡(信)さんと同じように近代から現代にかけての詩の歴史地図を頭に描いて、自分はこの場所でこんな問題意識をもって書いている、というか書かされている、と思ってきたのです。自分が子供の頃から書いてきた自然発生的な流れのようなものと歴史の流れみたいなものがピタッと合うといいますか、それが理想なんだと思ってきたのですが、それがある地点から、もうだめになってきたな、できなくなってきたな、と思うようになりました」
たとえ、これから詩を書こうとする人が、吉本隆明のように自分の「自然発生的な流れのようなものと歴史の流れみたいなものがピタッと合う」ことを意識せずに、個人的なやむにやまれぬ思いに突き動かされて書き始めたとしても、読む人たちは、詩史的に「新しい」と思える何かを彼らの作品から見つけだそうとするのだろう。
現に、新人を対象にした作品投稿欄や詩集賞の選評では時おり、「新しい」という形容詞が好意的に使われている。だが、この詩はなぜ新しいのか、何と比べて新しいのかについては具体的に記されていないことも多い。もし選者や評者はつねに新しい何かを発見しなければならないという義務感から、新人の詩の特徴を「新しさ」と翻訳したのであれば、そうした一時的な「新しさ」は、数年後には別の新しさの陰で色あせて見えるのかもしれない。
数年前には見かけなかったはずの新奇の形式や内容を「新しい」と読み取る。その性急な反応の場には、作家の倉橋由美子がエッセイ「新しさとは何か」(『迷路の旅人』所収)で指摘したように、どんな業界にも「たえず新しいものが出てこなければならない」、「あとから出てきたものは進歩したもの」なのだからといった「窮屈な」囚われがないだろうか。
「新しさの危険な点は、それが自動的に新しくなくなり、しかもただ単純に失われてしまう点にある。この点、若さや生命と同形だ」というヴァレリーの言葉(堀口大學訳『ヴァレリー文学論』)を反芻しながら、詩の新しさとは何だろうと想像してみる。
それはほんの数年前の詩といま書かれた詩との表面的な形の違いや、社会の変動に即して書かれた作品の内容の鮮度のことでもなく、詩が本来持つはずの性質や可能性のことではないだろうか。
菅野昭正は評論集『詩の現在 12冊の詩集』の序文で詩の成りたちについてこう記している。
「詩が成りたつのは、読者がテクストに触れて、意味と音と映像との精妙な組織を蓄積しているそのテクストから、詩人の生のなかを一度だけ通過した内的経験にほぼ等価なものを抽きだすときまで、待たなければならない。その等価物が抽きだされないかぎり、詩は永遠に存在しないといってもよい」
ここで言う内的経験とは、たえず日常世界へ還流する通路が植えこまれた小説の言語の場合とは異なる、言語そのもの以外になんの拠点も持たない詩の、日常から切り離された内的経験を指しているのだが、読者がそうした日常世界を超える内的経験を所有するためには、「もともと日常生活の道具にすぎない言語から新しい組織をひきだす試みが、たえず更新されていなければならないはずである」という。
つまり詩を書くという行為は、「日常のふつうの生活における意志や感情の表現の道具、あるいは伝達の道具としてわれわれにあたえられている言語の組織から新しい生命をひきだし、そこにひとつの新しい組織を紡ぎだすところに出発点をもっている」(「官能の讃歌 岡田兆功『なまめかしい処から』」)のだと。
これらの文章は、二〇一九年に翻訳書が出版された、ジャン=ミシェル・モルポワの『見えないものを集める蜜蜂』(綱島寿秀訳)の次の言葉を思い起こさせる。
「書くとは、物の名を変えるというよりはむしろ、ことばにつもった埃を払いのけ、世界を灰一色の単調さから救い出すことである」(「(不器用に生きている人間は……)」)
このように「言語の組織から新しい生命をひきだし」、「世界を灰一色の単調さから救い出すこと」を見事に成し遂げている詩を目にしたとき、読者はいまはじめて出会う何かがそこにはあると感じるのではないだろうか。
そして詩のうえに刻まれた、言語の新しい組織を織りあげる試みの跡を辿り終えたあと、作者だけでなく読者もまた、日常の多くのしがらみに囚われて見えなくなっていた、言葉と言葉との、言葉と世界との、ひいては自分と言葉との、自分と世界との新しい関係を発見するのかもしれない。
新しい、とはいってもそれは未知ばかりを指すのではないはずだ。詩の新しさとは、一つの言葉を本来あるべき場所へ戻して輝かせることでもあり、その澄んだ原初の輝きのもとで、書き手と読み手が属する世界の本来の姿や普遍性をふたたび見出すことでもあると思う。
「新しさの中にあって最上のものは、古い欲求(デジール)にかなうものなのだ」というヴァレリーの言葉のように。
ある詩的な作品が一人の読者にもたらした、みずみずしい感覚の体験と世界の新たな現れ方の記録として、宇佐見英治のエッセイ「純粋の眼」(『明るさの神秘』所収)の一場面を引用してみたい。
若き日の宇佐見は、リルケの『マルテの手記』を読んだあと、「世界を決して概念化せず、あるがままにこの眼で見ることを初めて知った」のだという。
そんなある朝のこと、彼は「途中で買った林檎のひとつを左の袂に入れ、あとのひとつを同じ左の掌にのせて歩いていた」。そしてふと林檎に目をやると、それが突然上から落ちてきたように思え、自分の掌が林檎を宙に受けとめているのを感じる。
「この完全な天の球体、いま眼をさましたように粉をふいている暗赤色の輝き、無数の星雲が夜のうちに影をしるしづけたような表皮の斑点、この林檎は内にむかって固まることにより、木とは独立した「もの」となり、自分のまわりに恐ろしい静寂をつくっているのだ。私は初めて林檎が食べられるものではなく、触れられ見られるものであり、触れることによって私は夜や野原にさわり、見られることによってそれが心中に重く沈んでくるのをかんじた。それは一瞬の感動だった。眼をあげたとたんに、私はなぜか目に見えるこの世界がまだ充分には眼をさましていず、それゆえその薄明が何ともいえず爽やかに優しく感じられたのを思いだす」
ふだん使っていた言葉や身体の感覚だけではなく、見慣れたこの世界の薄明が、掌に包む一個の林檎さえもが、目にしたばかりの言葉のひかりに照らされて、いま生まれたかのように輝きだす。
そんな稀有な体験を、読み返すたびにもたらしてくれる詩を、私は、新しい詩、と呼びたいと思う。
おおやけの詩史の流れのなかでではなく、その一篇を心から求める、一人の読者との親密な交流の時間のなかにおいて。
そんな「新しい」詩と出会えるかどうか。二〇一〇年代が数年で終わろうとしている時にもまた。すると幸運にも、消えない新しさをまとう何冊かの詩集にめぐり逢えた。なかでももっとも惹かれた、三人の書き手の第一詩集に触れてみたい。
まずは十田撓子『銘度利加』(思潮社)。
表題作は、静寂のなかから始まる。
本書には、詩人の故郷である、秋田県鹿角市大湯の古の時間に潜む、「さきの世で繋がる人たち」の「受け継がれなかった物語」が刻まれている。
旧南部藩領だった鹿角は戊辰戦争で敗者となった過去を持つが、十田氏は、それ以来不遇の境地に落ちた者たちや、大湯と青森の三戸を結ぶ「古の来満(ライマン)道」を通ってきた者たちの姿を思い、聞こえぬ声に耳を澄ます。
そしてかすかな息吹や水音の奥にある誰かの魂の温みと震えの痕跡を、自身の生としてふたたび生きるように辿り、詩のなかで息づく記憶へと変えた。
詩集全体を通して、死者の気配や名もなき魂の彷徨の記憶にそっと触れるように言葉は密やかに、しかし奥行きのある情景を的確に描きながら動く。端正な言葉が適切な場所へと導かれ、詩のうえに「美」という秩序が生まれるとき、読み手は「聖なる」とも呼べる恍惚の空間へと招かれる。
過去と現在が二重に映りこむ豊かな語りの空間のなかで、不在の者は現存する者となる。人の命の原型と果ての姿を同時に宿すような、「見知らぬちちはは」の物語は、ここではもはや過去ではなく、永遠の現在として生き続けるのだろう。
いくつもの生と死の物語の水脈を、自らの身体の声に移し、伝える。この現在の叙事詩を生み落とした言葉の胎内の闇の深さ、温かさに驚きを覚える。
次は、マーサ・ナカムラ『狸の匣』(思潮社)。
本書には、此岸と彼岸が、日常と異界が溶けあう幻想譚や民話を思わせる物語の構造を持つ作品が並ぶ。ここでは狐や狸や天狗など異界へと通じる者や死者たちが、語り手の日常に自然に入りこみ、現実の規律に縛られずに生き生きと動く。
冒頭の詩「犬のフーツク」に登場するのは、戦時中の疎開先で過ごす三年生のみどりと言葉を話す犬のフーツクだ。
フーツクはみどりに、家族を流行病でなくした子どもが主人公のタイの昔話の絵本を見せる。偶然にも一人生き残ったタイの子どもの運命が話者みどりの人生の時間に入れ子のように入りこむ瞬間、人智を超えた命のめぐりの不思議が詩から滲みだす。詩の終わりにフーツクは言う。
「瞬く星と瞬かない星があるだろう。あれは、生まれる前の子どもたちが、代わる代わるに覗いているために瞬くのだが、瞬かなくなった星は、誰かの子どもになりたくて、まばたきもせず見つめている子どもがいるのだ。俺も、あの眼がほしい」
それまで夢幻の変奏として感じられていた作品全体が、「俺も、あの眼がほしい」という心の破れ目めいたひとことによって、個人では動かしがたい人の宿命をめぐる物語の生々しい断片へと生まれ変わる。言い換えれば、人の生誕の謎に触れるこの会話の出現によって、読み手の現実の生の意味もふくらみだす。虚構と現実の皮膜のあわいに触れる言葉の先から、人がここにこうしてあることの切なさすらも覗き始める。
こうした諸篇の特異な着想や展開はもちろんのこと、やはり強く惹かれるのは、物語る言葉自体の存在感だろう。虚構と現実との対立を無化しながら物語を紡ぐ一語一語の組み合わせの奇妙な面白さと確かさ。形容の無駄のなさ、イメージを喚起する力など。それらを味わううちに、物語のために言葉はあるのではなく、唯一の言葉のために物語という器が用意されていると思えるほどだ。
直感的とも言えるみずみずしい想像の世界を正確に支えながら自らも飛躍する言葉の洗練と力強さが、一冊の時空のすみずみにまで希望のように満ちている。
最後の一冊は、水下暢也『忘失について』(思潮社)。
まず魅力的な詩の冒頭を少し引用したい。
気韻が匂いたつ詩の言葉は、時の微細な移ろいに寄り添うように、その場限りの光と陰翳、音と色香を繊細にすくう。そしてあるときは、霧がたちこめる祠の前へと時間がふたたび還るという、いわば時間なき時間の光景を描き、あるときは、古井戸をのぞく何者かが帰らない者となる「かみかくし」の戦慄の瞬間に留まる。
慎重に磨かれた詩行の澄んだ鏡面には一見、語り手の感情や思いは映りこんではいないが、下手な情などこめずとも、そこに現れる映像のなかに何もかもがすでに含まれているのかもしれない。
「狙撃者の灰色」は、「はじめて空き巣に入った」男が語り手という一篇だが、言葉は彼の移動を丁寧に映してゆく。
古工場の庇で風雨を凌ぐ彼が見あげた煙突には、「五体を弛緩させた人間」が垂れ下がり、彼は猟銃を構える。すると突然子どもが現れ、落ちていた手袋を拾い、彼に向かって「威嚇の構え」をとる。目と目が合った緊張の頂点で、ぱっと暗転したように詩は終わる。
弛緩した死体、威嚇する子どもという、突如現れたもう一人の自分のようなむき出しの生の正体はわからぬままに、ただ対峙するしかないというように。
精緻な言葉で編まれたいくつもの情景の底に流れる不穏なまでの静けさと、その奥にある、記憶の傷が疼くようなノスタルジアは、人の生の常態なのかもしれない。本書を開くたびにそんな思いが尽きることのない泉のように湧きあがる。
これら三冊の詩集は、書法も言葉の個性もそこに漂う世界観も異なる。けれど共通するのは、詩人の内側を通過した情景や物語を詩のなかの実像に変える豊かな想像力と言葉の確かさだろうか。
想像力=イマジネーションとは、単にイメージを生む力のことではなく、入沢康夫が「イマジネーションと詩」(『詩の逆説』所収)で語ったように「現実に対して我々が心に抱いている安定した像をゆさぶり、ゆがめ、打ちこわしてくれるもの、そして、それを超えた、事物やイメージの新しい関係づけの原動力となるもの」だろう。
入沢康夫は続けて、イマジネーションが真に発揮されるときには感受性に革命をもたらす、と書いた。「詩が現実に対決しうる批評であり得るのはこの感受性の革命を通してでしょうし、また、詩が日常の言葉までも新しくするということも起こる」のだと。
(ここでの「感受性」という一語は、ポジティブな意味での受動的で変容的な主体性、思考、想像する余白のことだとわたしは捉えている)
こうした考えは二〇二〇年代に詩を書く人にとってはすでに過去の情報なのだろうか。想像力を欠いた出来事が連日マスメディアを賑わす世界の片隅で、あの一個の林檎を新たに照らしたイマジネーションの眩さの意味を繰り返し考えたいと思う。
※初出:「現代詩手帖」2020年3月号
note掲載にあたり詩篇によっては、引用を数行増やし、加筆、修正した。