本とコーヒーと惑星と
今月頭の、とても楽しかった神戸の講演がなんだか遠いことのようだ。
金木犀の香りにつつまれて歩くのが気持ちよく、温暖化とはいえ、たしかに季節が変わりつつあるのを感じる。
夜にはコーヒーを淹れながら本を読んだり映画を見たり。新しい一篇についても、手を動かしつつ考えている。
淹れたてのコーヒーを片手に、外の喧騒から少し離れてみると……。胸のなかにほどよい風の通路ができ、ほがらかな空気のなかで自分のことにより集中できる。そんな時間が、心地よい。
先日提出したばかりの「現代詩年鑑」のアンケートでもふれたのだけれど。
今年刊行されたものではないものの、今年読んだ本のなかで、もっとも「リリカル」でみずみずしく、詩を読み、書くことの喜びのはじまりを思い出させてくれた一冊が、いま、手元にある。
片山令子『惑星』(港の人)だ。
本書には1990年代から2018年までに片山さんが書いたエッセイが収録されている。
絵本の書き手としても知られるこの詩人の詩集をこれまで読んだことはなかったので、エッセイのあいだに掲載された小さくて澄み切った詩を初めて読むのもとても新鮮だった。
自身の絵本作りや詩作のこと、「リーフレット」と呼んでいた個人誌のこと。交流のあった岸田衿子や北村太郎についてや、大好きな音楽のこと。
そして、「手紙」や「花束」、「コクテール」や「リボン」、「雪」「ノート」「本」など。片山さんが生きてゆくなかで「リリック」だと感じていたものたちの芯にある詩の結晶が、清々しい風のような語り口で、丁寧に温かく見つめられている。
この一冊は神戸を訪れた日に、須磨海岸近くにある、詩歌好きにとっての灯台のような場所、自由港書店さんで購入したもの。
講演の翌日には、教会を改装した美しいカフェで大切な友人とお茶をゆっくりと味わったこともあり、幸福感につつまれながら東京に戻った。
帰宅後のまだふわふわとした気持ちと、ぼうっとした頭のまま、この黄色の表紙を何気なくひらいたとき。
ずっと遠回りしていたけれど、こんなに澄んだ、まばゆい歌を自分に聞かせてくれる小鳥が、ここにいたんだ……という気がした。
余計なものはひとつもない。
ここは、すべてが収まるべき場所にしっくりと収まっている、居心地のよい小さな図書室に似ている。
読んでいると、神経の砂浜がきれいに洗われてゆくようで、こんな日差しのなかから、わたしもまた、歩き出したいと思った。
いまはまだ下手な感想や批評めいたことを言ったりはしたくない。
それくらい雑味のない、水底まで透明な、貴重な一冊。
この本のように、このうえなく繊細であることは、このうえなく情熱的でもあることなのだと感じながら。
わたしの好きな箇所を、アトランダムに、いくつか引用してみたいと思う。
大切に、一ページずつ読み、思う。
詩を書くひとは、一人ひとりが独立した、唯一の惑星。お互いのひかりを尊重し、愛しく思い、近づいては離れ、また近づく。その喜びを、だれよりも、ふかく分かち合うために。