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冬の「出発点」から

 昨日、詩をお読みくださった方からお手紙をいただいた(とても嬉しく拝読しました。ありがとうございます)。
 そこには、時間をかけてお読みくださった「アンリエット」への丁寧なご感想と、今年の夏に七月堂古書部さんで詩の展示をご覧くださったことが書かれていた。
 
 わたしはたまに、それまでは名前も知らなかった温かい読み手の方々から、思いがけないお手紙をいただいたり、詩誌の販売時には直接メッセージをいただくこともある。
 そのなかには、過去の詩集を長くお読みくださっているという声もあり。それらはとてもありがたく、一つひとつの言葉を大切に保管している。

 わたしの詩をお読みくださる方は、「ひとり」で過ごすのがお好きな方が多いのかな……と感じることもある(わたし自身がグループでの活動が苦手なので、ひとりが好きな方を自然と引き寄せているのかもしれない)。

 わたしはいつも、どこかにいるはずの「ひとり」の人に向けて詩を書こう……と思っている。たったひとりでいる人の夜の机や頰を照らすランプになれたら、と。
 詩は、書き手と読み手がその言葉のなかで親密で静かな一対一の関係を結べる空間、だとも感じるから。
 そして、見知らぬ「ひとり」の人が佇む岸辺まで、自分が思うよりも遠くまで。詩は流れていっているのだな……とありがたく思う。
(たとえば、以前、ドラマ『silent』の佐倉想くんという貴重な存在に、詩が出会えたように)

 今回お手紙をくださった方は、夏の詩の展示でも飾られていた作品「出発点」のことも、思い出してくださった。天井から下がり、揺れていたこの詩のことを。「出発点は揺れていてもいいのだ」と思った、と……。

 「出発点」は、もう17年も前に、松浦寿輝さんに「ユリイカ」の投稿欄で選んでいただいた一篇。第一詩集『水版画』にも入れてある。文字通り、わたしの出発点。

 このnoteの記事にも書いたのだけれど。わたしがもっとも好きな詩集『冬の本』の著者でもある松浦さんの『全詩集』についての文章を、先日、書くことができた(「現代詩手帖」2024年12月号)。
 たとえば、日々刊行される詩集についてSNSで即座に呟くことも、書き手を励ますためにはときには必要なのかもしれない。けれど、短く速く触れ、本を閉じてしまえば、その分だけそれは素早く過去になってしまう気もする。
(だからとくに惹かれた詩集にはなるべく個人的に返信するようにしている。それはゆっくりとでもあるし、頻繁にはできないことだけれど……)

 自分にとって魅力的な詩集であればあるほど、いつまでも読み終わることはなく、現在でありつづける。それについて瞬時に、簡単に話すことは難しい。
 だから『全詩集』についての書評では、読み終えることはないだろう一冊の詩集についても、読み終わることのない魅惑のなかで、書いた。この大著の尽きることのない魅力が少しでも伝われば嬉しい。

 ずっと憧れてきた詩についても、いま、こうして書けたことで、長かったひとつの季節が終わり、別の季節が始まるのかもしれない……と感じた。
 ここを新しい出発点にして、またつづけていけたらと思う。
 どこかにいるはずの、「ひとり」の人に、いつか出会えるように。

 詩、「出発点」はこちらから読めます。よろしければ、ご覧ください。