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[詩] 雪国

生まれるまえの岸辺
はじめから
櫂を持たない子らのなかに
わたしもいた

眠るのは
葦に囲まれた廃屋
長雨に濡れ
落ちる果実の匂い
苔むした食卓に灯る
見えない無数の火

姿も声もない子らは
透明な手をかざし
あたたかくて うれしくて
ゆれ ゆられ
そのままちいさな炎の
一部となってしまう子もいて
対岸は 今日も
迎えの舟が渡れないほどの 霧
ガラスのない窓から
めずらしく流れてきた
真白いマグノリア
まだ人が住んでいる遠い街の

枯れかけた花びらをわけあって
スカートにしたり くるまったり
お互いに聞こえない声で笑い
腐った葦のあいだで眠るうちに
べつべつの風にとばされ
さむいね と伝えるかわりに
透明なくちぶえとなって

目覚めれば
もう どの子も いなかった
車窓を流れる白い広場
短い焚火のあと
鴉とともに舞う紙束の灰
生きるために
ひとは
だれかの手紙を
燃やさなければならない

生まれるまえの廃屋の壁と柱から
毎夜 こぼれおちた
子守りうためいた砂は

つねにかじかんだ
赤いゆびさきでふれると
ねえ さむいね、あたたかいね、
だれか ささやく

ゆれ ゆられ
すべて
忘れるために通過する
姿のない子らにしか見えない
くちぶえとなって

永遠に舟の着かない 白い岸辺
霧の汽笛
いまもわたしが眠るのは
ちいさな葦の家
だれも訪れない食卓の
無数の火に
凍えた手をかざすために
長いトンネルを抜け
今日も
砂の
雪国へ行く













初出:「ユリイカ」2024年7月号。
改行位置や表記を変更した。