【社会心理学】努力は報われるのか
皆様こんにちは!
努力して何かを成し遂げたことがあまりない人生でしたorz
モミでございます(´・ω・`)
皆様はこの名言をご存じでしょうか?
努力すればなんでもできるんじゃないか?と思わせてくれるいい言葉ですね
大学受験の時はこの言葉を胸に必死で勉強したものです。しかし、結果は惨敗・・・滑り止めの大学に通うこととなりました
皆様の中にも同じような経験をした方がいらっしゃるかもしれません
どうして努力は報われないのでしょうか?
結論から言えば、努力の仕方を知っている人がいないからです
ってことで、心理学の知識を使って努力について語っていこうと思います
努力しても無駄なのか?
ちょっと達観した方は、「努力しても報われない」と思っている方がいらっしゃいますが、私の意見としては、それは「そう思い込むことで救われたい」と考えてるのだと思います
自己効力感
ここで「自己効力感」という心理学用語をご紹介します
定義としては、「人がストレスの原因に立ち向かい克服しようとする程度」とあります
つまり、何らかの問題に対処するとき、どれくらい効果的に解決できるかという期待と自信のことを言います
努力しても無駄と思い込む人は、自分に自信が持てなかったり、努力することに希望が見いだせない状態なのだと思います。「期待も自信もありゃしない」ってことですね
期待と自信を持つために
さて、自己効力感を持つためにはどうすればいいのでしょうか?
ここでは「ワイナーの原因帰属理論」というものを挙げます
心理学者Weinner.Bは、特に課題の成功と失敗の原因を何に求めるかについて注目して研究しました。
表にするとこんな感じですね
課題が成功したとき、それを自分の内面に求める人の心理は「自分には才能がある」と思うか「自分は努力してきたからだ」と思うか2択です
どっちも自信がありそうな感じしませんか?
逆に課題の成功を「簡単だった」「たまたまだよ」という人は、自分に自信を持っていると思いますか?
それが自己効力感を持つための答えです
「失敗は努力不足」と思い込む?
上の表の内的統制/不安定の部分を見てください。
課題が成功したとき・失敗したときに、努力したから・努力が足りなかったからと考える人は、原因を自分の内面の、それも不安定(時と場合によって変わる)部分に求めていることが分かります
これは、「何を原因と考えるのが良いのか」という、良い悪いという話ではありません。
が、自己責任論が叫ばれる現代では「内面に原因を求める事は良いことだ」と考えがちになります
すると、課題の難しさや運といった要因を無視しがちになります。つまり、本当は努力だけではどうにもならない部分でさえ自分のせいにしてしまう恐れがあります
このような点を考えないと、失敗=努力不足➡もっと頑張ろうとなって、かえって疲れてしまいますよね
努力しても無駄と思う人はもしかすると「疲れた人」なのかもしれませんね
努力できる人になるための研究
ここまで、努力するためには自分への期待と自信が必要で、その期待・自信を得るためには、原因を内面に求めると良いというお話をしましたが、同時に内面ばかり見ると疲れてしまい、かえって努力できなくなる事もお伝えしました。
せやったらどないしたらええねんって話ですが、ここは落ち着いて心理学の研究でも見ましょうや
数学のテストをやらせ、その結果について別の誰かが原因を説明するグループと自分で原因を探るグループに分け、どちらが自己効力感やスキルが伸びるか測る実験がありました。
結果、原因を他者が説明するグループは自信とスキルが身につき、その説明された原因が「能力や才能によるもの」と言われたグループは努力できる人間になったそうです
しかし似たような実験を別の学者がやると、今度は「努力によってその結果になった」と説明されたグループの方が、後々努力する人間になったそうです
つまり、第三者からフィードバックを受ける方が努力できる人間になりやすいが、努力したくなるようなフィードバックの内容は個人差があるという事です
別の研究では、無気力な子どもに課題をやらせ、その結果の原因について「能力が原因」と思い込んでいるときに「いや、それは君の努力が原因だよ」と教えると、子どもの学習意欲が向上したそうです
この研究から、結果の原因が努力だと思うことでヤル気UPが狙えることがわかりますね
長いのでまとめます
誰かに結果の原因についてフィードバックを受けると努力できる人間になる
でもフィードバックの内容で努力できる人間になるかは人それぞれ
結果の原因を「努力の結果だ」と思えることで、ヤル気UP!
ということです
絶望した人は努力する人?
じゃあ努力できる人間は、「結果は全て自分の責任だ!」考えてるかというと、実はそんなことはないのです
なぜか?
それは、「努力すれば何とかなる」というのは、ある種の絶望感があるからです
絶望感が高い人というのは、失敗の原因が自分の努力不足である事を知っています
いえ、むしろそう思い込むことで気分の落ち込みを抑えているのです
勉強ができない理由が生まれ持った才能によるものだと考えると、「いくら努力しても無駄じゃん!」と考えてしまうからです
これが絶望というものです。自分ではどうしようもない現実を見たくないために、努力に原因を求めようとするのです
絶望した人の心理
絶望した人は「才能ではなく努力で結果を出せる」と思い込むことで、「失敗しても次本気を出せばいい」と考えてしまうことがあるようですね
さて、このような人達の自己効力感はどうでしょうか?
自己効力感の低い人は「努力すること」に意味を見出せていないのです。
逆に言えば、自己効力感の高い人ほど結果の原因は努力にあると考えるようですね
分かりにくいかもしれませんが、これはある意味「失敗することへの期待と自信がある」と捉えられます
「努力すればいいとはわかるけど、結果には期待してないもん」
彼らの絶望感の根底にはそんな心理があるのかもしれませんね
満足できる結果を勝ち取るために
努力できる人は失敗しても成功しても自分の内面や努力に原因を求める傾向がありますが、絶望した人(平たく言えば結果を出せなかった人)も同じように努力不足であることはわかっています
でも、努力した先の結果に期待できないのです
どうすればいいのでしょうか?
ゴールを決める
そもそも何について努力しているのでしょうか?
どんな結果を求めているのでしょうか?
仮に望み通りの結果を得られたとして、その先に何があるのでしょうか?
このあたりを忘れてしまうと、努力できなくなります
だって、これって「努力のゴール」について聞いているんですから
絶望感で頭がいっぱいになると、努力した先のゴールが分からなくなります
そんな状態で努力するので、当然頑張れなくなります
ゴールのないマラソンを延々走り続けるようなものです。途中でバテるのは当たり前ですよね
やり方を変える
絶望感のある人というのは失敗の原因は努力に求めますが、同時に失敗から抜け出せないこともよく知っています
これまでのやり方で成功しなかったのが証拠です
要は努力の仕方が分からないのです
走るフォームやペース配分なんかを考えずに、馬鹿正直にマラソンしてるのと変わりません
見方を変えれば、あなたが得たいと考える結果(あなたが期待したい結果)に、今の努力のやり方が伴っていないのです
このやり方を「ラーニングストラテジー」といいます
そのまま翻訳すると「学習戦略」となります
ところで、「ストラテジー」の語源をご存じでしょうか?
元々は「軍を導く」という軍事用語だったそうです。
軍隊の指揮官というのは「戦略と戦術」ができないと生き残れない世界です
歴史に名を残す軍人も、生き残るために必死で「やり方」を考えたことでしょう
努力という場でも同じことです。
得たい結果を得るために必死でやり方を考える
これが努力だと思えば、少しは希望が見えるのではないでしょうか?
思いつかなくても、やり方を聞けばいいのです
私も、今は頭いい同級生の勉強方法を真似て努力しています
自分一人では思いついたとしてもやらないでしょうから
まだ些細な結果しか出ていませんが、少しずつ大きなものを達成できるよう皆さんと一緒に頑張っていけたら、それはとっても嬉しいなって
思ぉとりますよ