五味文彦『学校史に見る日本』を読む

 大学の歴史と言う場合、ヨーロッパの大学史を指すことが多い。あたかも日本の高等教育は明治維新とともに始まったかのようであるが、近世以前の日本にも高等教育があったことを忘れることはできない。
 足利学校の創設については諸説あるそうだが、一説によるとボローニャやパリで大学が起こったとされる11〜12世紀よりさらに古い。
 岡山の閑谷学校は(閑谷学校のウェブサイトによると)「現存する世界最古の庶民のための公立学校」である。17世紀に庶民のための学校があったことはやはり驚きに値する。
 日田の咸宜園は入門者が5千人に及ぼうかという大規模なものであったらしい。現在でも5千人規模の学校は決して多くない(同じ大分の立命館アジア太平洋大学の学生数は5千人強)。ましてや、人口が3千万人前後の江戸時代である。往時の隆盛が偲ばれる。
 ところどころに事務職員について言及があるのも本書の特徴ではないか。
 昌平坂学問所については「学規と職掌を定め、生徒の教育をつかさどる員長・司講・司監の教員、司計・司籍・司漏・司記・司賓の事務職員の八つの職制を制定した」とあり、「司計は会計掛、司籍は図書掛、司漏は時報掛、司記は記録掛、司賓は賓客の応接掛」と記されている。
 司計は財務部、司籍は図書館、司漏は教務課、司記と司賓は庶務課といったところだろうか。興味は尽きない。


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