糖尿病になって気付いた母の面影
色々な偶然が重なって今が
あると思う。
例えば、今入院中です。
恥ずかしながら、
自分の女性性の部分を
もうどうでもいいやって
思い始めて色々なものを捨ててきました。
例えば、体重とか。
捨てるというのは
色々と努力するより
見なかったことにしようって
意味です。
55歳を過ぎたとき、
なぜか、もう女性としての
自分について、もうどうでも
いいやって思いはじめました。
皆さんはどうですか?
徐々に衰える体力。
徐々に垂れ下がるおっぱい。
おしりのプリンとした肉は
どこかへ消え去り
よく見ると
お尻と太ももの間に
深い線が3本。
それでいて
樽のように膨れ上がった
おなかは
どんどんプールの水が
溜まるように増えてる訳で。
ここまで来ると
もう
ダイエットへの情熱は
消え去り
どうせ誰も見てないんだし。
街へ出るときも
スッピン!
あら!
そんなきれいな肌なの?
いや、そうじゃなくて
消えずに増え続けるシミは
もう消えないって気づく。
医薬部外品の化粧品や
自然派のアロマを使ってり
美顔器でお手入れしても
出来たシミは消えない。
かといって
美容外科に行く勇気もない。
怖いんです。
そして女性であることに
「あきらめた」
状態が続いていくと
どうせ
誰からも注目されることは
あるまいと
ポテチやせんべいに手が伸び
掃除をしなければいけない
時間はいつの間にか
おやつの時間に成り代わる。
冬の間はまだいいけど
夏の暑さはアイスが食べたく
なる。
母は糖尿性腎症で死んだ。
症状が強く出たころの母の
ことを覚えている。
母は元気に働いてはいたが
毎日アイスクリームを
いくつも食べていた。
それから
冷たい氷水をたくさん
欲しがる。
母はお菓子やタバコを売る
小さな店をやっていたが
高校生の頃の私は
母のアイスの食べ過ぎと
ウイスキーの飲みすぎを
いつも注意していた。
そんな母は享年73歳。
女性の平均寿命が83歳ぐら
いの頃だったから10年も早い。
乳がんで片方の乳房を切り落
としていた母だが、施術痕
にはこだわりはなく
温泉にも平気で入っていた。
周囲は見ない振りをして
横目で母のおっぱいの
あったらしい形跡の
場所を見て仰天していた。
そこはよもや
おっぱいという山ではなく
はっきりとした渓谷だった。
若かった私から見ると
痛々しい状態だが
母は平気だった。
「紀子、これはね
お母さんが精一杯生きてきた
証なの。病気に挑んで
勝ち取った傷跡よ。
恥じることなんてないの。」
私は母の
そんな強さにあこがれてはい
たがあのような傷跡を見るの
は忍びなかった。
そして
糖尿病の母の脚は切り落とす
ほど酷くはなかったが黄土色
になり固くなっていた。
常にむくんでいる状態が
常態化していて
母はその脚の異常さに
気付いていない。
実家に行ったとき
いつもマッサージしていたが
親指が入らないほどに固くな
り、感覚も鈍くなっていた。
何より怖い合併症。
母はもう白内障と緑内障に
なっていた。
むくんだ脚は壊疽が始まって
もおかしくない。
腎症はすでに発病していた。
本当は透析が必要だった。
頑なに彼女は拒んだ。
母の勇気と強さには憧れたが
病気だけは
遺伝して欲しくない。
若いころ
そう思っていた。
でも、今。
私はこの夏
アイスクリームを一日3個も
食べて、冷たい氷水を
3リットルぐらい
とっていた。
まるで
症状が悪化した頃の母
そのものだった。
認めたくなかったけど
同じ道をたどっている。
そして
ある日。
それは突然やってきた。
首に激痛が走った!
なんのことはない
夕飯の支度をしていた時。
夫に首が痛いと嘆きつつも
その日は激痛で眠れぬ夜を
過ごし、翌日総合病院へ。
嫌な予感だった。
クモ膜下出血かもしれないと
思っていた。
けれど、
違っていた。
頚椎症でした。
正式名はもっと長いのですが
まあ、姿勢が悪いために変形
してしまった首の骨が神経に
刺さって激痛がしたのです。
最初から総合病院へ
行ったため
色々な検査をすることに。
病院嫌いの私は
健康診断などずっとしてない
のでついでに色々調べてもら
うことにしました。
まず、総合診療科にかかり
そしてわかったのが
糖尿病でした。
総合診療科の先生が
「秋元さん、
ヘモグロビンA1Cが
大変なことになっています!
首よりまず
糖尿病専門医に
かかりましょう!
倒れてもおかしくないですよ!」
そうだとは
わかっていましたが
だってアイス食べてたし。
「入院しましょう!」
センセイ、急に入院って!?
でも
即入院と言われるほど
悪くなっていたとは!😫😫
医師がいうには
「この数値では普通寝込んで
しまいます。あなたが立って
歩いているののが不思議です。」
母を思い出した。
母も同じことを言われてた。
「お母さんは体力があるのよ。
毎日体を使って働いているから。」
母は医者の注意を聞くことが
なかった。
でも、お母さん!誤解だよ。
自覚が無いのは逆に糖尿病は
怖いんだよ!
今なら母に言える。
あの頃はそんな母を見て
元気だから大丈夫なのかなって
勘違いしていた。
今週はもう占いと講座の予約が
いっぱい👼
来週からで何とかお願いします。
ということで
9月29日~入院しています。
ところで今日、私が皆さんに
お伝えしたいのは、実はここ
から先です。
私は、母からの声に
気付いていました。
私のクレアセンシエンスは
母の面影を感じていたという
意味です。
✓以前はそんなことなかった
のに、アイスを食べるたび
母の顔が浮かぶ
✓母の声が聞こえる
「のりちゃん、無理をしちゃ
ダメよ。お母さんのように
なるから。」
✓風の中に母の香りを感じる
こんなサインが
最近時々ありました。
最近というかアイスが無性に
食べたくなったころからです。
母はきっと、最期まで
あまり母の元へ行かずに
親不孝だった私を責めずに
いて、黄泉の国から
私を心配してくれているのです。
そう思えてなりません。
私が今までコンタクトを
取ってきた霊たちは
どんなに親不孝だった自分を
責めていようとも
亡くなった後では
常に愛と光を
送ってくれているのです。
おかげ様で
私は2週間にいわたる
入院生活を余儀なくされた
ものの、順調に数値や
体調に効果が出ています。
母はきっと
もっとちゃんと治療すれば
よかったと心の中で後悔して
いたのでしょう。
同じ思いを私にさせたく
なかったはずです。
お母さん、ありがとう!
あなたの娘はもうすぐ元気に
なりますよ。
大切な亡くなった人との
コンタクトをされたい方へ。
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談者様が一緒に写っているもの。
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