できると思わないとできない、できないと思わないとできる
日本語はややこしい。
「難しい」といってしまうと、脳内変換で「不可能」や「無理」が設定されて、それについて考えることを放棄したり、思考の糸口にも気がつけず思考停止になりやすい。
だから、「難しい」という言葉は、意図的に相手にやんわりとお断りを伝えないときを除き、使うことを絞っている。
例)
「この仕事やってもらえますか」
「すみません。難しいです」(「できません」「やりません」の意)
新しい合唱曲を練習しているとき、全員なかなかうまく音がとれない。
先生が言う。
「この曲はむずかしいんじゃなくて、ややこしいだけなの」
単語・言葉のチョイスで、印象はずいぶん変わる。
ややこしいのならば、ほぐしていけば「ややこしい」のトゲトゲも丸まっていく。
むずかしいって言い切ってしまうと、曲に拒絶されたような気分になって、取り付く島もない感じになる。
そして「むずかしさ」にフォーカスして、あれもこれもと全体化してしまうと、曲のすべてのパートが難攻不落の断崖絶壁を前に立ちすくむような気分になって、手を出すことすらハナからあきらめてしまいがちになる。
ちょとチャレンジングなことをやるとき、どのように考えると、身体と心はポジティブな方向に向かうだろうか。
例えば何かをできるかどうか考える時、リソースを切取る視点からその後は変わる。
①「できる」と思わないとできない
→「思わないと」が否定の「ない」ではなく、「なければ」の仮定
「できない」と「ない」がついているが文脈的には「できる」
≒「できる」と思わなければ、できない
②「できる」と思うとできる。
→原因と結果のロジックで、「できる」
③「できない」と思わないとできる。
→ないの二重否定で「できる」
④「できない」と思うとできない。
→原因と結果のロジックで「できない」
「できる」と思うことがどうしてもできそうにないときには
「できない」と思うことを止める、気持ちを変えるのがよいかも。
さらにもっと進めて考えてみると、頭を無駄な思考から解放した状態にして、維持すると「できる」にも「できない」にも左右されずに、チャレンジやパフォーマンスに取り組みやすくなる。
1回だけでは分解は容易でないことも、日々の糸口からほどくように、少しづつほぐすと、ややこしさに対峙する構造や戦略を手に入れることにつながる。
「できる」「できない」呪縛から卒業し、対象を「ありのまま」の状態から始めていくと、すべての所作や反応はあるべくして起きることだとつながりに気がつく。
「ありのまま」にゆるんだ状態でやっていくと、振り返ったときに多くの物事が、背後に広がる道のように「できていた」として立ち現れるかもしれない。
「
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