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フィードバックと存在そのものの承認

フィードバックときいて、どんな印象があるだろうか。
フィードバックの場が居心地わるいとき、ネガティブフィードバックばかり重ねられているのかもしれない。
あるいは、お互いの信頼関係や心理的安全性といわれるものがない状態で、やみくもに言葉が投げられ、コミュニケーションのキャッチボールができないことが起きているのかもしれない。

相手への強すぎる思いのあまり、結果として相手が受け取れない独りよがりのフィードバックをしてはいないか。
相手の反応の観察が欠如したままで、「伝える」から「伝わる」への橋が架かっていない対岸で、ただ言葉を発しているのではないか。

時には、あなたにとってのポジティブはかならずしも相手にもそうとは限らない。

とはいえ、ポジティブなフィードバックをこころがけると、相手がまだ気がついていなかった良さや強みを掘り起こすことができることも事実。

一方で多くの人はまだ、ポジティブなフィードバックを受けることに慣れていない。
家庭環境や学校教育という制度のなか埋め込まれてきた価値観、社会人として勤める会社やコミュニティでの評価システムでの経験が、「まだ」や「もっと」の不足・不備に心のフォーカスは向きがちにさせる。
このギャップがポジティブフィードバックを素直に受け取るためのハードルとなることがあるのだ。

ここで、信頼関係や心理的安全性といわれているものは、「存在そのもの」を承認やリスペクトを基盤としてなりたつ。
もちろん、相手のみならず自分自身へも。

承認やリスペクトは心身の状態にも左右される。
ご機嫌な体と心があるから、呼吸のように、よい言葉を吐き、よい言葉を引き入れる。
ポジティブフィードバックを受け取り、発信するための基本装備のようなものだと思う。

人は、フィードバックがあるから、思考や感情・行動の影響情報をとることができる。
望むと望まずとにかかわらず、振り返りからの学習と変革をもたらす。
仮にネガティブなフィードバックだったとしても、そこからどのように望ましいもの・ことへとつなげるステップを構築するかは、学習によってテスト(検証)を重ね、実現するものなのだと感じる。


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