「ヨイショ」の代わりに何を使う?
「ヨイショ」
「ヨシ、ガンバロー」
「ドッコイショ」
これらを発すると気持ちや身体に無駄な、必要でない力(リキミ)をかけてしまう。
わたしには「ねばならぬ」「べきである」のような無意識の呪いの言葉シリーズの周辺用語。
気を付けていたつもりであったが、ちょっとした行動の際に「ヨイショ」と無意識に言っていることに、今日気づいてしまった。
靴箱から履物を取り出すとき。靴ひもを結んでいるとき。
下を向いた時に「ヨイショ」は出やすいのか?
いやいや、待てよ。
パソコンでオンライン会議中に新しくファイルを開くときや、開いているファイルを画面共有するときにも言っているときがある。
このときは手はマウス操作をしながら、オーディエンスとの話を続けているようなときだ。手を確実に動かしながら。コミュニケーションとしての会話を継続しているようで、「ちょっとお待ちくださいね」と前置きしながら「ョィショ」とつい言ってしまって、シマッタと思う。
玄関での動作のときはどうだろう。目や手や足は靴に関する動きをしているが、頭は玄関をでて足を一歩踏み出すことで占められているので、その頭を目の前の出来事に戻そうと、無意識が呼びかけているのか?
もしそうならと考えると、そりゃ無意識にとってはちょっとした一大事。「ヨイショ」とか「ヨッシャッ」って言葉呼びかけ(声)で頭を現実に戻してくれているのかもしれない。
でも、待てよ。
その言葉、本当に必要ですか?と自問自答してみる。
自分に気づきをもたらしたいなら、ほかの言葉だっていいんじゃないか?
「ヨイショ」ってなんか重いものを持ち上げたり、ちょっと無理して頑張っているような感じで、思わず力が入るよね。
「アチャー」でも「エイヤー」でも「ハイ」でもなく、自分の耳からこの言葉が入った時に基本的にゆるんで、それでちょっといい気分になりそうな言葉を考えてみる。
「ヨシヨシ」
そうだ、「ヨシヨシ」だ。
「シメシメ」にも似たちょっとした遊び心やいたずら心も彷彿とさせ、ことばのトーンや音色声色によっては癒されたり、自己承認感が上がったり、喜び気分になったりしそうだ。
「ヨイショ」「ヨシガンバロー」「ドッコイショ」の掛け声の代わりに
「ヨシヨシ」
「ヨシヨシ」
「ヨシヨシ」
「ヨシヨシ」と脱力して軽々、楽々に、飄々と生活と人生をいい気分で過ごそう。