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相手も自分も、互いに合わせたりしないでいい

誰かに合わせて行動することは好きじゃない。
誰かが合わせて行動してくれているのも好きじゃないです。
でも誰かが好きなことを好きなように行動しているときに、自分の気分がニュートラルでいられる時とその人がそれをやっていることでちょっとした違和感というかちょっと気分が損なわれれることがあるのに気づきました。

なんだろ。
相手も自分も、合わせたりしないで行動するのでいい、っていう原則なんですけどね。
自分がされて嫌なことはしないという行動基準で行動されて、相手が嫌がることはしないという行動基準が欠けている状態に遭遇する気分とでも申しますか。
相手が好きなことだったり逆にやりたくないことを示してきた時に、その対象物がというよりも、それを表明したり表現している時の非言語が醸し出す親しみやすさ・付き合い方の価値観みたいなものに共感を共有できるかということのような。

泊まり旅行のようないつも以上に近くの状況時に露呈しやすい気もします。
特に旅行前から薄々感じながら、三人以上だから一応パワーバランスや影響力の逃し先もあるからなんとかなるでしょ思っても、結果「やっぱり」ということも。
残念ながら「なんとなく」で感じていることのほうが、正しいようです。

一方、泊まり旅行・相手も自分も合わせたりしないで行動することが、とても自然で空気のように、水のようにこの上なく楽、ということも実際にはあります。
同じ感覚や指向性が高い人と一緒にいるとすごく楽、を実感すると、こんな関係性も成り立つのだなと体感できます。

家族になると、もう少し感情の波が立ちやすいこともありますが、割り切るとすごく楽な関係になります。
合わせたり、合わせてもらったりというGIVEやTAKEの一方通行の関係で語るのではなく、自分の気持ちや相手の行動を少し高い位置から見ながら、分析したり予想してみたり。期待もしないのでがっかりもしない。

そんな抽象的なことを、旅先の食事どうするか案件の後に感じてしまいました。
ちょうど連れが旅先の味に飽きてきて、お昼は久しぶり和食屋さんに行きました。
夜また悩んだり、食べないと言われると自分の気持ちがめんどくさいなと思った矢先、一人お散歩スーパーでちょっと海外仕様の日清ヌードルを見つけ、ワンチャンあるかもと思い1個購入。
・・・そして夜。やはりローカルフードも外食全般拒否。
カップ麺あるよと切り札(?)だしてみると、ヒット。
これって、合わせたというより、自分の気持ちの平安を優先して、読みがあたってめでたしめでたしのラッキーパターン。
また明日の食べるものどうしようか案件が新たに立ちましたが。

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