インドにて8(アシュラムに通う為、アパートを探す)
翌日、早速歩いてアシュラムへと向かった。
アシュラム付近ではぐっと西洋人が増えてくる。
前回も書いたが、アシュラムとは日本でいうと禅寺の道場のような意味合いだろうか。
ヨガを教える寺院も同じようにアシュラムと呼ばれる。
プーナのアシュラムはかなり近代的な施設で、瞑想、セラピー、マッサージ、音楽、芸術等々様々なカリキュラムがあり、滞在者は好きなコースを選択し、代金を払うとカリキュラムに参加が出来る。
ちょっとした大学のようなイメージだ。
様々な国から多くの旅行者がやってくるため、通訳を付けることも可能だ。
聞いたところによると、一番多いのがドイツ人、続いてアメリカ、ヨーロッパからの滞在者、その後にインド人、日本人と続くらしい。
取り合えず僕は、アシュラムの門の前で日本人らしき人を探すことにした。
程なく日本人らしき若い女性が門から出てきた。僕は彼女に近づき、昨晩プーナに到着したこと。アパートを探していること。もし知っているならアパートのオーナーを紹介して欲しい事等話した。
彼女の話によるとアシュラムから歩いて10分ほどの場所に日本からのツアー客が滞在しているアパートがあるとのことだった。そこのオーナーに交渉してはどうか?との提案だった。
早速、教えてもらったアパートへ向かった。3階建ての石造りの建物だった。僕は適当な部屋のチャイムを押した。
出てきたのは少し影が薄い感じの中年の日本人女性だった。
僕が長期滞在出来るアパートを探していることを告げると、そのまま屋上に連れていかれた。
屋上には数名のインド人の男性が椅子に座っており、その中のボスらしき男に僕はここへ来た目的を告げた。
その男は痩せた30代半ばの男で、長髪で長い髭を生やしており、ぎょろりとした目でじっと僕を見た。
男は不意に立ち上がり、ついてこいと言い、3階に降りていき、部屋のドアを開けた。
部屋の中は10畳ほどのリビングがありベッド、絨毯等家財道具が置いてあり、明らかに誰かが生活している様子だ。リビングの奥には部屋が2つあり、その1つへ案内された。その部屋は6畳ほどの白い何もない部屋だった。
オーナーらしき男は突然 ”HOW MUCH!!" と叫んだ。
僕はすかさず "1カ月1500ルピー!!” と答えると、
男は ”OK!!!" と叫んだ。
契約はそれだけだった。僕は取り合えず1カ月分の家賃を支払い、その部屋に住むことになった。
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僕の部屋がある3階のフロアは2LDKの作りで、僕が最初に家賃交渉した長髪のインド人の男とその奥さんそして、ドイツ人の若い女性が住んでいた。今でいうルームシェアの形態である。
長髪のインド人はハリ・バクタという名の男で悪い奴ではないが、少々煩く、グルトリップ(自分は導師だと思い込んでいる)している奴で、アシュラムに通う日本人の間ではあまり評判の良くない男であった。
バクタの奥さんはドイツ人で、ミラ・ジョヴォヴィッチやユマ・サーマンにちょっと似た野性的な感じの美人だった。彼女は旦那のバクタと違い知性的な目をして、静かな口調で話をした。
本名は知らないが、皆は彼女を ”ヤーシャ” と呼んでいた。
ヤーシャは丈の短いローブ1枚羽織った状態で、床の上に直接立膝ついて座り、話をした。その様は若い僕には中々刺激的な姿であったが、そのうち慣れてしまった。
ドイツ人の若い女性はどうやらヤーシャの知り合いらしいが、詳しくは尋ねなかった。彼女と僕はあまり折り合いが良くなかった。皆から"ミータ"と呼ばれていた。
日本では出家した人が名前を変えるように、アシュラムに長く通う人達はサニヤスネームという新しいヒンディー語の名前を貰うらしい。それが、ヤーシャでありミータであった。
バクタはヤーシャという美人の奥さんがいながら、ミータとも寝ていた。それ以外にも何度かバクタが他の西洋人女性とベッドを共にしいているところを目撃した。
僕の部屋はフロアの一番奥なので、外出、帰宅の際はどうしてもバクタのベッドがあるリビングルームを通ることとなる。特に帰宅してドアを開けると、浮気最中のバクタと鉢合わせ!というシチュエーションが何度もあった。
だがバクタも僕も大して気にしなかった。驚いたことに奥さんのヤーシャも特に気にならない様だった。さすがはヒッピー崩れのならず者が集まる場所だけある。
アパートの他のフロアには、インド人カップル、中年のドイツ人女性、日本からのツアーの旅行者が数名暮らしていた。日本人は短い人で数週間、長い人だと半年近く滞在し、定期的に人が入れ替わったが、たいてい4~5名が居た。
アシュラム内や近くのレストランでも食事は出来たが、このアパートに移ってから暫くは、隣のアパートの屋上にある食堂を利用した。17歳くらいの痩せたインド人の青年が食事を作っていて、なかなか良い奴で好印象だった。
この食堂で、長期滞在の日本人やアパートに住むインド人たちと酒を飲みながら話をし、少しづつ交流を深めていった。
アシュラムにも通うようになり、本格的に瞑想を始めた。始めの内は、頭の中の妄想、雑念は一向に収まらず、30分も静かに座っていられなかった。後に、アシュラムでの瞑想中、なかなかの衝撃的体験をすることになるのだが、それはまだ先の話だ。
アシュラムの中は広大な敷地に大ホール、セラピーや各種ワークショップを行う大小様々な部屋、食堂、カフェ、図書室等様々な施設があり、いつも清潔に掃除が行き届いており快適だった。
因みにアシュラム内の食堂は全てベジタリアン向けだ。僕はホールでの早朝の瞑想後、食堂で”お粥”を食べるのが好きだった。食堂はブッフェ形式で、並んだ食事はどれも美味かった。
まあ、アシュラムを一歩出れば、皆酒は飲むわ、大麻はやるわで、瞑想と質素で健康的な食事による清浄な雰囲気をぶち壊していたが。
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