「呪い」そして「否定」と「悪意」
呪い(のろい)
人または霊が、物理的手段によらず精神的あるいは霊的な手段で、悪意をもって他の人や社会全般に対し災厄や不幸をもたらせしめようとする行為をいう。
ーWikipedia
突然ですが「呪い」について書く前にまず定義を書いておこうかなと思いまして
(関係無いけど「呪」って漢字めっちゃすぐゲシュタルト崩壊するよね)
まあ、この定義だとざっと「悪意をもって災厄や不幸をもたらそうとすること」みたいですけど「悪意」って何なんでしょうね。どこからを「悪意」というのでしょうか。
誰かを貶めようとわざとやること?
「嫌がらせてやろう」と思いながらすること?
そういうものも確かに露骨な「悪意」です。
でも「自分の目的のために、吐かれた相手が傷ついたり困ったすることはわかっていてもあえていう」のも、十分に悪意と言えるのではないでしょうか。
悪意とは
日常用語としての悪意(あくい)とは、相手にとって害のあることを理解した上で行動すること、他人や物事に対していだく悪い感情、または見方のことである。また、相手のよくない結果を望む、心の中に生じる意思を意味する。対義語の善意は、相手に良い結果を導こうとして行為を行う気持ちを指す。
ーwikipedia
この話題に関してはwikipediaに一番しっくりくる意味が載っているのも面白いところなのですが、この相手にとって害のあることを理解した上で行動することというのが今言おうとしている「悪意」に近いものになります。
つまり
相手にとってダメージなのはわかっている。
相手にとって、自分は強い影響力をもつのがわかっているから言う
そういう種類の「悪意」を持って発せられた言葉も「呪い」と言っていいのではないでしょうか
そういう言葉にはどんなものがあるだろうと記憶を頼りに書き出してみたら、ひっどいことになりました。
・おまえなんかがそんなことしても…
・〇〇はできるのに××はできないとかってばかにしてるの?
・Twitterしてる暇があったら返信くらいしろよ
・あなたはそうじゃなくて〇〇とかしていたほうがいいと思うんだけどねぇ
・あんな相手方に儲けさせるような無駄なことするとか、そんな余裕あるの?
・そんなことすんの?w おまえが?ww やめとけやめとけ
・本当にやりたいなら寝食削ってやるんじゃない?そうしないってことはそれだけってことよ
・そういうふうにい言ってた人はみんなひどい目にあったよ
・お前が成功するとか考えてるとかウケるwww
・あんたはセンスないんだから服とか自分で選んじゃダメだって
・化粧の信じられないくらいに下手な女だなお前
あー、そっすね、全部言われてきたやつっすね。
まだまだくちから、スライムみたいにめれめれ出てきますよ。
こいつら、芋みたいに繋がって出てきやがるんで(まさに芋づる式)
どんなのがあったっけって思い返すと意外と出てこないのだけれど、いわれそうなその場になるとものすごい数がズルズル出てきます、とまらないくらい。
しっかしこれ、こうやって周辺状況削ぎ落として言葉だけにすると真実言ってるのかもって見えるんですね。新しい発見です。ケッ
ケッ!て思えるようになったのは最近です。
全部真に受けてわたしが悪いって思ってました。
いわれて当然なほどひどいと思ってました。
いまならわかるんですよ。
こういうこと言う人には、悪意、ありますよ。
これらはわたしの罪悪感とか自尊心とか、不安感とか、そういうのを敢えて煽るような、そういう文言たちです。
いまなら、わかります。
わたしに悪意を持って不利益を起こさせ自分の利益にしている発言です。
昔、そういうのわかんなかったんですよね
あたりまえにありすぎて。
うん、そうです。
わたしいわゆる「毒親育ち」なんですわ。
上に書いたのの半分ちょいは、母に言われてきた言葉です。
じゃ、残りの半分は? といえば、前夫です。はい、DV離婚してますわーい
(当人がこれ読んだらものすごい勢いで反論メールきそうだけど)
(自分の知人が見られるようなところでそんな嘘書き立てたら訴えるとかね)
(いや、いわれたし。なんならログ残してあるしいいんですけど)
(母も「そうやって毒親とかって笑い物にするんでしょ」とか言ってくるけど)
↑これを書かずにいられないあたり、ダメなんですよ
本当に、呪いなんですよ。
悪意があった、ことばなんですよ
ある種の恐怖感とか不安にかられてるんですよこれ、ね。
まあ、毒親の話はまた別の機会に、語れることがあれば語るとしまして
上記のような、下手すると日常会話に多用されるようなことばたち
何回も何回も、下手すると何百回も聞いてきたことばたちが「呪い」だと
「悪意を持って発せられた『呪い』」であると言っていいのだと
そう知った時どれほど救われたかわかりません…
それを知った日の鮮明な記憶、その劇的な転換点をよくおぼえています
それは、「呪い」だったんだ
おそらく、10年弱前のこと…
アラサーともいえなくなってきた頃に、その本と出会いました。
残念ながらどの本か今は定かではないのですが
神田駅前の文教堂で何気なく立ち読みしたコミックエッセイだったと思います
そこには、母の呪いと毒親の定義について書かれていたのです。
普通のことだと、思っていました
当たり前に皆に言われていることで
いわれる自分が悪いのであって
母の思うような「正しい」人間ではない自分がいけないのだと、思っていました
しかしその本には、そうではないのだと
罪悪感を持たせて人をコントロールすることは異常でいけないことなのだと
そういわれたからって自己を制限する必要はないのだと書いてあり、わたしは時間を忘れてその場で読了してしまいました。
すでに親から離れて一人暮らしではあったにも関わらず、なぜか買って持って帰るのが怖くなってしまい、結局買わずに、しかし放心状態のままいつもの飲み屋に繰り出して知り合いを巻き込んで浴びるほど日本酒を飲んで吐きそうになりながらなんとか帰宅して翌日二日酔いで無茶苦茶苦しんだ…あ、いや、話がずれました…そういやこの辺から泥酔癖がときどき…いや、最近はないんですけど、いやいや閑話休題、この内容、向き合うの結構まだきついんで話がそれがちなんですけどちゃんと向き合いますよ
それを呪いと呼んでいいと知ってすぐ「そうだったんだ」「そうだ、それは正しいんだ」と思えました。驚くほどすんなり、自分の中でしっくりきてしまったんですが、そういうふうに自分の中で設定してしまうのがとても怖かったのです。
だってそれを認めて信じてしまうことは、わたしの中の「わたしを思ってくれて一番考えてくれる聡明で優しい素敵なお母さん」を失ってしまうというのと全く同じことだったのですから。
母がわたしに「呪い」を投げてきたということを受け入れることは
ある意味、母を亡くす行為に近しいものだったのですから。
そんなつもりはなかったかもしれない
そんな意図はなかったのかもしれない
でも、それでも、わたしの中に残って悪い作用を及ぼし続けているなら、それは呪いに他ならないのです。
翌朝、家の前の植え込みで我慢できずに吐いてしまったのを見つけて、帰ってから片付けるごめんなさいと新聞紙とでっかい石を乗っけて出勤して、帰ってきてからなんか誰かに剥がされた形跡がある!やばい!となりながら掃除したのはいい思い出?です。母は近くには住んでいるけれどこの部屋に来たこともないのだと、自分は1人なのだと、こんな恥ずかしいことをしてしまったことも、娘が結構な酒飲みだということも知らないのだと、安心することができたきっかけでもありました(酒飲み話無駄じゃなかった!!)
母自身が口にしたことがあるように「とても娘のことを考えている素晴らしく聡明で優しい自己犠牲の人」、でしかなかった母はその日からわたしの中で変質しました。いや、むしろ1枚剥いただけだったのでしょう。いままでにいわれたいろいろな言葉が、その日から違って聞こえるようになっていきました。「これは呪いなのではないだろうか」という疑問を持つことができたため、無数にかけられていた呪縛にほどけるきっかけが与えられたのです。
あれから、10年弱が経過しました。
その、衝撃の転換点を迎えたにもかかわらず、です
母と接しないで生きようと遠くの街に移住してみたり
一度きれいに別れられていたDV気質の男とつい結婚してしまってやっぱりDVを受けたり
別の人と結婚して子供ができたりで生活も景色も大きく変わり
うまいところ仕切り直しができたようにも感じていたのですが
実際はそんなに、さらっとうまくいくようなものではありませんでした。
10年。
10年経っても、呪いは消えきってはいません。
薄くはなりました。薄くはなったんですが
10年ちょっと前に付き合って、わかれて
7年くらい前に結婚して5年くらい前に離婚した元夫の呪いは薄くなってきたんですけど。
母との付き合いは、あの時点で30年越え。
それだけの期間かつ母娘という濃い関係性を担保にして植えられた呪いです
さすがにそんなに簡単に解けるものじゃないのかもしれません
子供たちの世話に疲れて自主課題としている書き物を諦めて寝てしまった日
読みたくてたまらないのにずっと読めていない本を横目に見ているとき
体調管理がうまくいかなくて子供らの食事が適当になってしまった日
必ず脳内に湧き上がってきます
「本当にやりたいならやるんじゃない?そうしないならそれだけってことよ」
うん、寝食削ったら倒れるのはわたしじゃなくてこの子達だから。
それに、書けなかったから書かなかったんだし、選択しただけだよ
頭の中で、ちゃんと否定します
毎回、ひとつひとつ、否定します。
それでもなんども、なんどもわきおこるので
丁寧に、丁寧に否定していきます
早起きしてちょっとでも書こうと思ったのに、起きられなかった日
どうにもネタが降りてこなくてとりあえずお茶を飲んでいるとき
必要な買い物以外もちょっとしちゃお♪と思っているとき
何かの拍子に呪いが頭をもたげてくるので、毎回毎回否定します
・おまえなんかがそんなことしても…
そうだね、だめかもね。でも、やりたいからやるんだよ。やらないで後悔して呪いを吐くなんてやりたくない。
・あなたはそうじゃなくて〇〇とかしていたほうがいいと思うんだけどねぇ
うん、そうかもね、でもそれをやってる時間はないんだ。これをやる時間を捻出するだけで精一杯だし、気の進まないことをやってられる余裕なんてないわ。それはあなたの望みでしょ。
・お前が成功するとか考えてるとかウケるwww
楽しいならどうぞ楽しんで。わたしはやりたいんだ。成功も何も、考えないと手に入らないじゃない。あなたは何が楽しいの?
・あんたはセンスないんだから服とか自分で選んじゃダメだって
・化粧の信じられないくらいに下手な女だなお前
好きなように好きなことをすることを阻害する権利は公共の福祉に反しないかぎりないんじゃないのかな。すきなの、これが。それだけだよ。あなたの好みに合わないのかもしれないけど。
そうやってひとつずつ打ち倒して打ち倒して、打ち倒すことに慣れて、きたらすぐ反射的に打ち倒せるようにしてはいりこまれないうちにどんどん否定を積み上げるしかないです。否定を積もらせて、見えないくらいまで埋めてしまうほかないのです。思い出さないくらいのところまで否定していく必要があります。
言葉には、力があります
何の気なしに、軽い気持ちで言った言葉だとしても、言葉には意味があります
意味があるということは、頭に入り込んで力を出します。
しかも、大きくて近しい存在の言葉であれば、なおのことその力を増します
人が言う言葉には、必ず力があるのです。
人が人を求めてしまうのは、その他者からの力があるがゆえなのではないかと思うほど、その力は千差万別であり、強いものです。
先日、ある少年とちょっとしたお話をしたのですが、
最近進路を変えたと言う彼に、つい、わたしはアドバイスをしてしまいました。
「どんな分野にいくとしても自分なりの、別柱というか、得意分野を持ったほうがいいよ」と
メディアの方面に進みたいようなことを言っていたのでそんな話が出てしまったのですが、そしてそう思っていることは確かなのですが
これ、支えにも呪いにもなりうる一言です。
「自分の好きなことをつくる」と併用しなければならないと思って仕舞えば、呪いになりかねません。そう、とらえかた、いいかたひとつで、そうなってしまうのです
とても気をつけて
「わたし個人の意見なんだけどね」
「こういう例がみぢかにそこそこあってね」
「わたしも獣医師免許がほかのことしてもあるからこういうことに有利でね」
と、ひとつの考えとして頭の隅に入れといてくれればいい、とつたえました。
しかしこれも
「別柱を持たないと失敗するよ」と言ってしまえば呪いです。
発言者は自分が優位に立ちたいのか、やっかんでいるかなのでしょうか
それとも、説得力を手っ取り早くつけようと暴力を用いたのでしょうか
これはもはや彼のための言葉ではもはやありません。
彼が失敗したときに、自分の言っていたことが正しかったのだと思ってくれるようになる効果はあるかもしれませんが、そんなあるかどうかもわからない自分の小さい満足のために有用な言葉を毒にするようなもったいないマネはしたくありませんでした。
彼にとってわたしはそこまで大きい影響力のある人間ではありませんから、そこまで気にする必要はないのです。そして、これを読んでくださっている方についtもそう。わたしはちいさい。だから、自由に言葉を紡げている部分があります。
「母である、近しいものである」その力は強大です。
自分で思っている以上に、大きな権力そのものとなるでしょう
何せ、子供にとっては生存に直結するほどの力なのです
呪いから逃れる、まずの一歩は「それは呪いじゃないのか?」と問うてみること
そして、呪いなら否定して否定して、否定で塗り込めて行くことしかないのではないかと思います
わたしも、いまは、かーさんです。
ムスメズに、あたえて「しまう」呪いは極力少なくあるように
できるだけ、できるだけ気をつけて言葉を使って行きたいと、思っています
あなたたちの命はわたしに左右されるのよ!ではなく
「君たちの命はわたしに左右されてしまうから」とおもっていたいと
そう思っていれば呪いを吐いてしまうことも減るかもと肝に銘じています
きみたちへ
いま、きみたちは1歳と3歳なんだけどさ
母はとても、こわくも思っているんだよ
なにせ君たちの吸収力は、すごい。
ちょっと前、ぽんちゃんが0歳の時のことだけど
きみたちのおとーちゃんが、この辺である大きいお祭りに出ている獅子舞に君らをあわせたんだよね。
もちろん、君は噛まれた。
あんまり泣かなくて動じなかったんだけど
その次の年、おとーちゃんは、その日に備えてなるべくたくさんの獅子舞動画を見せたんだ
母は止めてたんだけど
「獅子舞さんかっこいいね、すごいね、好きだよね」っていって動画を見せて
獅子舞さんって言えば動画を見せてくれるもんだから、ぽんちゃんも好きというようになり
「獅子舞さん、こわくないんだって、やさしいんだって、だからこわくないよ」ってたくさんいうようになっていて、母はすごい心配してたんです
案の定
3歳近くになって他の動画も見るようになってやっと、言い出せました
「おうちにいる獅子舞さん、本当はちょっと怖いの…」
その瞬間、背中が本当にひやっとしました…ごめん、ぽんちゃん
即刻家に置いてあるものも撤去し、動画も他のものを見せるようにさせました
そうなるんじゃないかと思ってたけど「洗脳」ですよね、これ
しかもすごく意味のないところで。
やんわりと止めるだけにしてしまっていた自分を責めましたよさすがに。
やめてと、やりすぎだと、それだいじょうぶなの?と言い続けてきたけど
それだけじゃ全然、足りませんでした。
怖くないよ、やさしいよ、なんて何度もいうのはホントは怖い証拠だよと
何度言っても伝わらなかったんだから無理にでも止めるべきでした。
いまはもう、その呪縛からは離れてくれたのですが
幼い心にどれだけか影響が残ってしまっていないか、とても心配しています
そう、かーさんは、君にがっつり呪いがかけられるのを黙認してしまっていたんです…ごめん。
あとね、木のスプーン
最初一本しかなくて、ぽんちゃんが使いたがっていたのにわたしが使ってしまったあとだったから「ママ今日ここの口角炎でお口が痛いから今日はママに使わせてね」って一回、譲ってもらったことがあったんです。そうしたら次の日からそのスプーンを使わせてあげた時必ず「ぽんちゃんはお口が痛いからこれ今日使っていいの」って毎回言うんです。
毎回、それ関係ないからね、大丈夫だよ普通の時にも使うものなんだよ
そう言っているのですが、消えません。
ぽんちゃんの中に、強くインプットされてしまいました。
これは、呪いなのでしょうか…?
広義では、そうなってしまうかもしれません。
子供に対する働きかけ、ってこんなふうにすごく重大で難しいことがあります
個人的には絵本「ねないこだれだ」なんて呪いの最たるもののようにおもえていますし
実際、呪いは世界にも世間にもめっちゃ溢れているんだと思います
だけどね、ぽんちゃん、ぽこちゃん
きみたにのかーさんはわたしで、わたしのムスメズは君達だ
君たちは全身全霊でわたしからいろんなものを吸収して、いるよね
だから、こんななんの気ない一言がそんなにも刻まれてしまうんだよね、
それはわかる、すごくわかる
だからこそ、最新の注意を払ってもきっと、君らの中にはいらんものがこうやって深く刻み込まれたりしちまうんだろうと思う。わかる。そのすべてを避けるのは不可能だから、きっと何かが刻まれてしまうことだろうと、思う。
かーさんはね
それを、一緒にいるうちにちゃんと優しくほどくことができるような場所でありたいと思っているんだよ。
呪いって「刻み込まれた呪い」という鍵穴に、適合する出来事というかぎが刺さった時に認知の歪みの扉が開いてしまうものなので
鍵穴に鍵が刺さった時点ではまだこれちがくない?って、もどってこれるんです
扉が開く前に鍵を抜いて、「それはちがうよ」で穴を塞いで仕舞えばいいのです
鍵穴に何かが刺さった違和感をきちんと感じてきちんと処理できればいいのです
「ママ、まえにあんなこといってたけど…」というのを気軽に聴けるようであって欲しいと、思うのです
かーさんは君たちに寄り添って、ちゃんと間違いを認められる大人でいたいと思っているんです
きざみこまれたことばはね、つよいよね
でも、それよりもきっと、強くあることはできるよ
かーさんは、そんなときに「こういう風にママに言われたことがあって、それをおもいだして…」って言ってもらえるように、そのときにちゃんとあやまってていせいできるように、いまから素直さを練って、青春スーツの残りをこそぎ落として信頼関係を構築しておきたいと望んでいるのです。
君たちの未来を阻害するのが自分自身の、わたしの放った言葉だった、なんて
絶対に、絶対に嫌なんだからね! あって欲しくないんだからね!!
自分の力でタネを拾って、上場所を見つけて育てて実をならす
そんな君らのやさしい雨でいたい、母なのでした
はー、歌舞伎揚美味しいわ
この記事めっちゃ難産だったっけど、ちゃんと、つたわるといいな。
あ、ポコちゃんダメ、ママのお茶飲んじゃ、あー!こまりますあーーー!!
呪いに負けずに、ぽんぽこの悪戯にも負けずに、今日もあしたも生きていきます
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