私のDisenchanted⑥|「魔法」とは何だったのか
モーガンの願いが叶えられ、ジゼルはその存在を保ち、ジゼルがモーガンへの想いを込めて用意したあの部屋のある家に戻ってくる。
ジゼルが存在できる、という意味から自動的にアンダレーシアの存在も回復するので、まさに元の世界に元通りにできた、というわけだ。
モーガンとジゼルは魔法を使った張本人なので、それまでの経緯を当然覚えているが、ロバートはへんな夢をみたと話す。
「魔法をつかった本人以外には、夢みたいなもの」
魔法を意識しない人にとって、そんなものは決して存在しないし、本当に眠りについた先で見る夢でしかない。
でも、日々の生活の中にあるちょっとした”きらめき”を見つけられる人にとっては、この現実世界にもやはり魔法に満ち溢れている。
説明のつかないほどに強力な力を感じるのは、この映画の中で描かれた『魔法』が実在するときだ。
誰かの想いは、それはそれは強力なエネルギーをもつし、それは魔法になりえる。
こうしてみれば、『魔法にかけられて2』はちゃんと前作同様に、
この現実世界にもちゃんと魔法は実在する
というメッセージを掲げてくれていた。
という感想を抱いたのだけれども、
正直ここ最近は私の中で「現実世界ほど、強力な魔法の世界はない」と思っている。
なのでもしもナンシーのようにアンダレーシアに行けるとしても、私はアンダレーシアには行かない。
それはどんなに妖精や、動物たちとはなせたり、魔法が自由自在だとしても
物語の中の世界というのは、役割に徹するほかない『自由意志』のない世界だと感じるからだ。
現実世界を生きる私たちには、自由意志がある。
私たちは自分の意志ひとつで、今日起きた出来事が最悪の出来事から、最高の経験に変えることさえできるのだから。
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