「バブル」と「ゆとり」の狭間で
最近、ことあるごとに自分は「狭間の世代」だな、と感じることが増えてきました。
日本が主に成長率という意味で、経済的に今よりはるかに元気だった時代の「バブル世代」の価値観もわかるし、「ゆとり世代」や「さとり世代」の気持ちもわかる。
私は1981年生まれです。調べてみると一応、1980-1988年生まれは「ミニマムライフ世代」という言葉があるそうですが、あんまりピンとこないですね。
私自身は、「バブル」と「ゆとり」の中間に位置している世代であるという認識がとても強いです。
※「バブル世代」は厳密な定義をすると、短い年代を指すようなので、「厳密な世代」の話ではなく「バブルな価値観をもっている世代」と読み替えていただければ幸いです。
「バブル世代」「ゆとり世代(さとり世代)」の特徴とは
これらの定義については、今回私もあらためてWikipediaで見直してみましたが、詳しい説明はそういったものに委ねるとして、ざっくり私の理解としては、
<バブルの価値観>
・経済的、社会的な成功の重要度が高い
・他者や周りとの比較で優劣や幸福度を判断しがち
・周りや世間が評価するモノやブランドを持ちたい
・人生にエキサイティングな要素を求める
<ゆとり・さとりの価値観>
・経済的、社会的な成功は必ずしも重要ではない
・自分らしさ、自分らしく生きることが大事
・自分自身が気に入ったモノを持ちたい
・穏やかな人生を送りたい
こんな感じです。
いつの時代にも例外は存在します。「ゆとり世代だけど、私や私の周りはそうじゃない!」といった議論もあると思いますが、今回は割愛させてください。
いつの時代も存在する世代間のポジショントーク
「今時の若い人はわかっていない」
「オッサンたちは時代遅れで古臭い」
こんな感じの世代間のポジショントークはいつの時代も存在すると思っています。
どちらも言っていることは正しくて、
昔から変わらず普遍的に正しく、今でも生かせること
昔から変わってしまったので、新しい価値観で行動しなければいけないこと
の両方が存在すると思っています。
「バブル」と「ゆとり」の狭間で
自分自身はちょうど世代の狭間にいたこと、また家庭環境などの影響も当然あるかもしれませんが、バブルな価値観と、ゆとりな価値観の両方が入り混じっていると感じます。
仕事については、とことん一生懸命やりたいし、経済的、社会的成功も重要だと思っています。
一方で、プライベートの充実は大事だし、自身の健康や家族との関係を害してまで仕事をしたいとも、稼ぎたいとも思いません。
車もブランド品も興味がないし、結果的に「欲しいと思ったものの値段が高い」ということはあるかもしれませんが、自分が気に入ったものであれば、値段やブランドはあんまり関係がないと思っています。
狭間の世代ができること
時代背景が異なる若い人に対して、「私たちはがむしゃらに頑張ったから豊かになった」「稼ぐやつが偉い」的な武勇伝を一元論的に一方的に語るのは極端、だと思っています。
一方で、「頑張らなくていいんだよ」「強くなくたっていんだよ」みたいな表面的にだけ優しい言葉だったり、ワークライフバランスという言葉の誤解釈の一つでもありますが、「仕事より、なにより生活が大事」というのも極端だと思っています。
(「ワークライフバランス」はどちらか一方を重視するということではなくて、両方で相乗効果を持たせよう、という意味だと解釈しています)
お金で解決できることが多いのは事実だし、一方でお金に頼らない幸せがあるのも事実。
どちらかに極端によると、価値観が対立してしまいますが、どちらにも良いところがあります。
なので、私たち「狭間の世代」は、「バブル世代」と「ゆとり世代(さとり世代)」の両方の良いところを取り入れた生き方を、見せていけばいいんじゃないかな?と考えています。
最後に
仕事、家族、プライベート、もちろん、フェーズによっては、それらの比重が一定程度変わるタイミングがあるかもしれませんが、
「バブル」「ゆとり」のどちらにも寄りすぎずイイトコどりをする。
基本的には何事も犠牲にせず、すべてを高い水準で充実させようとするのが「狭間の世代」の生き方。理想論かもしれませんが、目指す姿をまとめておきます。
<「狭間の世代」の価値観>
・仕事もプライベートも家族も全てに一生懸命
・経済的、社会的な成功は人生を充実させる手段として重要
・他者との比較や優劣ではなく、自分らしく生きることが大事
・人生は時にエキサイティング、時に穏やかに
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