道徳コンプレックス
皆様にもはらからを持っている方もいらっしゃると思いますが、私の家庭にも2歳年上の兄がいます。それはもう優秀な兄です。優秀エピソードを掻い摘んで一つ。私が生まれたときの当時2歳の私の兄は、第二子である私をとても可愛がっていたそうです。普通の2歳の兄や姉ならば、第二子へ移っていく親の熱を感じ、それに嫉妬し、気を引こうといたずらをするらしいですね。実例として、私の母も兄がいるのですが、赤子の母の鼻の上にティッシュの箱を乗せて遊んでいたそうです。「私の鼻が中途半端に低いのもそのせいだわ〜」などと我が母はおっしゃっています。なぜ私の兄が私にそのような態度をとっていたのかというと、弟である私を可愛がっていたほうが得があると2歳児ながらに分かっていたからなんですよね。そんなように私の兄はとても分別のつく方です。小1の彼以外は。
小1の頃の彼はそれはもう名古屋を走るプリウスでした。生活の授業で「皆で朝顔を育てて観察日記をつけましょう」といって渡された朝顔の種を育てるまではいいのですが、育ったあとにその花を食べたり。テストの紙を食べたり。教員に食ってかかったり。食べてばっかじゃねぇーか。私のために幼稚園に送り迎えに来ていた祖母が職員室に呼ばれて、私も同行して兄についての話を聞いていたりしましたね。私の兄は言ってしまえば少しあれが入っているかもしれないと診断されたことがあります。本当に健常者の範囲ですがね。そんなわけでメンタルクリニックに行っていたらしいです。「らしい」というのは、私は親から「名古屋の病院に行ってくる」としか伝えられていませんでした。あれがメンタルクリニックだと知らされたのは高校を卒業してからです。私の兄への態度の変化を嫌ったのでしょうね。この私が偉大なる兄に向かってそんなことするはずがありませんが。彼が"おかしかった"のは小1だけなんです。小2のころにはもう"治療"されていました。それ以降の兄はもう、私の悪事にも世間の悪事にも何事にも寛容で、生まれ持った頭の良さを自慢することもなく、私を常に導くような。私が人生を歩む上で彼の轍を見て行動できる、言ってしまえば一人の人生を浅はかにも利用している私の態度についても、嫌悪感を示すことすらありませんでした。それでいてしかし小1のような強さを完全に忘れてしまったわけではなくて。彼の腰の低い態度故かいじめにあったときも、何の問題もなく平然と学校に通っていました。
そんな私と兄ですが、よく比べられることがあります。クラスメイトから、親から、そして私から。頭は断然兄の方が上です。何でも知っています。容姿も兄の方が整っています。人当たりも兄の方が優れています。豪胆さ、行動力も彼の方が圧倒的に優れているでしょう。現在で言えば、何より私が一番兄に劣っているのは寛容さでしょう。リアルにしろツイッター上にしろ、私の言動を見れば言うまでもありません。
私は兄に道徳で大きく劣っているのです。同じ腹から産まれた者として、一番大きな差が生まれうるのは精神面なんでしょうね。私には18年間醸成されたコンプレックスがあります。私は兄を尊敬しながら、兄から"全て"を搾取しつつ、それでいて兄に対抗心を燃やしています。私の掲げる道徳はほぼ全て兄から賜ったものです。では、私が兄に勝つ日はいつなのでしょうか。兄が自分で育てた価値観をぶんどって、まるで自分の考えのように詐り、そもそもその行為自体に道徳なんてものは存在していないのに。そんなことでは兄に優位することなんて。メジロマックイーンの後ろをつけるだけのライスシャワーは一着になることはできないんですよ。必然的に兄と違うことをしなければなりませんが、兄から賜った道徳部分を変えることはできません。それは私の根幹でもあるわけです。変えられるのは「寛容さ」だけなんでしょうね。兄は道徳を「世間の総意」だとして人に押しつけません。(これも彼の道徳の一部だと言われたら頷くしかないです。)ならば私は人に押しつけてやりましょう。正義のためなら"悪"への不寛容も厭わない。これで道徳を曲げることなく兄と差別化できる。あら、出来上がってしまいましたね、私が。
こんな感じであったら気持ちがいい。素晴らしい物語ですね。どこまでも卑怯ですよ。私の生まれつきの不寛容な気性を偉大なる兄のせいにするんですか。日本人の風上にも置けない人間ですね。そこまで自分がかわいいですか。私は知っていますよ。兄が一人で生きていけるから友達という他者に依らない生活態度を採っていることに対して、友のいる貴方が虚構の優越感を抱いていたことを。どこまでいっても我が身我が身。恋愛についてもVTuberについても、貴方は後付けが得意なお人柄なんですねぇ。リスペクトがない?貴方が一番ないでしょう。少なくとも兄に対しては。何を偉そうなことを言っているんですか。……まぁこの辺りにしましょうか。これは贖罪文です。私の態度が間違っていることを私は知っているんだよという意思表明です。まぁこれも保身ですね。そんな物語なんですよ、というのも保身です。保身と承認欲求のためにこれを書いています。自己愛が強い私の明日はどのようになっているのでしょうか。改めて自身の行いを振り返り、真心を以て人に応れるような人間になることを、心より期待しています。
拙い自己満の文をここまで読んでくださりありがとうございました。※本文は、2割は本心ではないです。
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