一人で逃げるなよ
私はビビりでしてね、特に何に怯えているかと言うと私への評価の下落について怯えていますね。例えば見た目について言えば、私は最低限見た目を気をつけて生きていたいという願望は特になく、一方他者からよく見た目を整えることを促されるのですが、たとえやろうにも醜顔を携える私にはできる髪型とできない髪型があるんですね。顔の形に依る髪型にできないからではなくて、そのあまりの変化に頻繁に人から嗤われるという話です。俗に言えばチー牛顔な私が女漁りしてそうな男の髪型にしたら皆さん笑うでしょう。私だってとても面白く思うでしょうね。でもこの嘲笑って行くところまでいくと何もできないじゃないですか。ダブルバインドでしたっけ、整えろ整えろ言ってくる人に限って、変えたら私を嘲笑して罵詈雑言を飛ばしてくるんですよ。見た目を変えて私の評価がそのように落ちるのであれば、変えられないじゃないですか。で、変えなかったら自己責任だのそんなのが良いのか?だの、部外者というものは常に私を拘束するものですね。これは友人にも当てはまります。何より親に該当することですが。
私が小学2年生の頃、今と同じくバカ正直な餓鬼だったので音読を真面目にやっていたんですよ。母親に聞いてもらうことを頼んだら、仕事帰りの母親はさぞ疲れていたんでしょうね、私の音読の声を馬鹿にしました。私の声コンプはそこから始まったと言っても過言ではありません。私は賢いので、音読をしたらそのようなことを言われると学習し、真面目にこなすのを辞めました。挙げたらキリがないくらいにはあります。皆さんもあると思います。分かるとおり、私は私の保身を第一に優先する浅ましい人間なのです。
なぜこんな話をしたかと言うと、私、先日バイトの申し込みをしたのですよ。すごいことでもないでしょう。寧ろ、東京の私文に通わせてもらっているのだから働いて返して学費の足しにしてもらおうなどという人間の基本とも言える道徳が備わっていなかったのか!と、大まかに言えばそうなんです。もし兄なら当然働いていますよ。ですがいくら私といえども、流石に働いて返したほうがいいということは思っていたのです。それなのに何故今までバイトをしていなかったのか。それは、自己評価の下落と道徳の消失を天秤にかけ、前者のほうが重かったからですね、はるかに。では私がバイトをしようとすると何が起こるのか。
1.「その醜い顔で人前に立つな」と数多の方に思われます。
2「.これで贖罪になるなどと思っていたら大間違いだ」と家族に説教されます。
3.「能力のないお前がもし雇用でもされたら店側に損失が出る」と数多の方に思われます。
ざっとこのくらいでしょうかね。実際はもっとありますよ。個人単位で想像できます。バイトをすると言ったらなんと思われるか。中学の友を想像してみましょうか。めっちゃ笑われましたね。まぁそういう出来損ないのガラクタなんでしょう、私は。それが分かっていて1日前の私は申し込んだんですよ。なかなか無責任ですよこれは。思うに、この場合に自己評価の下落と道徳は天秤にかけられているようでかけられていません。何故なら、バイトに申し込んだ時点でその時点の私は道徳を取り戻しましたが、評価が落ちる対象は未来の私、これを打っている私なのですから。とどのつまり、道徳を過去の私に持ち逃げされてしまいました。はい、働くことに道徳なんて存在しないんですよ、それはただ規則を与えられているだけなので道徳もなにも、私の意思など介在する隙もなく当たり前のことだからです。規則に取り込まれてしまう以上、道徳を取り戻すチャンスはあの一瞬しかなかった訳です。これってすごく投げやりで無責任なことではないですか。投げやりなことは非道徳的だという話を前提に連連と書いていますが、となると、一見道徳を取り戻した≒道徳的な行いをした昨日の私は非道徳的であると。なんなんでしょうねこの負けた感じは。私は過去の私に何を思っているのでしょうね。ただ苦しいと、そういうのでしょうか。どうしてこれを書いているのかも分からなくなってきました。ですが皆さんには、ただ道徳を貪り食い、逃げ出した無責任な過去の私への評価が悪くあってほしいのです。今の私は一方的に搾取されただけなので、せめてもの願いです。非道徳的なこの文章で終わりで、私の評価も落ちたことでしょう。やられたのなら自爆して道連れにする、"無敵の人"ってやつですかね、私は。
読了ありがとうございました。半分はジョークです。
色々おかしなところ多いですしね。嗤われるとこ等は本当です。
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