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geochan
読書メモ
柳田国男宛書簡
明治44年(1911)10月
村長さんは熊楠の主張に賛同するが、なにぶん強権があるわけではなく、東京の偉い学者さんでも有力者でも然るべき「外圧」がなければどうにもできない。ということだろうか?
柳田先生のツテで、4、5名の署名を依頼するのが主旨のようだった。
村社4、無格社6の10社を1社にまとめなさい。
これは政府の方針で、神林の木材の処分については言及されていない。しろともするなとも。タテマエとしては小学校建設に役立てるから、相場より安いのは尚学の篤志、とでも思って欲しい。仲買人と一部の地権者には莫大な利益があったことだろう。
まったくの禿山の禿げ地にその集落とは特に由縁のない琴平社を勧請、合祀する方向であったらしい。
王子信仰は、仏教や修験道と不可分で、童子や童女の神像もあったようだ。
(おぼち、おおぢは窪地の謂でもあったようで、現存する神社でも朝夕霧が立つような立地は珍しくはない。動植物には自然、サンクチュアリになりそう)
国家神道に若王子と習合出来そうな(残すための大義名分でもあれば。でもなさそう)要素はたぶんない。(記紀に疎いので隈なく探せば子どもの姿の神もいるのかも知れない。でも富国強兵にも八紘一宇にも寄与しないだろう)
神主は荷駄人足上がりの博徒(ここもよくわからない。幕末は士分も売買されたというからお金で養子縁組でもしたのだろうか)で、神像を手計で重量ベースで売り払ってしまったという。