自分軸に変わるには
寺という環境で育った影響か、母親との関わり方の影響か、私は人との関わり方が受動的なことに気付きました。やりたいことを見つけて行動する時は能動的ですが、人が相手になると合わせがちです。最近、自分軸になるには、この受動的なところを変えていく方が良さそうだと思い始めています。
愚痴を吐きながら関わる
嫌な人であっても、檀家なら避けることはできません。母親は(というか家族は)外面は愛想良くしていましたが、その人が帰った後は愚痴を言っていました。いわば、自営業なので仕事と私生活の線引きがありません。家族の話題が団欒ばかりではなく、ものすごく不愉快なことがあった時は、その話題になるんです。それに対して、話がわかる子どもだった私も付き合わされるという、愚痴のサンドバッグ状態でした。そうやって、主に母親の愚痴を聞かされながら母親の気持ちを安定させる役目を担っていました。そのせいか、「環境に合わせるべき」という考え方が当たり前になっていて、「不快なら離れる」という考え方がありませんでした。
気が付けば不快な人と一緒にいる
最初は不快に感じなくても、だんだん自分が不快に感じる人が私の近くに残ることがよくありました。他の人は、早い段階で距離を置いていったんだろうなというタイプでしょうか。私は、「不快なら離れる」「不快に感じる」というセンサーが他の人より鈍いのか、気が付けば受け入れてしまっているのか、気が付けば離れづらい状況になりがち…これは、受動的なことが原因のようです。最近やっと気付きました。
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