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自分の気持ちを後回しにしがち

幼い頃から母親の愚痴の聞き役だったことが影響しているのか、私は「自分の不快な気持ち」に鈍感なようです。最近まで自覚がありませんでした。
「なんかモヤモヤする」「なぜか不安になる」そんな気持ちになる状況から、「離れる」という選択肢が欠けていたんです。

親の感情に付き合わされていた

幼い頃から「親の不快な気持ちに共感して付き合うこと」を求められていて、「寺に関わる檀家とのいざこざの不快感にも付き合うこと」も求められていました。

母親はいつも、「大人は嫌でも我慢してる」と言って、子どもの私にも「嫌なこと」に付き合わせていたんです。立場が全然違うのに…

一方で、弟はいつまでも子ども扱いで、そういう現実的な問題には付き合わせていませんでした。その理由はもう一つあります。
「跡を継いでもらわないとダメだから、良いところだけ見せておく」
そう言っていました。私には幼い頃から、大人の人間関係のドロドロな嫌な面に付き合わせてきたにも関わらず、矛盾しかありません。

母親は嫌な雑用を私に押し付けた

「大人は嫌でも我慢してる」と言いつつ、親の立場を利用して、自分の雑用(やりたくないこと)を押し付けてきました。私は、心身共に都合良く使われることで、母親の機嫌を損ねないように暮らすのが習慣になったんだと思います。
そんな習慣がつくと、学校などでも友達から良いように利用されやすい関わり方になりがちです。ただ、私はそこまでノリが良くない性格のため、常に友達と群れる訳でもなく、良い意味で距離を保つことで、利用されにくいように自分を守っていたかもしれません。

不快感を後回しにする習慣

最近気付いたのは、「不快感を後回しにすると、不快感を与える人が近くに残る」ということです。一度距離を縮めてしまうと、ハッキリ拒絶するのは難しくなります。他の人達は、「なんか嫌」と感じたら、近付かないか距離を取るのが普通みたいですね。
私は、この「『なんか嫌』を感じるセンサーを機能させない習慣がついていること」と、「嫌でも距離を置くのはダメなこと」を学習してしまっているため、「離れる」「逃げる」という選択肢がありませんでした。
そのせいで、気が付いた頃には、ワガママな人や、雑に扱ってくる人、変な人など、実は周りが面倒くさがる人が近くにいたように思います。
私は、「人には平等に関わるもの」と教えられ、そう思っていました。でも、実際は周りの人達って、「自分を守るために人を選んで関わっている」ことにようやく最近気付いた次第です。

これからは自分の気持ちを優先

自分を大切にできなければ、周りを大切にはできません。最近、そう思うことが増えました。ずっと、私は自己犠牲で報われない関わり方をしてきたようです。
人に対して、以前より親切にできなくなった自分は、疲れる生き方をしてきて疲弊していることに気付きました。
自分に幸福感がないと、周りに親切や手助けはできない、そんなエネルギーのなさを実感しています。

自分を労い、労る。嫌な感情を持つことに対し、罪悪感を持たない。
こんな基本的な「自分を大切にする方法」に、ようやく気付けたので、自分の気持ちに意識を向けるようにしたいと思っています。

自分の気持ちや癖について分析して綴りました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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