押し付けの愛情
普段、私はAC目線で毒親のことを投稿していますが、今日は親目線と、その理由について書いてみます。
愛情を注いでるつもり
「親はこんなに子どもを心配している」
「気にかけているから、物を与える」
「幸せになって欲しいと思っている」
本音は、こういう考えです。ところが、実際に起こす行動は、自分よがりで、「子どもがどう感じるか」は考えていません。むしろ、感謝されるものと思っています。
私の親には、「私の意向を確認せずに、勝手に決める」という特徴があります。これは、日頃から子どもの意見や考えを、ないものとして扱ったり、聞く姿勢がない習慣があるからでしょう。
所詮は子どもの言うこと
「子どもが言ってることだから」
これは、私が子どもの頃に、親が他人と話している時に言っていて、すごく引っ掛かった言葉です。
子どもであっても、親より常識的な考え方や意見を持っている場合もあります。それを、「子ども」というだけで雑に扱うのはおかしいと思うからです。
以前、森昌子さんがTVで、息子さんの幼稚園時代の話をされていました。内容は忘れましたが、幼稚園児の息子さんがすごくまっとうな意見で、母親である自分に間違いを指摘したそうです。その時、森昌子さんは自分の非を認めて息子さんに頭を頭を下げて謝ったそうです。
これは、きちんと「内容」に耳を傾けて、「年齢や立場関係なく自分を省みる気持ち」があるからできることです。
うちの親には、この考え方はありません。親の方が上、子どもは親に感謝や親孝行するべき、という考え方の人には、到底できないことです。
大人になっても干渉するか勝手に決める
子どもの意見をないもの扱いしてきたため、子どもが成人してもその感覚が残っています。本人の意向を確認せずに勝手に決めたり、従わせます。それに対して、「喜んでもらいたいからしてる」という考えなので、怒ったり反論したりしても「せっかくしてあげてるのに感謝がない」などと、自分の気持ちを優先されずに不機嫌になるんです。
勝手に決めるという気持ちには、「失敗させたくない」「(親にとって)恥ずかしくない立派な生き方をして欲しい」という気持ちも隠れています。一見、心配して口出ししていますが、本音は親の体裁や、自分達の近くに置いておきたい気持ちが強いです。
親は愛情を注いでるから、子どもは受け取るべき
親の思考回路は、「親の愛情(親切)を子どもは受け取るべき」という考えのもとで成り立っています。そのため、「子どもの好みに合うかどうか」ではなく、「親から見て似合いそうだから」という、親の主観で与えてきます。
親の機嫌を損ねたり、揉めるのが面倒になって、子どもの方が渋々受け取って大人の対応をするようになると、その「間違えた押し付けの考え方」はさらに助長されます。
親と同じ考え方であることを求める
幼い間は、行動範囲も限られているため、親の価値観のもとで育ちます。しかし、成長とともに社会を知るようになると、親の価値観が全て正しい訳ではないことに気付き、親に必ずしも従わなくなります。この「違い」を受け止めず、親は子どもを従わせるために、自己肯定感を下げるように否定してきます。これが毒親の思考回路です。
子どもが成人して、違いを認めて干渉しない親は、お互いの境界線を踏み込まずに健全な考え方でしょう。
森昌子さんは、最近、息子さんの結婚報道後に、「将来は孫の面倒は見ない」とちょっとした絶縁宣言をされました。息子夫婦の立場や気持ちを考えた上での発言で、私は潔く感じました。あっぱれです。「親と子どもの人格、人生は別のもの」という感覚を持っておられるからこそ言えることでしょう。
まとめ
頼る・甘えることと、依存とは違います。毒親は、依存的、支配的です。子どもを支配できて、依存させている間は、親の意向に沿っているので、子ども本人も依存していることに気付いていません。本当の意味で、境界線をしっかり引けるようになって初めて、精神的な自立、子離れと言えるのではないでしょうか。親と子どもは一心同体ではなく、別の人格という意識を持って欲しいものです。
とりとめなく私なりの分析を綴りました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。