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学歴vs経験値 忘れていた自己紹介に変えて

 私は、2年前の今頃中学生をやっていた。生まれも育ちも都会育ち。
毎日部活動と勉強に明け暮れて、部活の方はいい成績は残せなかったけど、成績は5ばかりがのる優等生だった。

高校は、通信制や定時制は嫌だったから、地元にある全日制で、そこそこの進学校に行ければいいかな、なんて思っていた。

 あの時の私に言ってやりたい。1年後は、田舎暮らしで、定時制高校に通っていて、勉強そっちのけでホタテを養殖してるんだよって。

 流石に自分のことながら笑ってしまう。

 今でもはっきりと覚えている。進路希望調査にある「未定」の欄。
周りが第1希望や第2希望を書いているときに、私はずっと「未定」に丸をつけていた。最初のうちは、「未定」の人が10数人いて、まだ良かった。
7月くらいになると、「未定」を選んだ人が3人にまで減っていて、そこで少し焦った。

 7月中旬、初めてのオープンキャンパスに行った。
自分の住んでいる地域からとても遠い距離にあるので、1泊2日で日程を組んだ。そこの高校に行きたいとは全く思っていなかったが、面白半分、現実逃避半分という心情だった。

そのオープンキャンパスで、運命的な出会いが、、あったらよかったんだけど、特別なことは何もなく、ただの旅行で終わってしまった。

 でも、あの時の私に言ってやりたい。あの時泊まった旅館で、9ヶ月後あんたは働いてるんだよ!って。

 8月ごろになっても、もちろんわたしは「未定」人間だった。最初は優しかった先生も、だんだん目が吊り上がってきて、目が合えば「高校どうするの?」と聞かれるようになった。

それで「○○高校に行きます」と言ってしまったのだ。あの、最初で最後だったオープンキャンパスで行った高校。地元から遠く離れていて、コンビニもない信号も一つしかないような田舎の村にたった一つある高校。

 決まってしまえばあとは速かった。
ほぼ100%受かる、形だけの面接をやるだけだったから、第2希望も、第3希望も考えなくてよかった。
受験勉強は全くやらず、だからか、気づけば中学校を卒業していた、というくらいのスピード感である。

 そして来たる4月7日。私がその村に引っ越した日。母が引っ越しを手伝いに来てくれて、その3日後に帰る。そこから下宿生活がスタートした。

 さらに次の日、4月11日。初めてのバイトを経験する。
なんのバイトかって?あれだよあれ。例の旅館。
ど田舎なので、コンビニでバイト、とか、ラウンドワンでバイト、とかは出来ない。あたりまえだ。カタカナの施設なんてこの村には存在しない。ないものはできない。

 旅館の仕事は夏場しかなかったから、1年を通していろんなバイトをやった。

・漁師がとってきたウニから、規格外のウニを弾くバイト

・船に乗って海藻をとりに行くバイト

・ホタテの養殖のバイト

・給食センターで給食を作ったり

・保育施設でもバイト

・まさかの老人ホームまで…


養殖で使う網の修繕方法を覚えるために自作した網練習用ダンボール

 ただ、勘違いしないで欲しい。別に私は、仕事が長続きしないからたくさんのバイトをやったわけではない。
その村がいわゆる少子高齢化で、どこも人手不足なため、バイト未経験で世間知らずのJKでも、仕事はたくさんあったということである(ここは私の名誉のために重要なところなので、しっかり読んでほしい)

 人見知りで挨拶も苦手だった最初の頃に比べると、自分から地域の人に話しかけることができるようになった今の私は、控えめに言ってもとても成長したと思う。

 ただ、冒頭にも書いた通り、勉強は二の次になってしまった感がある。学校のレベルが低いのもあるけど、一番は「経験」を盾にバイトをしまくってしまったことが大きい。

 「学歴」か、「経験」か。
どちらも大事な要素だけど、私は極端にも「経験」に全振りした。
一長一短で、今の生活には満足しているけど、『あの時、全日制の進学校を選んでいたら…』と考えずにはいられない。
この選択は正しいかったのか、どうなんだろう。

 最後に、一つ想像してみてほしい。1年後の自分の姿。どんな自分が見えていますか?
現状維持?
それとも何か新しいことをしている?
そこに、ホタテを養殖したり、
あるいは「今日はふのりの味噌汁です」なんてそれっぽいことを言って接客している自分の未来は想像できただろうか。

 それこそが、私の想像していなかった未来である。


 


 


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