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【和訳】ファレル × リック・ルービン、音楽界の賢人対談!(2/2)

ファレル(Pharrell Williams)とリック・ルービン(Rick Rubin)による音楽界の賢人対談、後編です。前編はこちら↓

人間の「フィーリング」に著作権はあるのか?盗用はあるのか?

⸻もし誰かがチョコを作ったあと、別の誰かもチョコを作って、両方食べた人を同じような気分にさせたとしたら、今の世の中では訴えられる可能性がある、ってことだよ。

ファレル(以下:P):俺たち(The Neptunes)がやってきたこと、そして今もやってることは、基本的に、感情的に動かされた曲をリバースエンジニアリング(完成形の製品を分解または解析し、その仕組みや仕様、構成部品、技術や設計、などを遡及的に明らかにすること)して、その中にある仕組みを探ることなんだ。

さっき話したみたいに、同じような見た目ではないけれど、同じ感覚を生み出すものを作れるかどうかを探る、という感じのことだね。「Blurred Lines」の例では、それがトラブルの原因になったけどね。

※※※
(註)ファレルのプロデュースにより制作、2013年に全米シングルチャート1位を獲得したロビン・シックの大ヒット曲「Blurred Lines」。

2015年、その「Blurred Lines」が1977年リリースのマーヴィン・ゲイの楽曲 「Got To Give It Up」を盗用しているとして、マーヴィン・ゲイの遺族らが訴えを起こした。最終的に、遺族らは約500万ドル(約5億2,880万円)の損害賠償金を勝ち取った。

アメリカでは、いわゆる「盗作裁判」は珍しくないが、この訴訟と判決が当時騒がれた理由は、盗作裁判として当時史上最高額となった損害賠償額のためでもあり、それ以上に、この裁判で争われたのが「マーヴィン・ゲイの曲が盗まれたか」ではなくて、「マーヴィン・ゲイの曲の『感じ』が盗まれたか」だったから。

雰囲気、空気感、グルーヴといった「感じ」(フィーリング)が似ていることが著作権侵害にあたるとマーヴィン・ゲイの遺族は主張し、裁判所がその主張を認めたことが前代未聞だった。

判決直後の同年4月28日に、マーク・ロンソンとブルーノ・マーズの大ヒット曲「Uptown Funk!」がギャップ・バンドの「Oops, Up Side Your Head」に似ているとギャップ・バンドが主張し、「Uptown Funk!」の作曲クレジットにギャップ・バンドの5人の名前が加わった。この決定の背後には「Blurred Lines」判決の影響があると推察された。

ビズ・マーキーとギルバート・オサリヴァンが「Alone Again」の無断サンプリングを巡って争った裁判を機に、ヒップホップにおける既存曲のサンプリング使用は法的に厳しく規制されるものとなった。その後、サンプリングネタそっくりのサウンドを生演奏で再現した上で、サンプリングして使用するという手法も生まれたが、「感じ」にまで著作権が認められるとなると、その手法さえ使用が難しくなった。
※※※

P:本当に理不尽だったよ。スティーヴィー・ワンダーが「正しい音楽学者を連れてこないと、陪審員は理解しないよ」ってアドバイスしてくれた。俺がやったことは非常にテクニカルなことなんだけど(陪審員には楽曲制作の技術的なことが理解できなかった)。

⸻リック・ルービン(以下:RR):曲そのものは全然似てないのにね。

P:全くもって。でも(曲から受ける)フィーリングは似てるってだけ。

⸻RR:でもフィーリングって著作権で保護されるものではないよね。

P:だね。

⸻RR:サルサの曲なんて、(「Blurred Lines」訴訟の論理にあてはめたら)ほとんどが同じに聴こえるよね。

P:レゲエだってそうだね。

⸻RR:どんなジャンルだって同じことが言えるよね。トラップミュージックも大体似てるし。

P:俺たちが失敗したのは、俺が誰かから何かを盗むなんてことは絶対にしないということが(法廷で)伝わらなかったこと。それが本当に辛かった。あの出来事では本当に打ちのめされた。裁判の最中にミッシー・エリオットの 「WTF (Where They From)」 を制作したんだけど、心が折れそうだったよ。

彼(スティーヴィー)が言おうとしていたことに、俺が気づいたのはあまりにも手遅れになってからだった。つまりそれは、「俺が持っている音楽を作る才能を活かして、真実と人々、そして陪審員たちの無知な意見との間にあるギャップを逆算して埋める必要があった」ということ。

例えとして、レーヨンとシルクは似た感触だけども、俺たちはそれが明確に違うものだとわかるじゃない。

⸻RR:そうだね。

P:それが問題だったんだ。(リバースエンジニアリングを緻密に突き詰めた結果)俺は曲の質感をあまりにも似せすぎてしまって、人々が「模倣した曲を聴いている」と感じてしまったんだ。

⸻RR:うん、でも実際はそうじゃないんだけれど。

P:訴えた側は「救急車追いかけ屋」(訴訟ビジネスに専念する弁護士)みたいなのを雇ったんだよね。それがまた別の話でさ…いや、彼らのことを悪く言いたいわけじゃない。

でも、これは俺の学びだった。俺はスティーヴィーのアドバイスを完全には活かしきれなかったんだ。自分ではできていると思ったけど、実際にはできていなかった。人々が理解できないということを、俺は本当に甘く見ていたんだ。

眉をひそめるファレル

⸻RR:でも問題は、それが音楽にとって良くないってことなんだよ。僕たちはずっと「曲」というものが何なのかを理解していた。それが、あの一件で、今では「曲とは何か」という問いが生じてしまった。

かつては、「曲」とはコード進行、メロディー、そして歌詞のことだった。そして君のコード、メロディー、歌詞、どれをとってもマーヴィン・ゲイの「Got to Give It Up」とは直接の共通点がなかった(似たものではなかった)。

P:全くね。ただ「フィーリング」に焦点を絞られてしまった。

⸻RR:でも、それが問題なんだよね。僕が言いたいのは、これが僕たち音楽制作者にとって本当に困難な状況を生んでいるということ。今や何が許容され何がダメなのか分からなくなっているんだ。

P:しくじった。そう思ってる。俺は「正しい」と自分が思っていたものに任せてしまった。でも間違っていたんだ。もっと人々に理解してもらうために全力を尽くすべきだったんだ。

著作権は、触れることのできる「有形のもの」に対して与えられるべきであって、触れることのできない「無形のもの」には与えられない。
でも、彼らが証明したのは、俺には「非常によく似た感覚を生み出す能力」があるということだった。そして彼らはこう言ったんだ。「それは間違っている。同じように感じるなら、それは同じものだ」って。

でも、感覚には著作権を与えることはできない。もしそれが可能なら、今頃はマリファナの訴訟が山ほど起きているだろうね。感覚に著作権を与えるってことだろ?(マリファナを吸って誰かが感じた感覚と同じ感覚になったら、それは著作物の盗用になるってことなのか?ということ)

だから、もし誰かがチョコレートを作り、そのあと別の誰かもチョコレートを作って、両方を食べた人を同じような気分にさせたとしたら、今の世の中では訴えられる可能性がある、ってことだよね。

⸻RR:これについてのドキュメンタリーを作ったら面白いんじゃないかな。どういう仕組みなのか、君が何をしたのか、歴史的にどんなルールがあったのか、そしてこの判決が音楽の歴史にどんな影響を与えたのかを説明する内容でね。だって、すべての事柄は何かに根ざしているからね。すべてが。

P:そうだね。あの件は俺を傷つけるというより、足を引っ張る類のものだな。

⸻RR:でも、もちろんみんなショックを受けたよ。あの件を知っていて、法廷で争われた点を理解している人なら誰だって驚くさ。君がしたことは、人々が音楽を作り始めた昔からやってきたことそのものなんだから。

P:そうだよね。モータウン風の音楽を作った人たち全員を想像してみてよ。みんな、僕と同じく先人の作風を踏襲してきた。マーヴィン・ゲイ風の音楽を作った人たちも。ジャズを作る人たちもね。

(ジャズの王道であるスウィングしたビートを口ずさんで)「あ!スウィングしてますね。それは著作権侵害です。」ってなる?(おかしいよね)

アートは、それが作られた文脈から切り離すことはできない。時代の基準が変われば、アートも変わる。

⸻RR:これが関係しているかどうかはわからないけど、最近の文化が過去の作品を振り返る新しいやり方に影響しているのかもと考えさせられるよ。この間、ディナーで誰かが『リチャード・プライヤー(米国の伝説のコメディアン。1940年生まれ、2005年没)は、今の時代に彼の作品を出すことはできないだろう』と言ってたんだ。

リチャード・プライヤーは偉大だったよね。史上最高の一人だ。でも、表現の世界で何が可能なのかの線引きが変わってきているのかも。文化が成長して、美しくて興味深いものをもっと広げていくというよりも、力を持つ者たちが逆にその可能性を狭めようとしているように感じることがあるよ。それって、初期のヒップホップの時代にもあったことと似ているんじゃないかな。

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