【和訳】 ファレル×リック・ルービン、音楽界の賢人対談、2024年最新版!(1/2)
自分の物語がレゴみたいに「物体化」されたら、もしかしたら僕自身でも面白いと感じられるかもって思った。実際そうなったら、自分の姿を鏡で見るよりも客観的に楽しめたんだよね。⸻ファレル
Rick Rubin
映画「piece by piece」(ファレルの半生をLEGO®ブロックを用いたアニメーションで描く自伝映画)ができた経緯を教えてよ。
Pharrell Williams
当時のエージェントがめちゃくちゃしつこくてね、ドキュメンタリーを作るべきだってずっと言ってきたんだ。6~7年前くらいから、A級ミュージシャンたちがこぞってドキュメンタリーを作る時期があったでしょ?その時期に、ドキュメンタリー界隈がものすごく盛り上がってたんだよね。で、エージェントは「君の人生についてのドキュメンタリーを作るべきだ」ってプッシュしてきた。
でも僕は「僕の人生?絶対ムリだよ」って感じだった。一つ目の理由は、1時間自分の声を聞き続けるなんて、あのボイスメッセージを聞くあのイヤな感じを1時間も味わうなんてゴメンだって思ったから。それに毎日鏡で自分の姿を見るわけで、自分の話に興味もないし、ワクワクもしなかったんだ。
だって自分が2分前にしたこと、2時間前にしたこと、2日前、2週間前、2カ月前、2年前、20年前にしたことなんて全部わかってるわけじゃない?それに何の興味が持てるんだって話だよ。僕がアートをやるときは、常に好奇心が湧いて、探求や掘り下げの旅に対してワクワクしないとダメなんだけど、それが全然感じられなかった。
面白くなるとも思えなかったし、でもエージェントがしつこく食い下がってきた。何度も「やらないの?」って聞かれて、最後には「もうその話するのやめてくれよ」って言っちゃった。でもそいつが「どんな形でもいいからやってみてよ」って言った瞬間、なんかのスイッチが入ったんだ。それで機会の捉え方がガラッと変わった。
で、僕の仲間のZane Loweが、「それは過去を振り返ることというよりも、創造的な機会だって考えられるよね」って言ってくれて、その通りだと思ったんだ。それで「あ、じゃあ僕のやりたい方法でやれるなら、Morgan Nevilleと組みたい」ってなった。Morgan Nevilleは本当に才能あるドキュメンタリー作家で、『バックコーラスの歌姫たち(20 Feet from Stardom)』を作った人だよね。
この作品では、スーパースターの人生においてバックコーラスがいかに重要かを深く掘り下げて、その視点がタイトルにも表れてる。あの映画を見た時、彼の天才ぶりに感服したんだ。それからFred Rogersのドキュメンタリーでも素晴らしい仕事をしてるしね。それで僕は、「自分の物語と音楽カタログを全部彼に委ねる。それでレゴでやりたい」って思ったんだ。
Rick Rubin
レゴのアイデアはどうやって生まれたの?
Pharrell Williams
まだ誰もやったことがなかったっていうのが大きいよね。で、もしレゴが「やりましょう」って言ってくれたら、とんでもなく面白いことになるって思ったんだ。
Rick Rubin
レゴと何かつながりがあったの?
Pharrell Williams
子供の頃の一番楽しい思い出って、レゴセットで遊んでたことなんだよね。うちは公共住宅で暮らしてたんだけど、親がレゴセットを買ってくれたんだ。当時は今みたいにミニフィギュアとかなくて、ただのブロックとパーツだけだったけど、それでも夢中になって遊んでた。
いま、僕には子供が4人いるんだ。16歳のRocketと、7歳の三つ子たち。三つ子が生まれたばかりの頃もレゴを買って遊ばせてたから、世代を超えたつながりを感じるよね。
自分の物語がレゴみたいに「物体化」されたら、もしかしたら自分でも面白いと思えるかもって思ったんだ。実際そうなったら、自分の姿を鏡で見るよりも客観的に楽しめたんだよね。鏡を見るときって、どんなに自分に感謝してても、不安や欠点、自分の抱えるプレッシャーとかが映るじゃない?でもレゴを通して見ると、そういう余計なものを一切感じずに、純粋な自分の魂を見つめられる気がしたんだ。
それって、自分を自由にすること、その自由を得るためのツールを見つけて、それをできるだけ多くの人と分かち合うことだと思ったんだよね。
Rick Rubin
いや、君が「客体化」って言葉を使ったのがいいね。普段は社会的にネガティブな意味合いで使われるけど、君は自分を少し引いた視点で見て、実際にそれをどう捉えるかって意味で使ってる。すごくいいね。
Pharrell Williams
ありがとう。まさにそれがレゴ化された時に起こることなんだよね。自分自身も、自分の物語も「客体化」される。それによってすごく親しみやすくなるんだ。例えば、映画の中にアトランタのアパートが出てきても、実写のドキュメンタリーだったらもっと重々しく見えただろうけど、レゴだとそうは見えない。それがレゴの力だと思う。
レゴのおかげで、人々が偏見のせいで受け入れられなかったものを、自然に見ることができるんだよね。ただ「ああ、プロジェクト(公営住宅)が舞台の話か」みたいに感じるんじゃなくて。
Rick Rubin
より詩的な解釈ができるようになるってことだね。
Pharrell Williams
まさしくその通り。
Rick Rubin
それにレゴだと、自分が見たいものを自由に見られるよね。
Pharrell Williams
そうなんだよね。
Rick Rubin
撮影は実写でして、その後にレゴで再現したの?技術的にはどうやって作ったんだい?
Pharrell Williams
最初にMorganと話した時にこう言ったんだ。「君が好きなやり方でこのドキュメンタリーを撮ってほしい。君がこれまで作ってきたものを愛してるし、尊敬してる。君がこれにぴったりの人だと思う」ってね。でもその後こう続けたんだ。「撮影したら、その映像を全部捨てて、音声だけを残してほしい」って。
Rick Rubin
おお、なるほど。
Pharrell Williams
それで「それをレゴで作り直したいんだ」って言ったら、彼はすぐに「いいね、やろう」って言ってくれた。それでレゴに話を持って行ったら、彼らも「やろう」って。それからFocus Featuresにも行ったら「やろう」って言ってくれて、UniversalのDonna Langleyにも話したらOKが出た。
だから、この映画って、いろんな「やろう」という賛成の積み重ねでできてるんだよね。それを全部合わせたら、普通ならありえないものができたんだ。
Rick Rubin
誰も見たことのないものがね。
Pharrell Williams
そう、それに僕は黒人で、周縁的なコミュニティの出身だろ?公営住宅を映画にするって話になったら、普通の人はそれを理解できないと思う。でも「レゴを使って自分の人生をみんなが親しみやすい形で語りたい」って言えば、他の細かいディテールは後で自然に補完されるんだ。
そして作業を進めていくうちに、さらにいろんな要素を追加していけるってことがわかって、作品がもっと豊かになって、物語や環境の細かいディテールも深められるようになった。Morganは本当にすごい仕事をしてくれたよ。
Rick Rubin
カール・セーガン(アメリカの天文学者Carl Sagan。1996年没)が出てるけど、どうやって出演をオファーしたの?
(註)テレビ番組『Cosmos』出演時の映像の断片が「piece by piece」の劇中に登場。幼少期のファレルはセーガンの言葉に惹きつけられる。
Pharrell Williams
それがね、家族から許可をもらったんだけど、彼が最終的に出てくるって知った時は僕も驚いたんだ。カール・セーガンの大ファンだから、彼が登場するのは僕にとっても夢のようなことだったよ。
Rick Rubin
それは納得だね。彼は本当に特別な存在だよね。ところで、バージニアビーチには本当にネプチューンの像があるの?
Pharrell Williams
うん、間違いなくあるよ。すごく美しいんだ。
Rick Rubin
君の成長期にとってビーチはどれくらい重要だった?
Pharrell Williams
僕らの家からビーチまでは歩いて10分くらいだったけど、黒人はあんまり泳ぎに行かなかったんだよね。そういう文化じゃなかった。法律的に禁止されてたわけじゃないけど、僕が生まれる10年前くらいまでは、バージニアビーチは基本的に白人専用みたいな感じだった。黒人はノーフォークのオーシャンビューってエリアで泳ぐことが多かったんだ。
Rick Rubin
君が育った頃はどんな雰囲気だった?
Pharrell Williams
その残り香みたいなものがまだあったと思う。表向きには解放されてたけど、実際に歓迎されてるかっていうと微妙だったね。僕がバージニアビーチでフェスをやった時も、「悪い言葉を使ったら逮捕される」とか、「パンツの上から下着が見えてたら切符を切られる」とか、そういう看板が出てたんだよ。
でも、そういう状況を変えたかったし、実際フェスを通じてエネルギーが変わったと思う。僕らだけじゃなく、以前はあまり歓迎されていなかった3万人もの学生たちも、みんなで協力して大きなビジョンを共有した結果だね。それ以来、バージニアビーチはだいぶ良くなったけど、まだやるべきことはたくさんあるよ。
それが全ての始まりだったんだ。毎年、3万人の学生たちが17週目にバージニアビーチに集まって、試験前に少し息抜きをしようとするんだけど、彼らはあまり歓迎されていなかった。それで「ギリシャ祭」の一件が起きて、暴動があったり、州兵が出動したりして、非常に厳しい時代だったんだ。
その残されたエネルギーがまだ漂っていて、学生たちに対して十分なサポートや歓迎がされていなかった。それで当時の警察署長、サヴェラ署長が僕に「何かアイデアはないか?」と聞いてきたんだ。それで「Something in the Water」フェスティバルが生まれた。
少し話が脱線したけど、僕はずっとバージニアビーチやバージニア州に恩返しをし続けてきた。それらが僕を作ったからね、良くも悪くも。
Rick Rubin
バージニアビーチが君をどう作ったのか、もう少し具体的に教えてくれる?
Pharrell Williams
音楽業界がまだ全然育っていなかったところから始まったんだ。僕も、チャドも、ティンバランドも、ミッシー(・エリオット)も、シェイ(N.E.R.Dのメンバー)も、みんなその音楽業界の外にいた。でも、テディ・ライリーが街に引っ越してきて、大きな変化があった。それが僕たちにチャンスをくれたんだ。ティムとミッシーがジャージーに行ってデヴァンテ・スウィングと一緒に仕事をしてたりとか、そういう動きがあった。
それでも、バージニアはまだ音楽業界が盛んではなかった。でも、バージニアという州はすごく独特な場所で、ニューヨーク、DC、アトランタ、マイアミの間に位置している。だから、いろんな人が行き来していた。ハスラーたちが街に来て、何か商売をしていなくても、街でパーティーしてたりする。ノーフォークやバージニアビーチにはそんな独特の時代があったんだ。
Rick Rubin
ビーチがそういう流れに何か影響を与えたと思う?
Pharrell Williams
そうだね。ただ、音楽的には、僕たちは北部でも南部でもなく、ミッドウェストや西海岸でもなかったから、どんな音楽にも耳を傾けていた。それが僕たちを、少なくとも今話しているグループに関して言えば、音楽家として形作ったと思う。
地域全体もそういう影響を受けて、どの地域から来たものであっても素晴らしい音楽は受け入れられ、プレイされていた。それが僕たちの味覚を育てて、多様な音楽を好きになるようになったんだ。それってすごく興味深いことで、普通の場所のように見えるけど、実は隠れた才能がたくさんいるんだ。
例えば、世界的に有名なウォーホルのコレクターがバージニアビーチに住んでいたり、バックミンスター・フラーのジオデシック・ドームがあったりして、そこではいろんな人がパフォーマンスしていた。そのドームは取り壊されちゃったけどね。僕たちはその土地を取得して、多目的な会場やホテル、ウェーブパークなんかを作る計画を進めている。
それに、エドガー・ケイシーのARE財団もそこにある。彼はケンタッキーからバージニアビーチに移り住んできたんだよ。
Rick Rubin
それはクールだね!知らなかったよ。
Pharrell Williams
そう、実はいろいろあるんだよ。ただ、僕たちバージニア民はそれをうまくマーケティングしたり、祝ったりするのが得意じゃなかっただけ。
Rick Rubin
でも、それがその場所の特別さを守っているとも言えるよね。秘密のままであることで、純粋さが保たれることもある。
Pharrell Williams
確かにそうだね。「知る人ぞ知る」場所っていうのは、それ自体が魅力的だよ。でも、それを守るべきだと知っている人たちが必要なんだよね。そして、そういう人たちが必ずしも自覚しているわけじゃない。
僕はその人たちを愛しているけど、場所の特別さを理解し、どうすれば次のレベルに引き上げられるかを考える自覚が足りない時がある。それが僕たちが手を挙げて、世界中から大きな投資家を呼び寄せて、バージニアビーチを国際的な宝物にしようとしている理由なんだ。それがたとえ国際的な秘密のままだとしても、そのように扱いたいんだよ。
Rick Rubin
バージニアを自分の故郷だと感じている?
Pharrell Williams
そうだね、まあ、マイアミも僕のホームだし、バージニアビーチもそうだし、パリもそうだね。
Rick Rubin
でも「ホーム」と聞いて、最初に思い浮かぶのはどこ?
Pharrell Williams
それでも、バージニアはいつだって僕のホームだよ。でも、今はパリに住んでいる。子供たちがそこに通っているからね。でも、東京もまた別の理由で僕のホームだし、マイアミはただ永遠に飽きないんだよ。
ある3曲を制作して以降、すべてが変わった。僕が存在するこの瞬間、この場所、この時間軸で生きていること自体が、どれだけありがたいことかを実感したんだ。⸻ファレル
Rick Rubin
映画のために新しい曲を書くのはどんな感じだった?
Pharrell Williams
僕はまず自分自身を客観視する必要があったんだ。そうすることで初めて、自分についての曲を書くことができた。僕は今まで、自分のためにいい音楽を書いたことがないと思う。前にも言ったと思うけど、僕のベストな曲は全部、他の誰かのために書いたもので、僕のバージョンはただデモとして残っていたものなんだ。
自分を脇に置かないといけない。自分自身を見るときって、鏡が鏡を見つめているようなもので、そこには何のイメージも、インスピレーションもない。でも、他の誰かを通して自分がチャネリングされるとき、その人が僕の中から何かを引き出してくれる。曲自体が採用にならなかったとしても、それは他人のために奉仕するという形だからこそ、僕のベストな作品は自然とそういう時に生まれるんだ。
そして、自分自身を客観的に見ることで、十分な距離を取ることができ、インスピレーションを得られるようになった。そこから生まれたのが「Piece by Piece」や「Lego Odyssey」といった曲なんだ。
ちなみにフランス語では、エゴを「l’ego」って言うんだけど、それが「Lego」と同じ発音になる。それをテーマにして、僕の人生の最初の50年、特に40年くらいがいかにエゴ中心だったかを書いた曲なんだ。
Rick Rubin
どうやってそれに気づいたの?何がきっかけだった?
Pharrell Williams
前にも話したと思うけど、「Happy」「Blurred Lines」「Get Lucky」という曲を頼まれて書いたんだけど、結果的にそれらが僕にとって最大の曲になったんだ。でも、それらは僕が「自分で作りたい」と思って作った曲じゃなくて、依頼された曲だった。
その経験を通じて気づいたのは、僕は全てをコントロールしているわけじゃないってこと。僕が曲を書き、プロデュースしたとしても、それを選んで聴いて、シェアして、買ったのはリスナーなんだ。それが僕にとってはものすごく謙虚になるきっかけだった。
Rick Rubin
その瞬間、どんな気持ちだった?
Pharrell Williams
解放感や安心感というより、「見捨てられなかった」という感覚かな。僕にもう一度チャンスを与えてくれたことに対する感謝の念だね。僕が存在するこの瞬間、この場所、この時間軸で生きていること自体が、どれだけありがたいことかを実感したんだ。それ以降は、すべてが変わった。
Rick Rubin
その視点で物事を見られるようになったのは、本当に素晴らしいことだね。
Pharrell Williams
うん、本当にそうだね。この宇宙の中で、ただ存在していること自体が奇跡だと思うんだ。
Rick Rubin
教会とはどんな関係性だったの?
Pharrell Williams
教会はすべてだったよ。そこで僕たちは初めて「スピリット(霊的な力)」というものを目にした。いま君と僕が自然の中にいるように、風が吹くと木々の枝や葉がその方向に動くのがわかるだろう?教会で感じたスピリットもそれと同じで、目に見える形で波のように動いていたんだ。
たとえば、大きなフットボールスタジアムで観客がウェーブをしているのを見たことがある?僕は教会でスピリットがそんな風に動いているのを目撃したよ。人々が手を挙げたり、叫んだり、祈ったりするのを見たんだ。
僕の父親の教会はペンテコステ派の教会で、そこでよくそんな情景を見た。一方で母親の教会はバプティスト派で、そこでは叫び声や感情的な表現が少なかった。けど音楽はどちらの教会にもあった。
Rick Rubin
音楽が大きな要素だったんだね?
Pharrell Williams
そうだね。大抵、牧師が何か力強い言葉を発することから始まるんだ。それが会衆全体とつながる瞬間だ。そして、オルガン奏者、ほとんどの場合は僕の叔父のエゼキエルが、牧師の言葉に合わせて音楽を奏でるんだ。牧師は特定の音を選びながら説教していて、それが音楽と一体化する。それが未来のオートチューンのような感じだったね。
牧師が次のポイントを強調するとき、オルガン奏者が半音上げて調を変える。説教が進むごとに音楽も高揚していって、ついには感情がピークに達する。そしてその瞬間、演奏がカットタイムのビートに変わるんだ。観衆が一斉に動き出し、誰もがスピリットを感じながら走り回る。その情景は本当に特別なものだったよ。
Rick Rubin
それって、その場の即興だったんだよね?
Pharrell Williams
その通り。すべてがその瞬間に生まれたものだった。
Rick Rubin
驚くべきことだね。
Pharrell Williams
まさしく。今思い返せば、あれは僕が初めて「緊急性」というものをライブで体感した瞬間だったと思う。その場の空気を切り取って塊にできるなら、それを体験した人は想像を絶する感覚を得られるはずだ。
Rick Rubin
そこにいる誰もが集中していたんだね。
Pharrell Williams
そうだよ。全員が完全に引き込まれていた。その感覚は今でも叔父の教会「Faith World Ministries」で体験できる。彼はオルガン奏者から牧師になり、自分の教会と会衆を持っているんだ。彼が説教するとき、その場で感じるものは言葉にできないよ。ノーフォークのアゼリア通りにある教会だけど、そこでもスピリットが空間全体に広がるんだ。
(「ヴォイス・オブ・ファイア ~調和の歌声~」:ファレルの叔父エゼキエル・ウィリアムス司教が、ファレルとともに、型破りで刺激的なゴスペル合唱団を設立するNetflixドキュメンタリーシリーズ)
Rick Rubin
そして、教会からたくさんの素晴らしい音楽が生まれるよね。
Pharrell Williams
間違いないね。最高のミュージシャンやシンガーがそこから生まれる。
Rick Rubin
何がその能力を育てるんだろう?
Pharrell Williams
スピリットへのアクセスだと思う。さっきも言ったけど、「存在するすべて」「すべてだったもの」「これからすべてになるもの」というアルファとオメガ、自身が存在するマトリックス。それが僕にとってのスピリットなんだ。つまり、すべてを動かすエネルギー、全体をつなぐ力だよ。
Rick Rubin
子どもの頃、教会に行くのを楽しみにしてた?
Pharrell Williams
いや、時には義務みたいに感じたこともあった。だってね、僕たちの育った環境では、水曜夜のバイブルスタディ、木曜か金曜の家での祈り会、土曜の聖歌隊リハーサル、日曜は朝の礼拝、そして時には夕方の礼拝もあったからね。すごく多かったよ。他のことをやりたいと思うこともあった。だって教会の外には、マイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダー、ジェームス・ブラウンといった音楽があったんだ。それはまた別の「スピリット」だったね。でも、今振り返ると、とても感謝してる。教会での経験が僕に即興と緊急性を教えてくれたんだ。
Rick Rubin
40歳から50歳の間での「気づき」について話ていたけど、映画を作る中で自分自身について何か新しい発見はあった?
Pharrell Williams
あったよ。初めて自分の「魂の目的」を理解できたんだ。
Rick Rubin
それについて教えてくれる?
(後半につづく↓)