「クラスの癌だ」ある担任の言葉から、学びの場に望む、妥協不可能ポイントを痛感
文字にして読み返すと、なかなかインパクトがある言葉です。
「クラスの癌だ」
中学2年の時、担任に言われました。
さすがに面と向かって言われたのではなく、クラスメートの一人が教えてくれました。テニス部顧問だったその担任。部員だったクラスメートに、思わず本音をもらしてしまったのか。
中学生相手に、大人が発した言葉。
本人に面と向かって伝えた方が、まだ潔いのに。そんなこと聞かされたクラスメートの気持ちも、考えたのかなぁ。
教えてもらった後に、ご丁寧に職員室まで報告に行ったのを覚えています。
「聞きました、本当ですか」って。(いやぁ、お恥ずかしい)
私は、矛盾が許せない子供でした。
子どもに指導している行動を、大人が守っていないと強い嫌悪感。
「人の陰口を言わないように」なんて指導しながら、自分の行動は?と。
小学生時代から意見が強く、発言を躊躇わなかった私。学年始まりにこの担任に媚びられ、それがとても嫌でした。公平であるべき立場なのに、と。
突進するイノシシのよう真っ直ぐだったので、「灰色の部分」を持つ調整ができない。感じた矛盾を、担任に対して指摘してしまう青い子でした。
疑問に感じた事を、「自分が正義だ」と信じ込んでいたのは、私自身がまだ人生経験不足だった証拠。
そんな意見が強い生徒、途中から扱いにくく鬱陶しくなったのでしょう。上記コメントを発した当時のクラス担任。
「クラス」とごまかしているけれど、彼にとって扱いにくかったのよね。
その後、「めんどくさいなあ」と感じることが多かった、中2の1年間。それまで、意見を発する事をのびのび謳歌していた私は、この時期に黙ることを学んでしまいました。
黙っていれば、攻撃されないんだ、と。
35年以上も前の出来事。
何年過ぎても、覚えているものです。
現在の教育現場は、その時代から変わったでしょうか。
子どもが疑問や思いを伝えると、立場や年齢の違いから「従え」「反抗するな」とパワーで押しつぶされるのでは、黙ることを学ぶでしょう。
「言っても無駄」と、諦めちゃう。
自分が尊重されていないと感じる場での学びが、楽しいはずがありません。
尊重されるとは、自分の考えが常に通るということではなく、「聞いてもらう⇔説明してもらう」こと。
子どもがする、ぽろっと発言。
その発言をひろってもらえる環境が、学びの場所だと信じます。学びは、安心感と好奇心と挑戦があってのものでしょう。
「大人」「教師」という立場を使い、子どもの意見を押さえ付け潰すようなことは、決してしまい。
私の中で、強い決心が生まれた体験。
力で抑えることも出来る「大人」側になった今。当時の気持ちを忘れないように。
ティーンの当時の気持ちを、時に反芻しています。