
フィリピンよ、学びの機会をありがとう!
新しい土地に住み始めると、必ず通るプロセス、「それまでの価値観とのギャップに戸惑う時期」があります。
同時に、自己防衛本能か、滞在時間が過ぎるにつれて、最初は受け入れ難かったギャップも徐々に折り合いがついていくものです。
人の適応力のありがたさ。
列挙すればきりがありませんが、それぞれ10年以上時間を過ごし、慣れ親しんだオーストラリア・シンガポールでも、移住当初は戸惑うことが多々ありました。
オーストラリアでは時間の感覚の違いに驚き、
シンガポールに移住した際には、「家賃幾ら?」タクシードライバーからお金に関して直球の質問に目を丸くしたものです。
パターンが見えてくれば、自分に対してだけの個人的な攻撃ではなく、「そういうものなのだ」と打たれ強くなっていく。
フィリピン移住後6ヶ月弱。
折り合いがつくまでには、まだまだ程遠い新参者でございます。
予期しないことがコメディーのように続きます。
最初の一手、シンガポール側から始まったインシデント
見積もり額に驚愕し、減らしに減らした私達の荷物。コンテナ半分までに減らしました。
6月頭マニラ到着→7月半ばビザ取得→9月半ば新居に引っ越し
長い交渉後、やっと住所確定。
コンテナをシンガポールの倉庫からマニラへ送る手続きをスタートさせました。
免税手続きもあるのでタイミングを計算しつつ、シンガポールとマニラの運送会社担当者と相談しながら、プロセスを進めていたつもりです。
そんな中、到着予定日前にコンテナが突然マニラ到着。
マニラ側担当者も突然のコンテナ到着に驚いた様子。ショックの大きさがメールから伝わってきました。
私も白目は剥きすぎて、もう目が点。
コンテナって、大きい。
「間違って早目に送っちゃったー。てへ?」
これはありえないと思うのは、私の固定観念でしょうか。
コンテナは数日海を旅してきたわけです。
その数日の間に「予定よりも早く到着します」の一報も送れたのに…そう思うのも、私の価値観でしょうか。
マニラの同じ空の下にコンテナ到着後、既に2週間。
港にコンテナが到着すると、数日の無料滞在期限があり、その後、滞在費用が発生します。しかも到着後15日すると「破棄」されるとも聞かされています。「破棄」されない為に、また手続きと料金が発生するとな。
手続きと料金発生のスパイラル!
「その為に、コンテナ到着のタイミングを考慮していたのに…」ぶつぶつ。
濃い霧の中を歩いているような手続きプロセス。
マニュアルがあるわけではないようで、話がクルクルと変わります。
パスポートを預ける、いや、預けなくていい。
その代わりにコピー提出が必要、コピーでは駄目。直筆サインが必要、直筆でなくてもいいはず…
しびれを切らした夫が、最終的には担当者の代わりに自分で運送会社の仕事を担当。書類を持って、関連機関を何度も往復。
書類提出後、待機。
辛抱強く待機する間に時間は過ぎ、今日はコンテナ到着後14日目。つまり明日は、コンテナが廃棄される予定日です。
そして今日の夕方、担当者からメールが届いていました。
免税審査担当者が昨日退職し、新しい担当者に変わりました。審査が完了するまで時間がかもしれません。その分、料金も発生します。
明日はコンテナが破棄される予定日です。免税手続きが今日中に終わらなければ、コンテナが破棄されないように、新たな手続きが必要になります。
また、状況が分かり次第ご連絡しますね。
新居に引っ越し後、コンテナの荷物を受け取る。シンプルなプロセスだと思っていました。
「移住の全プロセスが済んだら、秋の日本へ帰れるなあ~。」
なんて夢見ていたけれど、日本はもう既に寒そうです。
「手続き完了です。」
そう言われ喜んでいると、
「Sorry!次これお願いします。」
「ゴールはもうすぐ!」
そう思うと、更に続く道が当然登場するゲームのようです。
なにも確実ではない。
そう教えてくれるフィリピンでのスタート。
私は人生の不確実さを受け入れる為にフィリピンへ来たのかもしれない…
なんて思い始めた今日この頃。
今まで自分が正しいと信じていた方向は、入念な計画と準備をし、可能な限り予定通りに事を進めること。不確実さを受け入れることとは真逆のように感じる。
けれど、計画や準備をすることは、不確実さへの対策と抵抗。人生は不確実で予測不可能なものなのだと知ってはいるからこそ、計画と準備で私は身を守ろうとしているのです。
嘆き諦めているのではなく、がむしゃらな抵抗を緩め、受け入れ幅を広くする体験をさせてもらっている(のかもしれないと考えよう)。
波に乗るしかありません。
フィリピンよ、学びの機会をありがとう。