真偽のほど解説ついでにスピ(22日700字加筆)
(前回の終わりから加筆になっています。)
自作詩を制作過程でなぜそうしたのか どのように考えたのか を綴る記事が検索して探してみて、ほとんど皆無なので興ざめかもしれぬがサラッと書いてみる。筆記者のおつむの程度も必然知れるものとなろうが、稀に見るくらい珍しいことなのだが、ウエ(笑)のほうで書いてほしいと言っているので。テキストは下記。
古い思い出に
醒めていることより親しいものとして
夢のなかの あなたの 名前
を こころに刻んだ
三年が経過して わたしに 居をうつすことが訪れ
ながいあいだ 三文字の漢字の繋がりであるだけだった
それだけの佇まいの
ともすれば忘れそうにもなっていた それは
ある日 はじめて あなた になった
まごうことなきそのひとで あること
赤い 縁の女性であること を
知ってはいたけれど 内緒にしてた
バイオリン を奏で
コレット を愛読し
文字 を書き散らすこと が
あなたをかたちづくり かけがえのないものにしていた
あの日
ふたりで メモリーオブノンチャ と 美味しい水
楽譜をおっているとき チェロの弦がプッツと切れ
空隙がうまれ
あなたはバイオリンをケースにいれ
泣きながら 戸外へ と でて行ってしまった
ごめんね ずっと子供のころから 失語症で
数年間 床に臥せっていて 言葉足らずで
なんでもない 相槌や ほほえみもできなく って
こまったちゃんで
ごめんね
まず、この事実関係はどうなのよっですけれど、徹頭徹尾実際にあったことを詩の形にしようとしました。
この詩を散文で淡白簡潔に表すと
三年前に夢のなかで赤い糸で結ばれた女性のフルネームを聞き、転居先で初めてその人にあうことになった。夢で名前を聞いた事は伏せておいた。その人はバイオリンを弾きコレットという作家が好きで文筆のアルバイトをしていた。合奏の練習をしていると楽器の弦がきれ、その人は泣いて出て行った。すまなく思っている。
いくぶん端折りましたがこんな感じかなっ。まあ、これだとサッパリさっちゃんでどうでもよい感じです。
まず、詩を綴る前に、岩波文庫「対訳 イェイツ詩集」高松雄一 編 をパラパラとめくります。数十秒で詩のモードにはいります。なぜこの対訳モノかというと詩の聖人はきっとイェイツみたいなひとであり(と見当をつける)、まあオリジナルのバイブレーションに近いし、それを日本語の熟練者が現代の言葉でわたしでも理解できる形で訳してくれているから かな。が、なによりもの理由は所持する詩集の数が少ないからです(;'∀')。
経験皆さんあるでしょうけれど文章からその単語やフレーズが浮き出て眼に入ってくることがあります。これは例えば失恋の最中にある人が失恋のことについての本を読んでいて自分の中の感情や体験と重なり過ぎて文意が頭に入らずどうどう巡りをしたり誤読が生じやすくなったりする状態です。
書く詩に必要な言葉・それに意味グループ的に隣接する言葉が、調子がよいときはこの詩集、いえなんの本でもよいのですが、紙面から訴えかけてきます(ここ笑うトコ)。が、前段落の状態にあればそれは起こりません。ので、フラットな状態でそのことを行います。強い感情のさなかでは文意の微妙な違いの感覚、その接触に失敗しがち。
準備段階までのことはこんなかんじかなっ。
詩の表現の部分については、、
頭がしらふで明晰である時に得た情報より一般的には確証が低い情報を強く信じたことを⇒
醒めていることより親しいものとして
夢のなかの あなたの 名前
を こころに刻んだ
頭の片隅にとどめた名前をもつその人に初めて出会った驚きを⇒
ながいあいだ 三文字の漢字の繋がりであるだけだった
それだけの佇まいの
ともすれば忘れそうにもなっていた それは
ある日 はじめて あなた になった
まごうことなきそのひとで ・・・
どのような女性なのか を(期せずして綺麗な空白の斜線が生じそこはちょっとスキ)⇒
バイオリン を奏で
コレット を愛読し
文字 を書き散らすこと が
あなたをかたちづくり かけがえのないものにしていた
これがふたりの終局だったのか は ぼやかしてふれません。これは実際は終局の瞬間だったのですが、「こまったちゃん」がいきいきと活躍せぬのでぼやかしました。「こまったちゃん」の言葉、これひとつで人付き合いや人間あしらいのスキルの無さ(笑(´;ω;`))に、破局を迎えた原因の大きなウェイトがあったのではないか?を示すことがまあ出来ます。基本的に深刻すぎることを執筆者が嫌うためにこのようになってしまった次第です。⇒
泣きながら 戸外へ と でて行ってしまった
表現についてはここまで。
で、多分書いてほしいと言うのはこれなんだろうなと思うのですが、
執筆者はいままでほとんどの場合、縁が生じる異性の名前を出会う事前に聞いています。
人はこの世に降りてくる前に、平均3~5人ほどの同時代に生まれる人とそのようなまあ約束めいたことをして(語弊がある表現かも)来るそうで。全部と遭遇できるわけじゃないから後ろで見守るひとが人の縁を辿って実際は探してきたりすることもある。
これに由緒正しくのっとり(爆)、まあ時期順不同で書くと、半年前、三か月前、三年前、ひとりは事前に聞かず、とまあこんな感じで、
事前に約束めいたことをしてくるというのがやや信憑性を帯びてくることになるんでないかい かと。
ちなみに、三か月前に聞いていた人と初めて会うことになる二週間ほどまえに、林の奥の茂みを抜けてヤマバトのツガイが十数メートル向こうからずうーーと真っすぐに私に一直線にトコトコと並んであるいてきて、一時間近くほぼ足元にずっと動かず滞在していったことがあります。楽器の練習をそのあいだもしてたのですが。このくらいわかりやすく伝えておく必要を感じたのでしょうかねまあ・・。鳩がこちらに向かう夢は吉夢であるとされていますね。
「ローリング・サンダー:メディスン・パワーの探求 」ダグ・ボイド著 北山耕平 谷山大樹 翻訳 平河出版社 という本があり、このローリングサンダーはボブディランのローリングサンダー・レビューというルーツを探るコンサートツアーのなんというかそのご本人であり、ネイティブアメリカンな文化圏に在するメディスン・マンでして。
そこにあった記述を記憶を頼りに。息子なり娘(多様な性の問題を簡略化する)がこの人と結婚することにするよとまあパートナーを生家に連れてきて父母なりと面会することになりますよね。この時に父母は分ってるというのです、その人を連れてくることを。たがわぬまさにその人と一緒に来たことを見て安堵するというのです。ローリング・サンダーの文化圏では当たり前なんですね、あらかじめというのが。
また、自然が人間に前兆を示すこと(この場合は鳩)に関連した話題ですと、フンコロガシっていますよね。あんな感じの昆虫をしかるべき作法で転がしたりして弄りもてあそぶと、雨を降らせることが出来るのです。昆虫と天候がつながっていることをローリングサンダーの子供だったと思うのですが学んで試行錯誤しているシーンが書籍にあったかと。
2人目3人目と続くはずの約束してきた縁の深い候補は、その時期までに必要な学びを終えていないと存在のエネルギー状態の関係なのか引き合わないともいわれています。神秘的であるかも。スピ界隈ではよく聞く言説だと思うのですけれど。
ですので過去に囚われずに前向きに過ごす時間をすごすことが出来るのであれば、世界もそれを望んでいるのかもしれません。ね。
ではでは(*'▽')。