エーテルコード
エーテルコード(実際は厳密にその紐的イメージな形ではないことがあると思う)、まあサイキックコードと呼ばれる方が一般的かなっ。
このことについてチラッと書いておこうと思ったのは、このことの弊害で、健全で軽く実り多い個々の人生が強烈に妨げられる事案が数多くあるだろう事を、体感的視覚的に嫌になるほど知っているからです。
ネガティブなそれは対象を時によっては重度の精神病にさえ追い込み、無気力や閉塞感が長期におよんだりした場合、状況への対応を本人が誤ったりすれば、死にさえ至ることすらあるとわたしは深く認識しています(極めて重い場合とかね)。
この問題を観察する論者によって、自己起因要素と他者起因影響の割合をどう考えるかなどなど、見解に違いがあるところだとも思います。
心理学からのアプローチではここまで書いたような論は歓迎されないような気がしますし。
わたしは、他者起因要素がほとんどすべてということもあるという立場です。
そして、その不健全な作用をおよぼした側は、自身の意識構造の作用の結果対象がそのような状態に日々陥りやすくなり、その人が自分自身本来のエネルギー状態で生きるコト、それを一日たりとも許さない状態を(およぼした側が)創出している可能性を思い浮かべることが、一度すらもないまま無自覚に日々をすごすかもしれません。大げさに書きましたが、そこまでのことは血の濃い間柄であるような気がします。
及ぼされる側が呼び込む引きがねを引いたのだとか、相互作用だとも言いますけれども。
一度、ほとんど全ての他人とのエーテルコードを取り払えたと感じる時期をすごしたことがあります。
心軽く在ることのよろこびに溢れ、前後左右不安なく、宗教やグローバリズムの信念体系のマトリックスは遠く霞み認知できず、大空は近く想いよぎらず多幸感が終日続く日々でした。
他人のことを考慮するのは 弱さのあらわれである。グルジェフ辺りがこのようなことを述べていたかと。
エーテルコード、サイキックコードについては各スピリチュアリストにより見解が分れる部分があります。様々なサイトさんがあります。本もいろいろと存在するでしょう。
本で過去に読んだものでそれについて記述とワークがあったものには、確か(記憶があいまい)アモラ・クアン・インの「プレアデス覚醒への道」という本で”健全な境界をつくる”という章がそうであったような気が、違ってたらごめんなさい。
下にあるサイトさんのリンクですが、ここは実際的現実的な方が書いていらっしゃるとお見受けし、物理的ライフハック手段にもかなり触れられており、どこか冷めたスタンスが感じられ個人的に好きです。
いろいろと他のサイトさんも訪れて相性よいとこをみてみることが、とてもよいかもしれません。