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ファベーラに泊まる

ファベーラの多くは、公有地や所有権を巡って係争のある土地などを不法占拠する形で小屋や家屋が築かれたもので、一般的にブラジルの諸都市はファベーラの存在を法的実体として認知していない。ファベーラの建物は非常に建て込んでおり一軒一軒も狭く、地形に合わせた階段や通路が家々の間を通っている。このため自動車は通行できないことが多い。コンクリートや、レンガで造られた家から廃材で作られた家までさまざまであるがいずれも無断で建てられている

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ブラジルの音楽で「ファンク」というジャンルがある。あのブラックミュージックのファンクではなく、ブラジルで生まれた「ファンク」
「ズッチャチャ、ズチャチャ」「ズッチャチャ、ズチャチャ」と独特のメロディラインがある。歌詞はブラジルなのでポルトガル語、バラード調の曲もあるが主にはダンスミュージックだ。

ファンクはファベーラの中で流行り出した音楽だという。
ファベーラは特にリオ・デ・ジャネイロに多く、市内に1,000ヶ所以上が点在するらしい。歩いているうちにうっかり迷い込んでしまうこともあると聞いていたから、リオでの街歩きは慎重にしていた。
ファベーラにもいろいろある。それこそ映画『シティ・オブ・ゴット』や『ワイルド・スピード  MEGA MAX』に出てくるような、すぐに銃が出てくるところもあるかも知れない。しかし、わたしが訪れたファベーラは比較的穏やかなところだった。

白、赤茶色、焦茶色、たまにパステルカラーの家々が切り崩した岩の斜面にずらりと建ち並び、そのひしめき合っている姿が美しい。わたしはスイッチバックをする電車のように、急な斜面を右へ左へとバックパックを背負いながらゆっくりと上っていった。この先に今夜の宿を取ってある。

今回この中に宿を取ったのは、ファベーラの中の生活を見てみたかったことと、この岩山の上にリオの街を一望できる絶景スポットがあって、そこへ行く際、ここに宿をとっておけば楽だと思ったからだ。しかし、探すまではファベーラの中に宿があるなんて思いもしなかった。


photo by Rio

宿は眺望の良いころにあり、窓のないテラス席からはビジガルの街が眺められた。
エレベーターを上がると宿のロビー。ロビーと呼べるかは微妙だがそこはだだっ広いスペースで、フロア中央にはソファと卓球の台があり、壁際に数脚のテーブルと椅子が並べられていた。フロントもちょこんと置かれていてそこでチェックインを済ませた。
お世辞にも綺麗とは言えないが、料金は安く、キッチンもついている。各部屋はロビーに隣接している個室だ。私の他にも何組かのゲストがいて、わりと人気の宿のようだった。せっかくなので早速街を散策してみることにした。

電線の量はアジア並。立派な家などは見当たらない。とにかく坂道ばかりだ。しかしそういうことを除けば、他は今まで訪れたところとさほど変わりはないように思える。ただひとつ違和感を覚えたのはスーパーマーケットの中だった。
レジに並ぶ列の中、ガタイのいい男が上半身裸で、これから買うであろうビールをすでに飲みながら並んでいる。……フライングビール。日本ではまず見かけない光景に「さすがファベーラだ」とひとり唸った。

暗くなる前に宿へと戻った。夜が危険だということぐらいは分かっている。
宿にはフランス人の若者がふたりいた。夜はお互いに自炊。彼らは今夜、夜の街へ繰り出すようだ。確かにリオといえばそんなイメージがある。ここからは結構な距離があるが大丈夫だろうか。リオの夜はさぞ治安が悪いだろう。一緒に行こうと誘ってもらったが、私はパーリーピーポーではないので遠慮しておいた。
南米に来てからほとんど夜は出かけていなかった。それはひとつに治安の問題がある。ようやく少しは慣れてきたが、入国して間もなく田舎で働き始めたせいか、あれから随分と時間が経っているけどさっぱり都会免疫がつかない。やはりまだビクビクしていた。もうひとつは金銭面の問題。使うお金をセーブしながら旅を続けるという課題があるため散財はできない。どう考えてもわたしのエンゲル係数は低かった。とても欧米人たちと派手に遊べる余裕はない。今のところわたしが夜出かけるときというのは、ローカルの友人と一緒のときくらい。これなら外国人たちといるよりも治安の面で安心だし、旅のモットーである地元密着の遊びができる。夜のリオも見てみたくはあったが、大人しく寝ることにした。
 
翌日、朝からこの街の上にある「ドイス・イルマンス」という山を登った。そこからはリオの街が一望できた。

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