うにまる的善悪論(序章)


序章


善悪という概念は幻想であるという前提でこの文章の「善悪」は筆者が自身の幻想と仮定したものとして書き進めていく。

『社会』

人間の社会は複雑だ。
様々な集団が入り乱れて存在し、様々な国が興り、様々な思想で集団が統治され、様々な事件が起こる。

人間というのは哺乳類では稀にみる【高度な社会性】を持った生物だ。

真社会性生物と呼ばれるタイプの生物がいる。
アリやハチなどの昆虫、ハダカデバネズミの仲間の哺乳類がそれである。

彼らは人間同様、大きな社会を形成している。
彼らと人間との大きな違いはルールの複雑さだ。

彼らはシンプルなルールを各個体が厳守して社会を形成している。
彼らはルールに文句を言わず、そのシステマティックなルールによって【種として】生きながらえる。

彼らのルールの根本は【種の保存】である。

よって彼らのルールにおいて【個の生命】は【種の保存】を大目的とし、その役割を果たすために存在する。

それが【真社会性】である。

一方で人間の社会は【個の寄り合い所帯】である。
社会は【種の保存】のためではなく【個の生存】の為に存在する。

その為、【個の生命】がとりわけ尊重される。
それが人間社会の根本である。

一方で、人間個人個人が【個】だけを尊重しているかと言えばそうではなく、血縁関係のある【他者】も尊重する。
この点においては【真社会性生物】もその社会単位が【血縁関係】であり、人間と同じである。

つまり生物として自分たち【血縁関係者たち】が持つ【遺伝的形質の保存】が究極の目的であるといえる。

それは、社会性の低い生物であっても同様であり、生命システムの根源である。

『死と生存』

人間という生物は【死】をとりわけ恐れる。
人間は死なない為に他の生物では考えられない様な様々な努力をしてきた。
命を守る社会ルールを作り、医学を発展さえ、不老不死をも願うようになった。

先進国では既に【恐るべき長寿社会】が実現し、場合によっては【種の保存】や【遺伝形質の保存】といった【生物の大目的】が置き去りにされている現状がある。

【生物の大目的】の実行においては既に役目を終えた高齢者の為の社会を形成するため、少子高齢化が進み【種の保存】や【遺伝形質の保存】がむしろ邪魔者のように扱われるケースもある様に見える。

【生物の大目的】という視点を抜きにしても、社会システムにおける喫緊の課題として各国頭を悩ませている。

長寿を求める原因を考えるに「人生を楽しむために死を遠ざける」という思考と「死を恐れるあまりに死を遠ざける」といった思考の2つがあるように思われる。

私個人の思考は前者であり、人生が楽しくてまだ死ぬには勿体ないという考えであり、自分自身も【まさに人間である】と思う。
また、私自身既に中年というにはいささか申し訳ない程度には歳をとっているが、結婚もしておらず子もいない。
つまり自分自身も【生物の大目的】を果たさずに歳だけを重ねている訳だ。

そんな自分を棚の随分と上の方に上げておき、敢えて客観的に語りたい。

『苦痛と死』

【苦痛】とは、各生命が死を回避する為に死の原因を察知するセンサーである。

生物は外的要因・内的要因など様々な死の原因が我が身に接近してくると【恐怖】や【苦痛】といった【負の信号】を発信して死から遠ざかろうとする。
こうして生き残ることにより、自身の生命活動を継続し、繁殖して【遺伝形質の保存】を行う。

大抵の場合【死】は【苦痛】とセットである。

私は人間として生まれ人間として生きてきた為、他の生物が【死】や【苦痛】をどの様に捉えているのかを知る由もないが、思うにそれは【生物に起きる現象】の一つに過ぎず、【生物の大目的】を果たすためのシステムでしかないのではないだろう。
そこに【意味】などなく、目的を果たす為には苦痛を感じれば死を避ける為に苦痛から逃走するということでしかない。

ところが人間は無駄に脳を発達させたものだから【苦痛】や【死】に人間なりの【意味づけ】をしてしまった。

その【意味づけ】の前提に【人間としての私個人】という人間ならではのいわゆる【自意識】がある。

大局的にみれば【世界の中で起こるほんの小さな一現象】に過ぎない個人の生命に我々は大きな【意味づけ】をする。

それは

「一人の生命は全地球よりも重い」

という言葉が幅を利かせるほどなのだ。

実際のところ、地球がなければ地球上の生命は存在せず、よって人間も存在し得ない。
またまた大局的にみれば地球の存在の方が余程重要である事は自明であるにも関わらずである。

このような言葉や思想は【哲学】ではなく【文学】であり人間特有の「センチメンタリズム」であると言えるかもしれない。

我々人間は死というものを忌避するあまり、生というものに固執しすぎている様に思う。

人間が持っている「他の生物にはない過大な死への忌避感覚」が【死=悪い現象】という意味づけの原因なのだろう。

そして、それは人間の社会性により更なる意味を持つ事となる。

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