私の笑いのエネルギー😊
『お前が夢中な姿は実に愉快で面白い‼️
どんどんやれ❗️(動け)』
私の恩師に言われた言葉。
高校の時に仲間内で始めたフットサルの練習中に言われたんだけど、国語教諭であり副担任でもあったN先生の暴言(汗)……いや発言(笑)
今までも、今でも、こうして思い出すのは何か意味があり気づくべき事があるのかも?……
何故か、未来に繋がるような気がして……。
いい機会だなと振り返ってみようと思う。
実にN先生のその発言は、私の本質を見抜いていたなと。
私にはそんな"愉快な面白さ"なところが
私が受け入れがたくて、フタをしてしまったなと……今、ハッとする。
じゃ、フタをする前の自分って?
高校以前の時の私はどうだったのか?
3歳の時に吃り(吃音症)になった私。人一倍喋りたいのに思ったことが伝わらないの日々。
そのオモロイ質は吃りとは関係なく、兎角小さい頃から周りに構われたのはそれが理由だろう。そして、笑われることに良い気がしなかったのは、吃り障害の偏見さを重ねていたのかなとも。
その中で、モノを作る楽しさに没頭したり、文字にして思いを伝える、表現する事へ楽しさも知ったのは必然だったのかと。
そして、大人になったら物書きを生業にしたいそんな夢を抱き始めたのだ。
で、そんな夢を応援してくれていたのが、N先生だったのだ。
言葉を知れと帝都物語の文庫本、全巻をくれたり、学校祭の劇のシナリオ書きに抜擢してくれて、最終的には本番の進行まで関われた。
でも、当時から読書は苦手。本は読み切れ無かったけど、大人になってから実写の映画で感動を味わう。劇に関してはプレッシャーの中、やりきった感は未だに超えるものはない。
そう、高校時代に凝縮されてるじゃない⁉️
「愉快で面白い」私の本質と
「本」は知識と想像力をつけるアイテム
「物語を書く」は私が楽しく表現出来るもの
「目的に向かって物事を動かす」役割的なもの。
全て、私じゃん‼️そう思えた。
愉快で面白い私で
私がやりたいこと、私が生きたいこと
私が表現したものを形にして……
私のまま生きるだけで
周りが愉快で面白いって感じる
私の放つエネルギー……。
それも私自身の表現の一つ。
ポジティブに自然に周りに届くのは
とっても喜ばしい事だよね。
私を私らしく表現してく事が
未来のためにできること……。
書きながらコレに繋がった‼️
私らしく生きよう‼️
まだ何も見えてこないけど……
書いたらまた見えてくるはず❣️