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JBAラムリム講座第3回要約

この記事は(一社)日本仏教徒協会がチベット仏教普及協会《ポタラ・カレッジ》のクンチョク・シタル先生をお招きして開催している「チベット仏教『ラムリム』講座」の内容をダイジェストでまとめたものです。
 ラムリム講座は途中からでもこちらよりお申し込み頂けます。過去分はアーカイブで視聴可能です。

今回は、前回に続き「聴聞の方法」について、
特に「六つの想念への依拠」が扱われました。

(聴聞とは、書物を読むことを含めた、(仏法を)”勉強すること”全般を指すのでした。)



|六つの想念|

「六つの想念」とは、以下の6つです。

1. 自身を病人のごとくであると想念すること
2. 説法者を医者のごとくであると想念すること
3. 教導を薬であると想念すること
4. 真摯な実践を病気の治療であるとの想念を起こすこと
5. 如来を最上の人であると想念すること
6. 法の道が永く有り続けるとの想念を起こすこと


想念するとは、簡単には”イメージする”と言い換えられるでしょう。

また、これらの想念(”イメージ”)は、仏教の基本的概念である四聖諦(苦集滅道)がしばしば、

苦:診断
集:病因
滅:治療された状態
道:治療実践

のように病気と治療の比喩で例えられることを踏まえるとよりわかりやすいかもしれません。

そしてこのようにして想念することで、聴聞が効果的になるというのですね。



|1.自身を病人のごとくであると想念すること|


いわゆる身体の病気にかかった場合、医者のいうことを聞かないと命に関わることは直感的にわかります。

同じように心の病である貪欲などの煩悩も、説法者のいうことを聞かなければ十分命に関わりえます。

そもそも心の病というのは「なかなか治らない」し、
「一瞬の悪業は何万劫年も続く」ともクンチョク先生はおっしゃられていました…。
一つ悪いことをしたらそれが一気に心を蝕んでいくこともあるのです。

一方で同時に、それらは病として、”治る”ということも、”病気・病人”という言葉には含まれているでしょう。

一番初めに来るこの想念は、
「きわめて重要であり、それがあるなら他の想念も生じるが、それが言葉だけであるならば煩悩を消除するために教戒の内容を修行せず聴聞するのみになる」
とラムリムに書かれているように、非常に重要なものです。



|2. 説法者を医者のごとくであると想念すること|


これは1と対応しますが、自らが病人であることを踏まえ、名医を探し、名医のいうことをきちんと受け入れ実行することが重要なのです。



|3.教導を薬であると想念すること|


説法者の教えを薬のように大切にすること、忘れるなどして無駄にしないことが大事です。

説法者の教えの一言一言には、聴く者や弟子にはわからないような深い意味(効用)が詰められています。

そのことを念頭に置いて教えをしっかりと受け取ることが大事です。



|4.真摯な実践を病気の治療であるとの想念を起こすこと|


薬をもらってもそれを一度飲んで終わり、というのではなく治るまで薬を飲み続けなければならないように、

教えを説かれたらそれを自ら実践として日々続けなければならないということです。

これに関しては『三昧王経』に以下のように記されています。

私は勝れた説法を説いたが、あなたが聞いて〔も〕正しく行わないならば、〔薬を飲まず〕薬袋を持っている〔だけの〕病人たちが、自身の病を直せないのと同様である


まずは教えを知ることも重要ですが、頭でっかちではなく実践しないと病は治りません。

さらに、受動的だったり適当にではなく、自ら理解しようと努め、真摯に実践し続けないと治らないのです。

つまり、”薬をもらって終わり”ではないのです。


これに関してさらに『歓発増上意楽経』に次のように記されています。

サトウキビの皮には何の精髄もない。喜ばれる味は内にある。皮を食べたものは糖蜜の美味を得ることはできない。あたかも皮のごとくは言説、味のごとくはここで内容を思惟する(つぶさに考える)ことである。それゆえ言説を喜ぶことを捨て、常に不放逸(注意深く)にして内容を思惟すべきである。


言説を知る喜びに囚われるのではなく、あくまで真摯に、病人である自身の病を治療することをこそ目指すべきなのですね。



「5.如来を最上の人であると想念すること」はひとまずは2の医者であると想念することと近い意味合いでしょう。

「6.法の道が永く有り続けるとの想念を起こすこと」も、説法者の教えを重要視しきちんと向き合い実践することにつながりそうです。


今回はここまでです。


文章:上村 源耀

源耀プロフィール

寳幢寺出家弟子。京都大学総合人間学部で哲学を専攻、在学中はITスタートアップ界隈、学童クラブ、映画美学校など放浪を重ね、「いかに生きるか」をもがきながら問い続ける中で龍源師および仏教に出会う。寳幢寺と関わり仏教に浸る中で出家を決意する。

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