なりたかったモノ
私はいったいいつから「抱いて」と自分から言えるようになったのだろう。
昔は口が裂けても言えなかったはずの言葉は、いつからか息を吐くように当たり前のごとく口から出てくるようになった。昔ならまずしなかったことを今は「さも当然」とさっさと実行に移すようになった。そして昔なら難なく出来たことは今、何故か出来ない。
多くの事柄の分岐点はどこだったのかと記憶の中を探しても、どれ一つとして見つけられたものなどないのだ。
これを「成長」と呼ぶのはきっと簡単だろう。「年齢を重ねた」とも言えるだろう。だけど、私の中で「いつのまにか」手に入れたモノと「気付かない間に」手放していたモノを「不本意だ」と感じているうちは、きっとそれらを喜べることなどないのだろうと思う。
人を愛することが出来るようにはなれた。
だけど私は人を傷付ける言葉を吐けるような人間になりたかったんじゃない。