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無責という考え方
こんばんは。
今日は、知らず知らずしてしまうよくある解釈について考えてみる。
講座のDiscord内で毎日の「3 good things」を投稿している。
みなさんのほっこりエピソードがどんどん流れてくるので、隙間時間に見てはクスッとさせられる平和なチャンネルだ。
毎日の良かったことを3つ考える。
そこで、私はできごとを振り返るときに
"〇〇できたのがよかった"
というプラスを見つけることよりも
"〇〇すればよかった"
というマイナスの反省色が強く出てしまいやすい【①】ことに気づく。
これも、以前の記事に書いた弱みさがしをする癖と似ている。
そして、普段からそのマイナスを口に出す癖がある。
「あの時こうしとけばよかった〜ぁ」
と嘆き、夫に"過ぎたことは結果が変わるわけじゃないから、口に出しても仕方がない"と何度言われたことか。
(でも、声に出したい時ってある。そして受け止めてほしいという甘えだったり…)
そのマイナスを分析することも大得意だが、分析してみたら
まぁいっか〜私は悪くないし。
と切り替えられることもある。
切り替えられること自体はよいのだが、私はこの切り替えに対して、自分って嫌なやつだなって思っていた。
私は悪くない = 他の誰かのせい
にしていると思っていたから。
講師のめぐさんのつぶやきで、自責思考と他責思考に加えて無責思考というものがあることを知った。
そこで改めて、
私は悪くない = 他の誰かのせいにしていたっけ?と自問自答できた。
すると、そうでないことも多いことに気付いた。
もちろんあの人がこうでああで〇〇だったから!!!っと文句たれまっしぐらなこともあるんだけど【②】。
私は悪くないよな。
じゃあ仕方ない。忘れよ(忘れたい)。
誰のせいでもなく仕方のないこと。
それが無責思考ってやつなんじゃなかろうか。
自分はそこまで嫌なやつじゃなかったのかもと思えてきた。
ここまでを、一旦整理してみる。
【①】が自責思考
【②】が他責思考
どうやらどちらも悪いように見えて、
①は立ち振る舞いを振り返ることで自己を伸ばすきっかけとなり
②は行きすぎなければ一つの自己防衛であるように思う。
人は良くも悪くも原因を探したり、責任の所在をあきらかにすることで安心する生き物だと思って生きてきた。
それを突き止めるまで会議が終わらなかったりするのだから。
でも今回無責という考え方の存在を知って、なんだかかなり楽になった。
だって、誰も悪くないことって案外多いんだよね。
そんな良い気づきとともに、
行きすぎた他責の一つで、夫や子どもを理由にしてばかりにならないように。
時に自分から妻・母という立場を切り離して考えることを忘れず、柔軟に生きていたいなと思う。
そして誰も悪くないことの象徴みたいなものの一つ、天災。
9月9日にモロッコで起きた大地震。
それに対するじぶんの感情の動きでも気づいたことがあるので、明日綴るとする。
最後まで読んでくれた方の今日が、良い日となりますように。