ちょっとだけ書く
たまたま『shirinkー精神科医ヨワイー』を読んだ。
PTSDの回にて、福島県相馬市出身のキャラクターがでてきてものすごく嫌な予感がしたが、やはり3.11の話だった。(出身を知った時に悪寒が走った。比喩でなく……)
そのキャラクターと私の立ち位置が似ていることもあり読みながらダバダバ泣いたし、開けたくなかった感情や記憶の箱も空いてしまい、読み終わってからも1時間以上泣いていた。
私は3.11当時、関西の大学に通う大学生だった。しかも春休みだったこともあり、四国へ住み込みバイトに行っていたため、私は肉体的な被災をしていない。衣食住そろった安全な地で暮らせていたのだ。
そして近しい人が死んだわけでもない。
そんな私でも、十分に心に傷を負っているのだと、そして、傷がふさがりきっていないことにも気づけた。
4月からは4年生になることもあって、卒論のテーマを被災後の福島について、とした。タイトルは「”福島”で生きる」だ。
とはいえ本当のところ、震災をテーマにすることを避けようとしていた。
なぜならどうせ東電の悪口しか書けねーべよ、と思っていたし、向き合うのが怖かったからだ。
5月、6月、7月……と日が経つにつれ、あるイメージが私の中に湧いてきた。
私が(想像上)歩いている道にぽっかり黒い穴が開いているのだ。
その穴は丸いマンホールほどの大きさで、ちょっと大股に踏み出せば飛び越えられる。
なんてことのない穴だ。
でも、私はその穴が気になってしまった。
「この”穴”はきっといつかは覗かないといけない穴なんだ。今(2011年当時)この”穴”に向き合わないと、どんどんこの”穴が大きくなって取り返しのつかないことになりそう……」
と直感で思った。
だから勇気を振り絞って震災の現状に相対してみた……けど、自分自身のことであれ家族のことであれ、友人のことであれ、福島という土地のこと、私が3.11まで信じ込んでいた社会的規範、日本の政治、文化、風土、考え方……いろいろなものの金メッキがはがれたような、化けの皮がはがれたような……
とにかく、私の常識が180°回転してしまって、暴風に吹っ飛ばされて全身に傷を負いながら、岩陰で嵐が去るのをなんとか待つ……みたいな状態になってしまい、、、、、、、、、、、、、本当に、本当に心が大変だったな……と思う。
いろいろな物から逃げた自分を自分で叱責し続けていたけど、私なりに人生を続けようとすごく頑張っていたんだよね、と今なら言える。
穴の話に戻るが、おそらくその”穴”はトラウマそのものなんだと思う。
当時放置していたら、数年後か数十年後かに、生活へ支障が出るほどのーーそれこそPTSDのようなーー精神的な苦痛が押し寄せていたのではないと思う。
『文化の脱走兵』でも原発のことに突き当たってしまったし、そろそろ私も改めて3.11に向き合う時なのかもしれない。
願わくば、同世代(30代)で当時県外から被災の様子を伺うしかなかった人々と語らいたいなと思う。
そんな場所を見つける手段が分からないが……願わくば