[小説]ある旋盤の物語(一)
チンダルレの花
あの御方は列車での移動を好まれる。今日の「現地指導」も例外ではなかった。特別列車にはあの御方と党中央委員会組織部の副部長と担当秘書、あの御方を肉弾でお守りする我ら保衛司令部の隊員たち、そして彼女が乗り込んだ。
ベージュ色のジャンパー服に質素な灰色の綿入り「野戦服」を着たあの御方(そう、我々人民が党中央とお呼びし、今は敬愛する将軍様と慕っている)は列車に乗り込まれ外国製サングラスを外し保衛司令部の中隊長同志に手渡しながらおっしゃった。「列車が出発したら彼女を寄越しなさい」彼女の名前はチンダルレ(ツツジ)。私もそれ以上のことは知らされていなかった。
小さな時分から上背だけはあった私は高等中学校に進学する頃には父の背丈を超えて学級でも頭ひとつ抜けていた。我が国の学校では出身成分の次にスポーツが得意であることが人間関係を築くのに必要とされるが、体格に恵まれた私は苦労することもなく活躍し、そこそこの人望を得て少年団や社会主義青年同盟といった組織で常に委員として抜擢された。私の家系は代々が軍人で祖父は祖国解放戦争に参加して戦死、父と叔父は革命学院で学び、また軍人となった。叔父はソヴィエト連邦のフルンゼ軍事大学へ留学するもある粛清事件が発端となり当事者ではないにも関わらず左遷され、咸鏡北道の炭鉱で再革命家教育の最中に落盤事故によって死んだ。
会ったこともない叔父の出来事が将来私の政治的生命に影を落とすことになるだろうと悟った私は大学へ進学する前に「突撃隊」への参加を嘆願し、日に焼け手に血豆を作りながら親族の「罪」の禊をした。私はその努力を買われ、晴れて金日成軍事政治大学へ入学し、父と同じく軍人を志した。
チンダルレと出会ったのは栄誉にも護衛司令部に配属されて半年がたったあたりだった。中隊長同志に呼ばれ執務室に入ると、となりには彼女が腰かけていた。
「彼女の名前はチンダルレ(つつじ)。同務(トンム)はそれだけをわかっていれば良い。彼女のことは我々保衛司令部が預かることになった。同務が面倒をみなさい。くれぐれも丁重に」
チンダルレ、どうして花の名前?姓氏はなんというのか。どんな事情があるのか。聞きたいことは泰山のようにあったが中隊長同志の厳しい眼差しがそれを許さなかった。
将軍様のお側いる女性は大抵が最新の流行の洋服(ヤンボク)か民族衣装に身を包んでいた。しかし彼女はどんな女たちも似ても似つかなかった。工場で働いていた女工をそのまんま連れてきたようだった。水色のシャツに黄色いズボンと長靴、そして緩やかにウェーブのかかった髪を後ろで束ねラメ線が編み込まれた赤いスカーフを巻いていた。
立ち上がってお辞儀をした彼女は中肉でやや小柄、いつしか万寿台創作社の展覧会でみた朝鮮画の中の女性像のような顔立ちでふっくらとした頬と唇が印象的だった。彼女はその後、あの御方を呼び出しを度々受け現地指導に同行することあった。女性イルクン(職員)に頼み彼女に似合いそうな洋服を用意してもらったが、決して女工のような服装をやめなかった。「女性は花だ」と化粧やパーマネントヘアを自ら推奨される将軍様も何もおっしゃることはなかった。
(つづく)