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歴史が創作になる過程 『バナナの皮はなぜすべるのか?』に見る

さて、みなさんは過去の出来事が「ネタ」になる過程をご存知でしょうか。
時事ネタがどのタイミングでお笑い芸人が使うような、あるいは小説の定番のネタになっていくか、それを決めるのは人が目にする頻度である、というお話です。

かつて、日本ではバナナの皮だけでなくりんごの皮の転倒事故が相次いでいました。特に電車内が問題でして、明治期の電車は床に多くのゴミが散乱していました。バナナの皮、そしてりんごの皮もその一つです。

当時、電車内での転倒事故は痛ましいものである一方、さほど話題になりませんでした。それは日常の風景だからです。

さて、時代は変化します。理由はともかく明治以降、電車内の治安は改善されていて、基本的にゴミが落ちていない現在の状態に近くなっていきます。このタイミングでお笑い芸人達がバナナの皮を扱い始めました。

当初は反応はかんばしくなかったとも記録されています。というのも、かつてはそれなりに凄惨な事件の元でもあったので。しかし、時間が経つにつれ実際にバナナの皮で転んで怪我をした人は減り、芝居や物語の中でしか転倒していない人が多数となります。こうしてバナナの皮は定番ネタとして現実から創作の世界に住処を移します。

時事ネタは基本的に創作になりません。2023年2月現在、日本では広域強盗事件が話題です。未来のあなたにわかりやすく書くなら、強盗殺人事件です。おそらく未来でも強盗や殺人は無くならないでしょうから、それだけで笑いを誘うバナナの皮ではなく、より真剣さを帯びたネタとして現れることでしょう。

こうした今まさに起きていることがネタにしにくい一方、過去と未来はネタになりやすい傾向にあります。黒船来航は-当時の人々の驚きと恐怖を置き去りにし-今では創作の定番ネタの一つです。

2023年現在、スマートグラスやVR、あるいはメタバースとも呼ばれる電脳空間もまた定番ネタとなりつつあります。こうした存在しない空間をネタとした物語はそれが虚構であると読者に簡単に受け入れられます。電脳空間の代わりに刑務所を舞台設定としたら、多くの創作物は台無しとなることでしょう。この分野では『ソードアート・オンライン』や映画『アバター』などが知られています。

体験者がいなくなった時に虚構となるというのは歴史学的には興味深い題材です。日本においては武士道がそうであるとされています。新渡戸稲造が『武士道』を書いた時、当然武士は存在しませんでした。あるいは武士道物語が書かれた江戸においても、武士はもはや戦わない存在でした。だから彼らは物語に住処を移したのでした。興味がおありでしたら、以下の書籍にも目を通していただければ。