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デモクラシーを支えるものは、理性だろうか?
佐藤優,2020 『16歳のデモクラシー』 東京 :晶文社
前回、本の取り上げ方を紹介した。ざっくり読んで、本の主題を代表するQAを作るという手法だ。
今回は、導入として、タイトルに掲げた著作を使って、これからの読書案内のスタイルに、お互いに慣れていくようにしたい。
まず、著者と本書の概要をまとめておく。著者の佐藤優氏は、元外務省主任分析官にして、今は押しも押されぬ売れっ子作家。驚異的な教養を武器に、子供からビジネスパーソンまで読み易くて、ためになる啓蒙書、解説書を多数著している。神学研究科を修了されており、その関心はキリスト教に強く結びついている。
本書は、高校生向けに、デモクラシー論の古典とされるラインホールド・ニーバーの『光の子と闇の子』を読み解いた授業を書籍化したもの。
ニーバーその人がプロテスタント神学者で、佐藤氏も同様であることからも分かるとおり、極めて宗教的な政治論になっているのが特色である。
この本の主要な問いは、以下だ(と私は斜め読みした結果として推察する)
「デモクラシーを腐敗から守るものは何か?」
佐藤氏は、現在のデモクラシーが、ブルジョワの価値観に根差したものであり、かつ、世俗主義(神を使わないで全てを説明する)の特徴を持つとした上で、その腐敗は自然であるとする。
つまり、ブルジョワ的価値観は貧富の差を拡大することで、コミュニティの存立基盤を危うくする。この危機に対して、政治家が世俗的な手段をもって平等を達成しようと誘惑したときに、デモクラシーは脆くも崩壊し、ファシズムのような悪しき政権が世を支配するようになる。世俗主義に立つどのようなデモクラシー擁護論も、所詮はファシズムに抵抗し得ない。
それでは、何がデモクラシーを守るのか?
佐藤氏によると、それは神学的な世界観である。具体的には、人間は原罪を持って生まれた存在であり、人間の手のみによっては、正しい社会を作ることができないという宗教的諦観だけが、人間を反省させ、悪しきファシズムからデモクラシーを守る。
佐藤氏=ニーバーの中で宗教と政治が深く結びついていることからこそ、こうした答えが出てきたのかもしれぬが、デモクラシーや自由主義を堕落から救うのに、世俗主義だけでは無理だ、という主張は、私には魅力のある主張である。(だが、多くの世の人は、世俗主義で対抗するのが、私たち現代人の条件ではないか?神を持ち出すなんてナンセンスだ、と感じるかもしれない)
では、実際にファシズムが出現しようとするときに、どのように抵抗するべきなのか、という問いについては、皆様、ぜひ本著作を手にして考えていただきたい。
今回は、一つのQAをまとめることで読書案内を短時間で終わらせる、という実践例として本著作を取り上げた。興味がある方は購入して、じっくりと時間をかけて読んでいただきたい。
次回以降も、デモクラシーや自由主義の危うさを取り上げつつ、そうした危うさの中で歴史上の人物や人間がどのように生きてきたのか、などを考えさせる著作を読んでいきたいと思う。
ただし、所々、面白かった新著の紹介を挟みながら進むので、いくつかのテーマが錯綜しながら、進んでいくことになる。それでも、一見バラバラのような本と本が、少し目を凝らすと特別な構成が見えてくる、そんな星座のような世界を繰り広げられたら、いいなと無謀にも期待している。皆様にも、私の無謀さを寛恕しつつ、心のどこかで期待して読み進めて欲しい。