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幸せは自己暗示の中に

「一体何をしたらこのもやもやした気持ちは晴れるんだろう」

窓から見える青空を眺めながらリビングのラグの上で毛布にくるまりながらつぶやいていた。試しに笑ってみようにもうまく表情を変えられない。

仕事を休んでもう何日もずっとこの窓からのぞく空を眺めている。雲は毎日違うように見えるし流れていく速さも違う。時間帯によっては色合いも違うので毎日見ていても飽きない。いや、飽きるとかそういう気持ちで見ていないことは自分でもわかっている。別に見たくて見ているわけでもないのだから。

風呂は2,3日に1度だけ気力を振り絞って入る。入った後はさっぱりするから毎日入ればいいのにと自分でも思うのだが、入る気力がないのだ。なぜならこれはうつ病という病気なのだから。

入るのがめんどくさいとは少し違うのだと説いたところで、健康な精神状態の人は理解をしてくれたとしても共感なんてことはしてくれないだろうなと思う。私が健康だったときだってそんな気持ちはわからなかったんだからきっと他の人だってそうだろう。説明しても理解した気になって「あぁ、わかるわその気持ち、風呂入るのめんどくさいよな」とか言うんだ。そう言われて、

「(あぁ、こいつもわかってくれないよなぁ)」

と思って説明を諦めていつもの笑顔を浮かべてその場をやり過ごすんだ、知ってる、私はそういう人間だ。

最近はあんなに好きだった酒もおいしいと感じなくなってしまった。以前だったら、

グビッグビッ

「あー、この苦みがいいんだよなぁ、食欲も湧いてくるようだぜぇ」

という感じだったのに今では、

「あー、酒飲んでるなぁ、俺。うん、アルコールだ。ビールだ。うん、ジャスミンハイはすっと喉を通るな」

といった具合だ。なんだか酒を飲んだ事実を確かめているだけに思う。通っていたバーで好きなカクテル「グラスホッパー」を飲んでもあの頃のような感動はない。

「この味、舌触りじゃないと満足できないんだよなぁ」

だったのが、

「うん、この味とこのふわふわ感だったな。うん。」

といった具合だ。

じゃー飲まなきゃいいじゃんと自分でも思うのだが、それでも酒を飲みたくなるから不思議なもんだ。もはや習慣なのかもしれない。

飲んでる最中に自分にとっての幸せって何だろうとか考えてしまう。何人かに質問してみた。こんなことを言っていた。

「幸せはお金だけじゃない」

金がすべてじゃないと理解しつつも結局金がないとしたいこともできないと思っている。程度の問題なんだろうけど。自分には一体どれぐらいの金が必要なんだろう。老後には2000万円必要とかニュースが言ってたな。そんな金作れるのかな。そこまで生きてるのかな。

「誰かと比較してはいけない」

そうは言うけど、社会は競争することを求めていると感じている。社外を見れば競合他社がいるし、社内においても自分にしかできないことを身に着けろと言われる。どう考えても誰かと比較せざるを得ない。
自分の価値を上げ続ければ評価は後からついてくる、という話も理解しているつもりで、過去の自分と比較するだけでいいんだと言われる。自分が成長できていることが喜びになるのだろう。
確かに仕事で成長を実感できているときは人生楽しかったなぁ。まだ私は頑張れるんだろうか。今はあの頃みたいに頑張れる気がしない。

「幸せはある程度の自己暗示が必要だよ」

確かにそうかもしれないって思えた。今日も好きな酒が飲めたな。安いけどうまいもの食べれたな。あいつより絶対俺の方が楽しいこといっぱい知ってるよ。そんな風に考えるんだ。

弱音を吐いているのを見つけてくれて話しようって言ってもらえて、それを受け止めつつ納得できる意見を初めて教えてくれた。その人はうつ病経験者だった。人の痛みを知っている人の言葉は重みがある、というやつなんだろうか。

ほんの少しだけど気持ちが晴れたような気がした。自分が幸せかを決めるのは確かに自分だけだもんな。何当たり前のこと言ってんだろうと自分で少し笑ってしまった。少し酒がうまくなった……かもしれない。

まずはコンビニにシュークリームでも買いに行こうかな。だってあれうまいよ。

#眠れない夜に #エッセイ

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