これが人の生きる道
前回、とある印刷業者とAIについて雑談した話からの続きです。
「日々拡大する生成AIの活動範囲に対して、人間はどこに生存領域を求めるべきだろうか?」
わたしの投げかけに対して、彼はこのように話してくれました。
この前、休日を返上して、たった一人で急ぎの仕事にとりかかった。
それは勘と経験に頼る手作業が伴うため、社内では自分にしかできない仕事だった。
仕事の最中は「休日に、なんでこんなことをしてるんだろう?」と思いながらも、
なんとか時間内に終了してホッと一息ついた時、なんとも形容しがたい気持ちになった
今の仕事やこれまでの人生に対する不安・疑問
他人の替えが効かない高度な作業を乗り切り、納期に間に合った満足感・達成感
その他の感情
これらが混然となって、言葉にならないモヤモヤした気持ちになった。
このモヤモヤは言語化できない以上、現在の生成AIでは理解し得ない領域なのでは?
…が、彼の仮説でした。
生成AIに対する人間の生存領域について、これまで色々な意見を聞きました。
AIから答えを得るため、適切な「質問を与える」のが人間の役割だ
AIが生成した大量の答えから「選択する」のが人間の役割だ
しかし、近い将来、質問を自ら考え、回答の選択を行い、さらに言語化できない感情をも生成AIは言語化できてしまうかもしれません。
そうなると、人間に残された生存領域とは
「生成AIの知りえない事実」を人として粛々と積み上げていくこと
なのかもしれないなぁ、と思い始めています。
この話は次回に続きます。