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負けた!

ヒトの歴史は勝敗の歴史でもあります。先ごろ閉会したパリ・オリパラでも勝敗を賭けて、幾多のドラマが見られました。

振り返れば、スポーツに限らず、戦争から政治、経済、学問に至るまで、常に勝ち・負け、勝者・敗者で切り分けられて語られてきました。
さらに今日では日常の些細なことでも勝ち組・負け組としてくくられてしまう始末。

負けたくて負ける人はそうそういないのですから、誰だって自分が負けたとは認めたくありませんよね。
でも、「負け」を認めることはそんなに悪いことなのでしょうか?

大河ドラマ「利家とまつ」(02’)での合戦シーンを覚えています。

戦国時代、羽柴秀吉が天下人へ踏み出す途上で起きた「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」。当時の羽柴軍は後に「賤ケ岳の七本槍」と称される勇将・智将を擁する大軍団でした。

秀吉に敵対する柴田勝家に立場上味方せざるを得なかった主人公「前田利家」は、実のところ秀吉と気脈が通じあった仲でもあります。
そんな中途半端な状況ですから、攻めに徹しきれず、逆に羽柴軍に追い詰められていきます。
鉄砲が雨あられと撃ちかけられ、次々と家臣が倒れていく絶体絶命の状況でも、周囲の諫言に耳を貸さず、利家は徹底抗戦にこだわり続けます。

どう見ても負け戦でした。
速やかに自軍を撤退させなければ全滅は必至です。そうなるとその後の再起もほぼ不可能でしょう。

その時、尾張・荒子の駆け出し時代から苦楽を共にしてきた宿将・村井又兵衛が一喝するのです。

生涯たった一度でいいから
負けた!と叫んで逃げましょうぞ
負けた!とデカい声で言える男こそ
男ではござらぬか!

この檄を聞いた利家の中で何かがバチンと弾け、悔し涙ながらに撤退を決意するのでした。
それは事前に秀吉から調略がかかっていたとは言え、

「戦場から逃げたことは一度もない」武人の誇りを捨て、大局をみた判断

をした瞬間でもありました。

しかし、これを契機として旧友・秀吉とのよしみが復活し、後の加賀百万石に続く前田家の興隆につながったのは皆さんご存じのとおり。

本当に村井又兵衛が言ったのか定かではないこのセリフ。
思い通りに「勝ち」が手に入るわけではない現実世界の中にあって、ありのままを受け入れる「自己受容」もまた大切な生き方のひとつとして、人の有りようを上手く言い当てているような気がして、何かあるたびにこのエピソードを思い起こします。

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