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1年前も同じことを考えていた

能登半島地震のニュースにふれるにつけ、
2023年2月に起きたトルコ・シリア地震の際、
仕事で書いたメルマガのヘッダー文を思い出します。

当時、ヘッダー文の前半は新人の女性社員が書き、
後半わたしがつなげていく、少し変わった書き方を試みていました。

1年ほど前も同じことを考えていましたが、
今年は募金のとりまとめなど、より具体的に動くことになりそうです。

以下、昨年2月のメルマガヘッダー文です。


倒壊した家屋、救助活動隊と泣き叫ぶ市民、食料や避難所を探す人々…。大地震は予告もなく、人々の日常を壊してしまう。

東日本大震災から12年が経とうとしている中、トルコ・シリア地震の被災写真を見ると、国や取り巻く情勢は違えど同じ光景が広がっている。どんなに優れた技術で防災をしても、大自然の脅威を前にして完全に被害をなくすことはできないのかと絶望までしてしまう。

スマホやPCの画面上で現状を見て、このような感想を持つことは容易でも、被災地に充満する空気をこの身で体感することはできない。

「ただの傍観者になるのか…」

エルトゥールル号遭難事件をネットで読んだことを思い出した。
今から約130年前、和歌山の潮岬沖で難破したオスマントルコの軍艦から、沿岸の村びとが命がけで荒海から多くの乗組員を救い出し、なけなしの服と食料で命をつながせ、義捐金まで集めて帰国の途につかせたのだ。

これには続きがあり、昭和60年のイラン・イラク戦争では、はるか昔の親切を忘れなかったトルコが、自衛隊さえ救出に向かえなかったイラン在住日本人に、いち早く民間救援機を飛ばした話がある。その時、自国民より日本人の救出が優先されたとも聞く。

祈り、涙や折り鶴では
どうにもならない現実が今そこにある。

「わたしも始めよう、できることから。」

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